第5話

エーグル公爵家の家紋である鷲が刻まれた豪華な馬車に揺られる。


「ベルジュロネット公爵令嬢、一つ聞きたい事がある」


向かい合って座るエーグル公爵に尋ねられて首を傾げる。


「なんでしょうか?」

「恋人のふりをするのは問題ないが具体的にどうすれば良いのだ」


確かに、と言いそうになった。

よく考えてみれば婚約者はいたけど恋人はいなかった為、恋人という関係を私は知らない。

こっちから提案したのになにも言えないとなっては公爵令嬢としての名に傷が付く。


「とりあえず親し気に話してみるとかはどうでしょうか?」

「親し気?具体的にはどうすれば良い?」

「愛称で呼び合うとか、ですかね」


単純と思われてもこれしか思い付かないのだからしょうがないでしょう。

こんなことになるなら巷で流行っているロマンス小説の一つでも読んでおけば良かったと後悔する。しかし私の答えはエーグル公爵を納得させたようで「なるほど」という呟きが聞こえてきた。


「君の愛称は?」

「ヴィオでございます」

「私はレアと呼ばれる事が多い」

「それではレア様と呼ばせて頂きますね」

「私もヴィオと呼ばせて貰おう」


愛称を呼び合うようになる場面なのに全く恋人のやりとりに見えない。仕事に見える。


「他に恋人らしい事はあるか?」

「はしたないですけど、出来る限り身を寄せ合うとか?」

「ふむ…。確かにはしたないな」


グサッと言葉の矢が胸に突き刺さる。

提案しろって言うからしたのにはしたないって酷いわ。

そう言われても仕方ない提案したのは私なので文句は言えない。なにを考えたのかレアンドルは徐に立ち上がり、私の隣に座った。

広い馬車と言っても大柄の男性と並んで座ると狭く感じる。


「どうだ?恋人らしいか?」


密着した身体にドキドキしていると低めの声で尋ねられる。

その発言で台無しですよ。真っ先に狭いと感じてる私も大概だけど。


「どうでしょうね。自分達では姿が見えないのでなんとも言えません」

「なるほど」


短く呟いたレアンドルは目の前の椅子に氷の壁を作り上げた。そこには並んで座る私達の姿が映っているけどそれよりも寒い。

氷鏡って狭い車内で作る物じゃないわね。


「どうだ?」

「寒いわ」


あまりの寒さに素で返事をしてしまう。

しまったと口を塞ぐが近い距離にいるのだから当然聞かれてしまっている。氷鏡越しに私を見ていたレアンドルは目を瞠った。


「す、すまない。気遣いが足りなかった」


ぐっと肩を抱き寄せられて、いきなり近づいた距離に驚く暇もなく耳元で「これで寒くないか?」と低い声で尋ねられる。

ぞくぞくっと身体が震えた。

その瞬間、脳裏に甦ったのは昨晩の記憶だ。

レアンドルに貫かれ揺さぶられている最中、耳元で「気持ち良いか?」と聞かれたのだ。自分がなんて答えたのかは覚えていないがおそらく「気持ち良い」と返したのだろう。

こんな時になにを思い出しているのよ。


「顔が赤くなったな。温まったか」


確かに寒さはなくなったが恥ずかしさで身体が震える。


「え、えぇ…。ありがとうございます」

「私のせいだからな。気にするな」


離れるかと思ったがそのままくっ付いているレアンドルを下から見上げる。

どうして離してくれないのですか?と言う視線を彼に送ったが効果なし。無表情のまま氷鏡を眺めている彼がなにを考えているのかさっぱり分からない。


「ヴィオ」

「は、はい」

「先程みたく話せ」


先程?と首を傾げると「敬語を外せ」と返される。どうやら素で返事をした時のことを言っているみたいだ。


「敬語がない方がより親密に感じるだろ」

「えっと…」


恋人同士でも敬語を使う人はいると思うけど。平民のことはよく分からないが少なくとも貴族であれば多いはず。特に相手の身分が上だったり、年上だったりすると当たり前のように敬語を使っている。


「レア様は私より身分が上です。年齢も上ですし、敬語を使うのは当然のことですよ」

「しかしそれでは恋人らしく見えないのではないか?」

「そんなことありませんよ」


真面目な人なのだろう。別にそこまで拘る必要はないと思うのだけど。


「愛称で呼び合ったりくっ付いたりしていれば父も騙されて…」

「甘いな。あの人は少しでも油断を見せたら一気に喰われるぞ」


食い気味に返される。

そういえば父は職場では悪魔とか怪物と呼ばれて恐れられていた気がする。

屋敷では子煩悩なおじ様って感じだけど。


「何度あの人に叱られ怒鳴られた事か…」


身を震わせ重苦しい空気を纏って話すレアンドル。なにをされたのか分からないが父の娘として申し訳なさが募る一方だ。


「だから君も敬語をやめてくれ!」


鋭く尖った瞳を大きく広げてお願いされる。

そこまで必死にならなくてもと思うが父に嘘がバレて彼の命の危機に晒されるよりはマシかと「分かったわ」と頷いた。


「恋人らしく振る舞うには他にどうしたら良い?」

「えっと…」


そう言われても恋人についての知識がない私には思い付かない。苦笑いで誤魔化しているうちに屋敷に到着してしまった。

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