第39話

「エーグル公爵がお見えになられました」


使用人の声に両親が扉を睨み付けた。

もしかして私がフラれると言ったからレアンドルに怒っているのかしら。

余計なことを言ったかもしれないと扉の向こうにいる彼に申し訳なくなった。


間もなく扉が開いて、夕方の涼しくなった風が屋敷の中に入り込んでくる。

いつも通り流麗な動作で足を踏み入れたレアンドルは両親の顔を見るなり驚いた表情を見せた。

私の前に立っているので両親の表情は分からないがおそらく酷い顔をしているのだろう。


「やぁ、レア君」


父の声が低い。

明らかに怒っているのが丸分かりだ。

父が怒っている理由が分からないであろうレアンドルは戸惑いながらも「こんにちは、ベルジュロネット公爵」と返す。続いて母が一歩前に出ると彼は頬を引き攣らせた。


「ご機嫌よう、エーグル公爵」

「ご、ご機嫌よう、ベルジュロネット公爵夫人」

「娘に挨拶して頂く前に旦那様からお話がありますのであちらへどうぞ」


母の発言に驚いたのはレアンドルだけじゃない。私も「え?」と戸惑いの声を漏らした。

私への挨拶より先に父が話すってどういうことなのよ。

まさか娘と別れるなって言うのかしら。

私がレアンドルを好きだと言ってしまったから、私がどうしても彼を欲しがっていると思って無理やり結婚させようとしているのかもしれない。


「お、お父様、待って…」

「ヴィオは黙っていてね」


レアンドルを連れて行くのをやめさせようとしたら目の前に立ち塞がったのは母だった。

微かに漏れ出る魔力から通り抜ける気なら攻撃するという気持ちが伝わってくる。

これから婚約披露式であるのに怪我をするわけにはいかない。なによりレアンドルに贈ってもらったドレスや装飾品類を汚したくないのだ。私は大人しく立ち止まりレアンドルを見つめることしか出来なかった。


「すぐに戻ってくる」


それだけ言うとレアンドルは父に連れて行かれてしまった。


「何故、彼を連れて行くのですか!」

「うーん、ちょっとしたお説教かしらね」

「お説教って…。彼に余計なことを言わないでください」

「余計なことって?」

「わ、私と別れるなとか…脅しをかける気なのでしょう」


私の言葉を受けた母は吹き出してお腹を抱え始めた。こちらが必死になっているというのにどうして笑っていられるのだろうか。

母を睨みつけると「怖い顔しないの」と頬を突かれる。


「大丈夫よ。そんな変な脅しは…ふふっ、しないから…」

「どうして笑っているのですか」

「ううん。ヴィオは本当にエーグル公爵が好きなのね」

「いきなりなんですか…」


脈絡のないことを言い始める母に怪訝な表情を見せるとさらに笑われてしまう。


「貴女が私や旦那様に怒りを向けるのは初めてだったから。それくらいエーグル公爵が大切なのでしょう?」

「それは…」

「一ヶ月で随分と変わったわね」


両親に反抗する時期はあったが明確な怒りを向けたのは初めてだった。

どうやら自分が思っていたよりもレアンドルは大切な存在になっていたらしい。

やけ酒のせいで一晩を共にして、強引に恋人のふりをしてもらったのに大切にしてもらって好きになった。

たった一ヶ月間の出来事であるのに不思議なものだ。


「たった一ヶ月で人を好きになるのは、愛おしいと思うようになるのは変でしょうか」

「時間は関係ないと思うわ。世の中には一目惚れもあるのだから」

「そう、ですか…」


てっきりまやかしの恋だと言われると思っていたので安心する。


「それと心配しなくても旦那様はエーグル公爵に娘と別れるなとか言ったりしないわよ。大方ちゃんと気持ちを…」

「気持ちを?」

「ふふ、どうやら二人が戻ってきたみたいね」


また肝心なところではぐらかされた。

母を睨むと「気になるならエーグル公爵に聞きなさい」と言われてしまう。

レアンドルに聞くことがどんどん増えていってる気がするのだけど。

父と一緒に戻ってきたレアンドルは叩かれたのか頬を赤くしていた。


「レア!」

「ちょっとヴィオ」


母の声も聞かずレアンドルに駆け寄り、赤くなった頰を確かめると熱を持っていた。

殴ったのは父だろう。

そう思って父を睨み付けると苦笑しながら「私じゃないよ」と返された。


「ヴィオ、これは自分でやったんだ」

「どうして…」

「気合いを入れる為だ。気にするな」


そうは言っても気になる。

レアンドルの頬に手を当てて回復魔法をかけてあげれば優しく微笑まれた。


「こっちの方が気合いが入るな」

「気合いってなに?」

「披露式が終わったら教えよう」


私の手を握って真っ直ぐ見つめてくる彼の瞳に嘘の色は見えなかった。

ちゃんと教えてくれるだろうと思って「分かりました」と返事をする。

手を離した彼は私の全身を見た後に嬉しそうに笑った。


「ヴィオ、とても綺麗だ。君のような美しい女性を婚約者として発表する事が出来るとは私は幸せ者だな」


社交辞令だというのは分かっている。それでも好きな人から褒められて嬉しいと思わない女性は居ないだろう。

赤くなった頬を隠しながら「ありがとう」と伝えた。

改めて私もレアンドルの装いを確認する。

アストリのお店で仕立ててもらった彼の黒い服には私が贈ったネクタイピンとカフスボタンが付いていた。

好きな人だからかいつもの倍以上は素敵に見えてしまう。


「レアも素敵よ。私の婚約者になってくれてありがとう」

「嬉しい言葉を頂けて光栄だ。さぁ、行こうか」


たとえ今日で終わりになったとしても後悔することはない。

差し出された手をしっかりと握り締めた。



「あれでまだ分かっていないってヴィオは凄い才能の持ち主ね」

「レア君も分かっていないからお互い様だよ」


後ろでされていた両親の会話は二人きりの世界に浸っていた私達の耳には届かなかった。

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