第27話

「はぁ…」


憂鬱だわ、出来ることなら今日が来なければ良かったのに。

そう呟きたくなる溜め息だった。

今日はレアンドルと観劇に行く日だ。

ちょっとだけ憂鬱な気分になるのは出かけるのが嫌とか観劇に行くのが嫌というわけじゃなく。ただ彼に会うのが気不味いから。

もちろん先週のキスが原因だ。

どんな顔をして会えば良いのか分からない。


「でも、観劇は楽しみなのよね」


今日行く予定の劇は観たことがない演目なので楽しみだ。それに観劇の最中は彼と顔を合わせることもないし、気を遣わずに済む。

そう思うと気分が上がってきた。


「それにしても…」


姿見に映る自身の姿を見直すと苦笑いが出てくる。

レアンドルから贈られてきた黒のイブニングドレスに身を包み、同じくレアンドルから贈られてきた銀刺繍の入ったヒール高めのパンプスを履き、そして装飾品、振り撒いた香水まで全てがレアンドルからの贈り物だ。

もちろん例の婚約指輪もしている。


「あの人、私に貢ぎ過ぎじゃない?」


準備をしてくれた侍女達が立ち去った自室で一人呟いた。

あのキスの日から一週間、毎日のように彼から贈り物が届いたのだ。それがキスへのお詫びのつもりなのか、はたまた別の理由なのかは知らないがいくらなんでもお金を使い過ぎじゃないかと思う。

公爵だし、魔法省務めの高給取りだ。お金には余裕があるのだろうけど、いくらなんでも毎日の贈り物は要らない。このままいったら彼からの贈り物で部屋が溢れてしまいそうだ。


「どこから情報を仕入れているのか知らないけど全て私好みっていうのが凄いのよね…」

「ヴィオ、入るわよ」


独り言を呟いていると部屋の外から母の声が聞こえてくる。

どうぞ、と言う間もなく中に入ってくる母に苦笑いだ。親しき仲にも礼儀ありという言葉があるのを母は知らないのだろうか。

別に良いのだけどね。

中に入ってきた母は私の格好を見るなり、頰を緩める。揶揄うような生温い視線は居心地の悪さを感じさせた。


「すっかりエーグル公爵の色に染まっちゃったわね」

「誤解のある言い方をしないでください」

「だって今日身に付けているものぜーんぶ彼からの贈り物でしょう?凄い独占欲ね」


独占欲で贈られてくるわけがない。

所詮レアンドルと私の関係は恋人のふり。独占欲が発生するわけがないのだ。

あのキスの日はちょっとしたそれを感じたような気がするけど、私の思い違いだろう。


「独占欲じゃないと思いますよ。これはあれです。変な物を着てこられると嫌だから贈ってくれたのです」


私がそう返すと呆れたような表情をした母は「鈍感な娘が悪いのか、ヘタレ公爵が悪いのか」と呟く。

どういう意味なのだろう。

こちらが疑問に思っている間に母の表情は一変して明るいものとなる。


「それはそれとして今日はちゃんと避妊薬を持って行くのよ!」

「そ、その言葉を大声で言わないでください!」


明け透けにものを言う母に焦るが、向こうには飄々した態度を取られてしまう。そして悪びれた様子もなく母は「追加の薬を注文しておかなくちゃいけないわね」と言い出した。

私が避妊薬を飲んだのはあの一回きり。常に鞄の中に忍ばせているあの瓶の中にはまだ大量の薬が残っているのだ。


「まだ大量に残っていますし、どうせ今日も使いませんから」

「あら?まだ分からないわよ?エーグル公爵だって男なのだからぱくりといかれちゃうかも」

「ぱくりって…」

「大丈夫よ。今日は旦那様は帰って来ないし、先に報告してくれたらお泊まりは許可するから」


何故こうも肉欲的な考え方をするのだろうか。

大体レアンドルが私をぱくりと食べるわけがないのに。

あの晩はお互いに酔っていたから箍が外れただけであって普段の理性的な彼が私をそんな目で見たりしな…。

ふと脳裏に甦るのは先週の貪るような接吻行為。あの時の彼は理性を失った獣のようだった気がする。

一応、避妊薬を持って行った方が良いのかしら…。


「……念の為よ。うん、念の為」

「急にどうしたの?」


ぶつぶつと言葉を呟く私に母が声をかけてくるので笑って「なんでもありません」と誤魔化した。

特になにも起こらないだろうけど念には念を入れた方が良いに決まっている。

ふと机を見ると鞄の脇には大きさの異なる小さな箱が乗せてあった。ビジュー装飾品店で購入したネクタイピンとカフスボタンだ。

再び贈り物をしてもらった以上こちらからもなにか返さなくてはいけない。

もし今晩食事をするなら奢らせてもらおう。


「ヴィオ、そろそろエーグル公爵が着くみたいよ」


母に声をかけられて、窓の外を見るとエーグル公爵家の馬車がこちらに向かって来ていた。待たせるわけにもいかないと母と一緒に部屋を出る。


「お母様、レアに余計なことを言うのはやめてくださいね」

「ふふっ、善処するわ」


あ、これは絶対に言うわね。

そう思いながら深く溜め息を吐いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る