幕間1※レアンドル視点
私レアンドル・エーグルが女嫌いになったのは義母が原因だった。
九歳の頃に実母が亡くなり、十一歳の時に父が再婚をした。再婚に反対はしなかったが、新しい母と仲良くなれる気がしなかったのは彼女の年齢が父よりも私に近かったからだ。
「初めまして、よろしくね」
肩までの茶髪を揺らし、焦茶色の大きな瞳を緩めた義母の笑顔はどこか薄く気味悪くて嫌な気配がした。
「初めまして。レアンドルです」
握手を求めるように差し出された手を握る事なく私は自分の部屋に逃げ帰った。
あの人は危険だと本能が感じたからだ。
どうして父があの人を選んだのかさっぱり分からなかった。
「レア、さっきの挨拶は何だ。失礼だろう」
義母との挨拶を済ませ、しばらく経ってやって来たのは父だった。
部屋の扉を開けた瞬間に注意を受けてしまう。確かに態度が悪かったとは思うがそれは危険だと察知したからだ。
ただそれを父に言おうとは思わなかった。というよりも言う事が出来なかった。幸せを壊すような真似だと幼いながらに分かっていたのだ。
「申し訳ありません」
「いきなり出来た母親に戸惑うのも分かるがお前は次期公爵となる人間だ。常に礼儀正しく毅然とした態度で居なさい」
「はい…」
「彼女には謝っておくように。分かったな?」
分かりました。
それ以外の選択肢はなかった。
部屋を出て行く父と入れ替わるようにやって来たのは義母だった。おそらく父が寄越したのだろう。
「先程は失礼な態度をとってしまい申し訳ありません」
頭を下げて謝ると義母が近づいてくるのを感じた。
そのまま抱き寄せられて驚きのあまり突き飛ばしてしまう。
ふんわりと香ったのは薔薇の匂いだった。
顔を上げると驚いた表情を見せる義母が居てすぐに自分のやった事を反省する。
「も、申し訳ありません。驚いてしまって」
「あ…。ううん、私の方こそごめんね。謝ってるレア君が可愛くて」
焦茶の瞳が緩められた瞬間、背中がぞわりとした。
謝っている私が可愛い?
彼女の言っている事が理解が出来なかった。
今すぐ逃げ出したいがここは自室。唯一の出入り口は義母が塞いでしまっている。
「あの、もう良いですか?勉強したいので」
「勉強?好きなの?」
「次期公爵になるのだから沢山勉強しろと父に言われているのです」
「そっか。レア君は偉いね」
許可もなく頭を撫でてくる義母に吐き気を催した。
失礼にならないように身体を逸らして逃げれば残念そうな表情を向けられるが罪悪感は抱かなかった。
この人とは絶対に仲良くなれない。
父に仲良くしろと言われても出来る気がしなかった。
「失礼します」
部屋の扉を閉めている最中、隙間から見えたのは歪んだ笑顔を見せる義母の姿だった。
それから一年が経った。
依然として義母との距離は詰められていなかった。私が一方的に避けていたのだ。
父から何度か注意を受けたが勉強を理由に逃げていた。不服そうな顔をされたが最後は「新しい母が受け入れられないならそれでも良い。勉強だけは怠るな」と呆れられたが、私は安心して義母を避ける日々を送った。
問題が起こったのは蒸し暑い夏の日の事だった。真夜中に義母が訪ねてきたのだ。
「何か用ですか?」
義母は何も言わずに私に近寄り、無理やりキスをしてきたのだ。
成長が遅かった当時の私は義母よりも背が低くて、力もそこまで強くなかった。必死の抵抗は虚しく私はベッドに組み敷かれたのだ。その弾みで唇が離れたので二度目がないように手で覆い隠す。
「な、何して…」
「私ね……レア君が好きなの」
この人は何を言っているのだろう。
動揺する私の手をベッドに押し付けた義母から相変わらず薔薇の匂いがした。
「や、やめっ!やめてください!やめろ!」
暴れて抵抗するが力が敵わなかった。
無理やり押さえつけられた私は為す術もなく母に犯されたのだ。
閨教育も受けておらず性の知識も乏しい私はそれが怖くて仕方なかった。泣いて喚いても止めて貰えず吐き気と戦いながらそれが終わるのを待った。
全てが終わった頃、義母は満足した顔をして部屋を出て行った。
「……気持ち悪い」
様々なものでベトベトになった身体をどうにかしたくて浴室に逃げ込んで全てを洗い流した。綺麗になったはずなの自分が汚れているような気がして、何度も何度も触られた部分を洗っていると血が滲んできて、痛みが走った。
自分の血を見た瞬間ぶわりと涙が出てきた。
どうして自分がこんな目に遭わないといけないのか。
あの女が何を考えているのか。
さっぱり分からなかった。
自分の身体に異変を感じたのは次の日だった。
世話を焼く為にやって来た若い侍女に近寄られた瞬間、吐き気がしたのだ。
「レアンドル様?」
「す、すまない。近寄らないでくれ」
近づかれたら突き飛ばして傷つけてしまいそうだった。首を振って拒絶を示すと侍女は怪訝な表情を見せながらも出て行ってくれた。
代わりにやって来たのは年配の侍女。彼女に近づかれても吐き気はしなかった。
さっきのは少し調子が悪かっただけだ。
そう思っていたのに若い女性に近づかれる度、身体が強張り吐き気が出てくる。年配の女性や男性は大丈夫なのに若い女性だけは駄目だった。
「全部あの女のせいだ…」
私は若い女性に近寄れない身体になってしまったのだ。
「私が女嫌いになったのは義母のせいなんだ」
隣に寝転がる愛おしい人に過去を語り終えると泣きそうな顔を向けられる。
拒絶される事を恐れてこの話をするのを躊躇っていた。しかし好きな人に全てを知って欲しかったのだ。
知った上で私を受け止めて欲しかった。
私は酷く自分勝手な人間だ。
「気持ち悪いだろ。私は初めてを義母に奪われた薄汚い男なんだ」
もし肯定されたら二度と立ち直れないな。
自嘲するように笑った。私の頰をそっと撫でてきたヴィオレットは首を横に振る。
「エーグル公爵は……レアは汚れてないわ」
堅苦しくなっていた呼び方が元に戻る。
まるで恋人を慰めるように微笑む彼女に戸惑いを感じたのは心のどこかで拒否される事を確信していたからだ。
「ヴィオ、私が気持ち悪くないのか?」
「貴方を傷つけた女性を恨むことはあっても貴方を気持ち悪いと思うわけがないわ」
まるで聖母のような優しい微笑みだった。
涙が溢れてくる。
好きな人にみっともない姿を見られたくない。ちっぽけな男の意地で彼女を掻き抱いた。
「……ヴィオ、続きを話しても良いか?」
「ええ、聞かせて」
優しく背中を撫でる手の温もりを感じながら再び過去を振り返った。
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