幕間2※レアンドル視点

若い女性が駄目になって三年が過ぎた。

義母は若い少年が好きだったのか私が彼女の背を追い越す頃には興味を持たれなくなった。それでも私の心に残った傷は消えなかった。三年経っても若い女性に近づく事が出来なかったのだ。

一時の気紛れで私はあんな事をされたのか。

自分の心と身体を踏み躙った義母を許せなかった。


「追い出してやる」


父は義母の本性を知らずに愛している。馬鹿正直に話したところで詰られるのは自分だと分かっていた。

早く公爵の座を継いで家の実権を握ればあの女を追い出せるとそればかりが頭を支配していたのだ。

だからすっかりと忘れていた。自分が結婚して、跡継ぎを作らなければいけない事が頭から抜け落ちていたのだ。


「レア、お前に縁談が来ている」


成人を迎えた私に父が言ってきた。

縁談書を見ると年齢は自分の二歳上の女性。清純そうな見た目をしていたが私は首を横に振った。会ったところで傷つけると分かっているのに会えるわけがなかった。


「結婚相手は自分で見つけたいのです」

「何故だ?」

「私は次期公爵です。心身共に支えてくれる妻が欲しいのです」


父は母の時も、義母の時も恋愛結婚だった。だからなのか私の考えはすぐに容認してもらえた。

これで結婚を先延ばしに出来る。

もしかしたらいつか近づく事の出来る女性に巡り会えると仄かな期待をしていたのだ。

しかしそれは簡単に裏切られた。

初めて参加した夜会。公爵家という身分だけで擦り寄ってくる女性達は襲いかかってきた時の義母によく似ていた。肉食獣のようなぎらついた瞳と噎せ返るようなきつめの香水の匂い。触れられるのも嫌で近寄ってくる手を振り払り、逃げ出した。


「これでは結婚は無理だな…」


婚約者探しは早々に諦めた。

ただ夜会への参加は貴族としての義務だ。訪れる度に言い寄ってくる女性を突き放し続けた。

その生活を始めて五年も経つ頃には『女嫌いの公爵令息』と呼ばれるようになっていた。

その呼び名は父にも伝わり私は呼び出しを受けた。


「レア、お前は結婚する気がないのか?」

「何故そう思うのですか?」

「お前が近づいてくる女性全員を突き放していると報告を受けた。結婚する気がないからそのような態度を取っているのだろう」


否定出来なかったのは婚約者探しを諦めていたからだ。

何も言わない私に父は深く溜め息を吐いた。


「お前はエーグルの名を継ぐ唯一の人間だ」

「はい…」

「エーグルの血筋をお前で絶やすわけにはいかない。分かるな?」


結婚して子供を作れという事だ。

別にエーグルの血を引くのは私だけじゃなかった。従兄弟でも継ぐ権利はある。ただ父は自分の息子に継いで欲しかったのだろう。

私も義母を追い出す為に公爵家を継ぎたかった。


「分かっております」

「出来るだけ早く婚約者を見つけろ。良いな?」

「はい」


父の執務室から出ると義母の姿が廊下の隅にあった。

彼女の前には最近屋敷にやって来た執事見習いの若い男の子が立っていた。

またやっているのか…。

義母が屋敷にやってくる若い男の子達に手を出していた事を知っていた。助けられた子も居れば被害に遭った子も居た。

本当に父はどうしてこの女と結婚したのだろう。


「何をしているのですか?」


義母達に近づいて冷たく見下ろせば男の子はほっと安心した表情を見せた。手を振って逃げるように言ってやれば彼は「ありがとうございます」と頭を下げて駆けて行く。


「貴女も飽きないですね」

「あら、何の話?」


この期に及んで誤魔化す気か。

不愉快の塊だとその場を離れようとすれば腕に触れられて強く振り払った。後ろを向けば楽しそうに笑う義母の姿があり、襲われた時の事が脳裏を過った。

気持ち悪くなり呼吸が浅くなる。


「相変わらず女性が駄目なのね。私のせいかしら?」

「……屑女」

「あら、酷い言い草ね。貴方の母親なのに」

「あんたは母親じゃない」


私の母はもう居ないのだ。


「どうして父と結婚した。興味がないのだろう?」

「お金欲しさよ。それから貴方が目当てだったの。あの頃は可愛かったのに残念よ」


義母は父を愛していなかった。父は彼女を愛していたのに。

今すぐ殺してやりたかった。


「そんなに睨まないでよ。私があの人と寝ないおかげで子供が出来ないのよ?跡継ぎ争いが起きなくて良かったわね」


父の再婚から九年目にして初めて知った事だった。

二人の間に子供が出来なかったのはどちらかに問題があったからじゃない。そもそも子を作る行為をしていなかったからだ。


「まっ、今の貴方には興味ないから関わらないようにするわ。早く婚約者が見つかると良いわね〜」


怒りでどうにかなりそうだった。


その後、父に言われた通り婚約者探しを再開したが上手くはいかなかった。

そして二十二歳の春、王都の魔法省に勤め始めた私に一つの知らせが入ったのだ。

それは父が倒れたという知らせだった。私は急いで領地にある屋敷に戻った。


「どうして病気の事を隠していたのですか?」


ベッドの上でぐったりしていた父に尋ねた。

担当医によれば病気は二年前の時点で分かっていたそうだ。元々助かる見込みの低い病気。医学の知識を持たない私に出来る事は少ないだろうがそれでも教えて欲しかった。

父は私に残された唯一の家族だったから。


「お前に話せば私を安心させる為に好きでもない人間と結婚すると思ったからだ」

「それは…」

「早く結婚して欲しい気持ちは変わらない。しかしお前が幸せになってくれないと意味がないのだ」


貴族なのだから政略結婚は当たり前のように起きる事だ。


「私は貴族です。家の為なら…」

「好きでもない女性と結婚したところでお前は子を成せないだろう」

「え?」


父からの言葉にぴたりと固まった。


「レア、私は全てを知っている。お前の事も知っているのだ」

「どういう事…」

「お前の義母の事だ。あの女に襲われたせいでお前は女性が駄目になったのだろう?」


驚く私に父は申し訳なさそうに眉を下げた。


「執事長があの女の事を調べてくれたのだ。あの女が若い男に手を出していると報告を受けた時は吐き気を催したよ。そしてある事に気がついた。お前も被害者だったのだな」


責められるかと思ったのに父から与えられた言葉は私の予想とは違うものだった。


「ずっとお前の苦しみに気がついてやれなくてすまなかった。愚かな父を許してくれ」


力なく持ち上がった大きな手が私の髪を撫でる。

十数年ぶりの父の手は昔よりもずっと痩せ細っていて、力も弱かった。しかし温かくて優しいそれに涙が溢れ出てくる。


「レア、今更言う事ではないが…無理に結婚しなくても良い。ただお前が幸せになれる場所を見つけてくれ」

「父様…」

「もうすぐ公爵になるのだぞ。みっともなく泣くな」


最後の注意はこれまで聞いた中で一番優しい声をしていた。

ゆっくりと息を引き取っていく父を見守った。

静かに眠る父を残して部屋を出て屋敷を回ったが義母の姿はなかった。

執事長に聞いた話によれば父が亡くなる前に屋敷を追い出したそうだ。


「あの女を追い出す為に公爵になろうとしていたのに……」


目標を失った。

そう思ったがすぐに父が残してくれた言葉を思い出す。


「幸せになれる場所か…」


私に見つけられるのだろうか。




「あの時は自分が幸せになれる場所が見つかると思って居なかったんだ」


ヴィオレットの髪を撫でながら本心を告げれば、胸元にぐりぐりと額を擦り付けてくる彼女がいた。

前髪の擽ったさに頬を緩ませていると小さな声が聞こえてくる。


「幸せになれる場所、見つけられたの?」

「ああ、見つけられたよ」


隣に居られるだけで幸せな場所だ。

こちらを見上げてくるヴィオレットに短いキスを贈って額を合わせる。至近距離で見つめれば恥ずかしいのか目を逸らしてしまう彼女が愛おしい。


「ヴィオ。君の隣が私の幸せになれる場所なんだ」


恥ずかしい台詞だ。それでも伝えたのは彼女が変な誤解をしないようにする為。

私の言葉が正しく伝わったのだろう。顔から胸元まで真っ赤に染め上げる彼女は「あっ…うぅ…」と恥ずかしそうに声を漏らした。


「あの、でも、いつから…?」

「三年前、君がデビュタントを果たしたあたりだ」

「そ、そんなに前から?」


意外だろうな。

ずっと隠し続けてきた気持ちなのだから。

伝えてはならない気持ちだと分かっていた。それでも好きになってしまったんだ。


「今度は君を好きになるまでの話をしよう」

「えっ、と……お願いします」


聞きたくないけど聞きたい。

何とも言えない雰囲気を出すヴィオとの出会いを思い出した。

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