幕間3※レアンドル視点
ヴィオレットと出会ったのは父が亡くなって半年が過ぎた頃だった。
父が亡くなり公爵位を継いだ私は領地を治めながら魔法省の勤務に就いていた。
領主と官僚。どちらの仕事も大変なもので両立するのは無理だろうと考えていた。
辞めるなら魔法省に決まっている。
しかし折角入る事の出来た魔法省を辞めたくない気持ちでいっぱいだった私が頼ったのは同じ立場にあるベルジュロネット公爵だった。
彼は公爵でありながら魔法省の長官を務めている人物だ。良い知恵を授けてくれると期待していた。
「私は家族の存在があるから頑張れるんだよ」
領主と官僚の両立をどうやって行っているのですか?という質問の答えがそれだった。
ベルジュロネット公爵が愛妻家であり娘を溺愛している事は社交界で有名な話だ。彼らしい答えであると思ったが私の抱えている悩みが解決される答えではなかった。
「レア君は婚約者が居なかったね?これを機に特別な人を作るのはどうかな?特別な人が居ると辛い事でも乗り越えられるものだよ」
「それは…」
出来るわけがない。
父が亡くなり必死に婚約出来そうな女性を探してみたが完敗だった。
唇を噛み、答えを言い淀む私にベルジュロネット公爵は「事情があるみたいだね。良かったら私に話してみてくれないかな?」と笑いかけてくる。
仕事中では『悪魔』『怪物』と呼ばれて恐れられている彼もプライベートでは優しい人だ。
何でも受け止めてくれそうな雰囲気を身に纏う彼に私は自分の過去を話した。
義母と関係を持つのは酷い醜聞だ。襲われる形だったとしても関係を持った事には変わりない。魔法省を辞めさせられるかもしれないという不安を抱えながら全てを話し終えた。
「大変だったね」
「……魔法省は辞めるべきですよね?」
解雇を告げられる前に尋ねるとベルジュロネット公爵は首を横に振った。
「レア君はとても優秀だ。どんな過去があったとしても優秀な人間を手放す気はないよ」
彼の微笑みは死ぬ間際の父の微笑みによく似ていた。だからだろう。諦めて忘れかけていた父からの言葉を思い出した。
『お前が幸せになれる場所を見つけてくれ』
それを小さな声で呟くとベルジュロネット公爵は首を傾げた。
「父が亡くなる前に私に言った言葉です」
「そうか。ちゃんと君の幸せを願ってくれる人だったんだね」
「でも、私は……幸せになれる場所を見つけられる気がしません」
「若い女性が嫌いだからかな?何も結婚が全てじゃないと思うけど…」
確かに結婚が全てではないと思う。
父も無理に結婚はしなくて良いと言っていた。しかし父が言った幸せになれる場所は私が好きになった人の隣を指していたのだろう。確認する事は出来ないが妙な確信があった。
「ねぇ、レア君。良かったら私の屋敷に遊びに来ないか?」
「え?」
「私にとって幸せな場所を見たら君も自分にとって幸せな場所を見つけられる手掛かりになるかもしれないよ」
どうかな?という問いかけに即答出来なかったのはベルジュロネット公爵に若い娘が居たからだ。
若い女性に会うのは怖い。
それを察してくれたのか彼は「安心して良いよ」と言った。
「うちの娘にはイヴァン殿下という婚約者がいる。婚約者でもない男性にベタベタするような育て方はしていないから大丈夫だよ」
「ですが…」
「それから娘の事は紹介するつもりだけど話す権利を君に与える気はないからね」
笑顔のベルジュロネット公爵の目は薄暗く濁っていた。
溺愛している娘に男を近づけたくないのだろうという事はすぐに分かった。
「ベルジュロネット公爵とご家族の方がご迷惑でなければ伺わせてください」
「決まりだ」
ベルジュロネット公爵が幸せだと思う場所。
一体どんな所なのだろうか。
彼が言うように自分が幸せになれる場所の手掛かりを得られたら良いと思いながら訪問日を待った。
「いらっしゃい、レア君」
週末になりベルジュロネット公爵家を尋ねると公爵自身が出迎えをしてくれた。
「本日はお招き頂きまして感謝致します、ベルジュロネット公爵」
深く礼をすると「そんな固くならなくて良いよ」と笑われてしまった。
相変わらず気さくな人だと思いながら屋敷の中を案内してもらう。辿り着いたのは談話室らしき場所だった。窓際のソファにはベルジュロネット公爵夫人の姿があり、隣には公爵夫婦の娘であろう少女が座っていた。
父親譲りの金髪はふわふわで、母親譲りの大きな翠眼は宝石のエメラルドを彷彿とさせる。端正な顔立ちをした美少女は私と視線を交わしてはくれなかった。
若い女性に熱視線を送られないというのは珍しい事で、逆に私が彼女を見つめてしまう。
「お久しぶりですね、エーグル公爵」
娘を見つめていた私に声をかけたのはベルジュロネット公爵夫人。
彼女とは既に会った事があった為、顔見知りだ。優しくて温厚そうな彼女は夫である公爵同様に意外と黒い一面がある事を私は知っている。
「お久しぶりでございます、ベルジュロネット公爵夫人」
公爵夫人との挨拶が終わり、いよいよ娘との挨拶に移る。
公爵である私が先に挨拶をしなくてはいけない。
「初めまして、ベルジュロネット公爵令嬢。レアンドル・エーグルだ。よろしく頼む」
突き放すような言い方をして彼女を傷付けたらベルジュロネット公爵に何をされるか分かったものじゃない。
冷たくならないように。怯えさせないように。
その気持ちを込めて挨拶をした。
「お初にお目にかかります。ヴィオレット・ベルジュロネットでございます。よろしくお願い致します」
弱冠十三歳でありながら完璧な動作で挨拶を済ませたヴィオレットは大きな翠を緩めて私を見つめる。
若い女性に見つめられるのは苦手だ。それなのに不思議と彼女に見られるのは嫌じゃなかった。
「ヴィオ、レア君は私の部下なんだ」
「では、エーグル公爵は魔法省にお勤めなのですね。凄いです」
にっこりと微笑む彼女から伝わってくるのは純粋な賞賛。私の気を引こうとしない、わざとらしくない褒め言葉に私の胸は温かさで満ちた。
「よろしければ魔法省のことを…」
「そろそろ時間よ、ヴィオ」
私にかけられた言葉を遮ったのは公爵夫人だった。残念そうな表情を見せたヴィオレットは私に向けて淑女の礼をしてくる。
「私、これから王城に向かわなければいけなくて…」
「そう、なのか」
「エーグル公爵はゆっくりして行ってくださいね」
ふわりと笑って部屋を出て行くヴィオレット。彼女が通った後に香ったのは菫の匂いだった。
不快に感じないそれは私の頬を緩めさせた。
「ふふっ。エーグル公爵、ヴィオの事が気になりますか?」
「え?いや、別に…」
「そうですか」
くすくすと笑う公爵夫人に首を傾げた。
ヴィオレットとの出会いから二年が過ぎた。
初めて訪問させて貰った日から度々ベルジュロネット公爵家に招かれるようになった。
公爵の嫌がらせなのかヴィオレットと出来る会話はいつも一言、二言程度。短い言葉を交わすだけの関係だったが彼女が他の若い女性と違う事くらいは分かっていた。
無意識のうちに彼女を特別な人と認識してしていた私は彼女がデビュタントを果たす姿が見たくて仕事を早めに切り上げて舞踏会に参加したのだ。
「レア、誰を探しているんだ?」
ヴィオレットを探す為、会場内を歩き回っていると魔法省での同期ネル・ムエット伯爵が声をかけてきた。
「ネル。ベルジュロネット公爵れ……いや、公爵を見なかったか?」
私が女嫌いである事は有名な話だ。
ご令嬢を探していると言ったら妙な騒ぎになりかねない。騒ぎになったらヴィオレットに迷惑がかかってしまう。
それが分かっていたから公爵を探している事にしたのだ。
「ああ、それならあっちでヴィオちゃんに悪い虫が付かないように警戒してるよ」
ネルが指を差した方を見ると笑顔なのに妙な威圧感を放つベルジュロネット公爵が居た。すぐに彼の元に行けなかったのはネルの口から引っかかる言葉が出ていたからだ。
「ヴィオちゃん…?」
「ベルジュロネット公爵の娘さんだよ。お前だって知っているだろ?」
「知っているが……愛称で呼ぶのか?」
「まぁな。公爵の目を盗んで声をかけた時に愛称呼びの許可を貰ったんだ」
笑顔で話すネルに胸の奥から黒いものが溢れ出てくる。
ネルは私よりもヴィオレットと仲が良いのか。
愛称で呼べるネルが羨ましい。
私もヴィオレットと仲良くなりたい。
「仲良く……なりたい?」
自分の気持ちに驚いているとネルから肩を叩かれる。
ハッと我に返った。
「ヴィオちゃんが踊るみたいだぜ」
振り向いた先に居たのは純白のドレスに身を包むヴィオレットだった。
二年前、初めて会った時よりもずっと大人っぽくなった彼女は変わらぬ笑顔を携えて婚約者イヴァン殿下と踊っていた。
皆が見惚れる完璧なダンスを披露する二人の姿を見た私は訳も分からず涙を流した。
そしてネルに引き続きイヴァン殿下に対しても黒いものが溢れ出てきた。
これは正しく嫉妬だ。
女性に言い寄られた時に感じるものより酷い不快感に襲われた私は舞踏会の会場を逃げ出した。
王城の中庭まで辿り着いた私は設置されているベンチに腰掛けて深い息を吐く。
「ヴィオレット」
一度も呼んだ事がない彼女の名前を呟いた。
たったそれだけで不快感が薄れていく。
「大丈夫ですか?」
落ち着いたら会場に戻ってヴィオレットに挨拶をしよう。
そう思った瞬間に聞こえてきたのは鈴を転がすような美しい声だった。物覚えが良い私はそれが誰の声なのかすぐに分かってしまう。
どくどくと早まる心臓の音から「今は見るな。見たら後悔するぞ」と忠告を受ける。
わざわざ忠告をしてくれたのに私は声の主を見てしまった。
「ベルジュロネット公爵令嬢」
ヴィオレットを見た瞬間、無意識のうちに抑制していた気持ちが溢れ出てくる。
私はヴィオレットが好きだ。
おそらく一目惚れ。
初めて会った時から心のどこかでヴィオレットの隣こそが自分が幸せになれる場所であると分かっていたのだろう。一回も彼女を不愉快に感じる事がなかったのはその為だ。
「どうして君なんだ…」
吐き捨てるように小さく呟いた。
ヴィオレットにはイヴァン殿下という婚約者がいる。何事もなければ数年以内に彼女達は結婚するだろう。
彼女の結婚を考えただけで胸の奥が痛くなった。
「エーグル公爵?」
彼女の声にハッと我に返る。
俯かせていた顔を上げると心配そうに見つめてくる翠と目が合う。
好きだ。大好きだ。このまま連れ去ってしまいたい。
そんな衝動に駆られた。
「大丈夫だ」
「ですが…」
「平気だ、少し経ったら会場に戻る。先に戻ってくれ」
初めてヴィオレットを突き放した。
そうでもしなければ抱き締めてしまいそうだったから。
彼女は心配そうな表情を浮かべつつも私の言う通りにしてくれた。走り去って行く背中を見つめながら二つの事を決める。
一つはヴィオレットを好きだという気持ちを墓場まで持っていく事。
もう一つはヴィオレットを陰ながら守る事。
この二つを守り続けよう。
「そう思っていたのだけどな。結局どちらも守れなかった」
顔を真っ赤にしているヴィオレットに苦笑いを見せると「馬鹿じゃないの」と言われる。
馬鹿とは失礼な発言だ。
「ひ、一目惚れとか…。私、信じないから」
「そう言われても困るのだが…」
私だって一目惚れを信じているわけじゃない。だからこそ彼女への気持ちに気が付けなかったのだ。
「ヴィオ、一つだけ聞いても良いか?」
「なに?」
「デビュタントの日、どうして中庭に来たんだ?」
あの時は自分の気持ちを自覚したばかりであそこに来た理由を尋ねる余裕がなかった。その後も聞きそびれていたのだ。
「イヴァン殿下とのファーストダンスを踊っている最中ふらふらと会場を出て行くレアを見ちゃったからよ。なにかあったのと思って追いかけたの」
「見られていたのか…」
恥ずかしいところを見られてしまったな。
過去に戻れるならもっと堂々としてろと言ってやりたいくらいだ。
「守ると決めていたのに傷付けたし、過去の私は碌でもないな」
「レアに傷付けられた記憶はないわよ?」
首を傾げる彼女に真実を話すべきなのか迷ってしまう。
いや、ここまで話したんだ。全部話してしまおう。
「ヴィオ。君に一つ謝らなければいけない事がある」
「なに?」
「イヴァン殿下の浮気現場に君が出くわすよう仕組んだのは私だ」
「は?」
ぴたりと固まったヴィオレットは次の瞬間「ええぇ!」と大声を出した。
「ど、どういう事よ!」
自分が一糸纏わぬ姿である事を忘れて私の身体に乗り出してくる彼女に現状に似つかわしくない欲望が出てきそうになる。
「ちゃんと話すから落ち着いてくれ」
薄汚れた男の欲を抑え込みながら語りかけるのは彼女が裏切りを知った日の出来事だった。
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