第23話

「おかえりなさい。帰ってきたのね」


レアンドルとぎこちないお別れをして屋敷に入ると驚いた表情をする母に出迎えられた。

本気で私が帰らないと思っていたのだろう。

ただ母の戯言に付き合っている元気はない。


「ただいま戻りました」


挨拶をした後、疲れたから晩御飯は要らないという旨を伝えると母は頰を緩めてくる。


「エーグル公爵と疲れるような事でもしたの?」

「お祭りの露店を見たり、仕立て屋、装飾品店に行ったりと健全なお出かけをしてきました」


間髪入れずに答える。

実際、帰りの馬車以外は健全でしたからね。嘘はついていません。

身体を重ねた事実があるので今更キスで騒がれることはなさそうであるが変に勘繰られそうなので黙っておくことにした。


「それでは私は失礼させて頂きます」

「明日それについてのお話を聞かせてね」


楽しそうに笑う母が指を差したのは私の左手薬指にぴったりと嵌ったサファイアの指輪だった。

キスの衝撃が強過ぎたせいですっかり存在を忘れていたのだ。

贈ってくれたレアンドルに申し訳ない気持ちになりつつ笑顔の母に背を向ける。


「か、考えておきます」


引き攣った笑みを浮かべて、逃げるように自室に戻った。

後ろからは母の愉快に笑う声が聞こえていたような気がする。


「明日どこかに行こうかしら…」


母から質問攻めにされるのは勘弁したい。

ふと頭の中に浮かんだのは王都に住んでいる友人の顔だった。もちろんイヴァン殿下と浮気をしていた元親友とは別人だ。

婚約解消以降、心配してくれている彼女から何度も会おうと誘われていたが予定が合わず流れていた。

確か明日は彼女も暇しているはず。


「色々と聞いてもらいましょう」


母から逃げる為、話を聞いてもらう為にも明日は友人のところに行こう。

そう決めてから湯浴みに向かった。途中、侍女達から「お手伝い致しましょうか?」と尋ねられたがやんわりと断る。

滅多に会う機会がないアストリに身体中に残る痕を見られるのは許容出来る範囲だ。しかし同じ屋敷に住む侍女達に見られるのだけは勘弁したいのだ。


「そろそろ消えるわよね」


服を脱いでから鏡で見た鬱血痕は大分薄くなっていた。

おそらく明日明後日には消えるだろう。

髪と身体を洗ってから湯船に浸かると一日の疲れが全て消えていくような感覚がする。淑女らしからぬ声を出してしまったのは周りに誰もいないからだ。


「……なんでキスなんてしたのかしら」


目を瞑り思い出すのは帰りの馬車のこと。

自然とくっ付いた唇に違和感はなかった。

雰囲気が良くなったからと勝手に決めつけたけど、レアンドルの方はどう思ったのかしら。


「大分狼狽えていたし、きっと意味はないのよね」


あのキスになにかしらの意味があるとするなら恋人らしい演出をする為だろう。

自分から恋人のふりをしようと言い出したくせに彼からそれを言われると嫌な気分になる。


「私ってこんなに我儘だったかしら」


イヴァン殿下と婚約している時は自分の意見を我慢するのが当たり前でそれに違和感がなくなっている自分がいた。

婚約が駄目になり我慢することから解放された反動で我儘な一面が出てきてしまっているのかもしれない。

それにレアンドルが想像していたよりも優しい人だったから甘えてしまっているのかもしれない。

考え出したら色々と思い当たることが出てくる。


「あまり迷惑をかけないようにしないとね」


湯浴みを済ませて自室に戻ると机に置いていた白銀の箱が月明かりに照らされていた。


「エーグル公爵と会う時だけ付けておけば良いわよね」


レアンドルには普段から付けてほしいと言われたが破ることを許してほしい。

変な勘違いを起こしてしまわないようにする為にそっと指輪を外して、白銀の箱に戻す。

机の引き出しに入れてから鍵を閉めると身が引き締まった気がした。


「もう寝ましょう」


今日は色々とあり過ぎた。

よく眠れそうだと布団の中に潜り込んだ。

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