幕間6※レアンドル視点
目が覚めると見慣れない天井が広がっていた。
伸ばした腕には慣れない重みがあり、隣に視線をやると規則正しい寝息を立てて眠る最愛の女性の姿が視界に映り込む。
ヴィオレットを起こさないように腕を抜き取り、布団の中を確認すると皺だらけのシーツには赤黒い血の跡と白濁の液が点々と現れていた。
お互いに全裸だと分かった瞬間、脳裏を過ったのは彼女と一夜を共に過ごした記憶だった。
「私は何て事を…」
目が覚めた瞬間、死にたくなったのは初めての経験だった。
酔った勢いに任せて好きな女性をベッドに連れ込み事を及んだ。一応同意はあったが彼女も酔っていた。真っ当な判断が出来ない彼女の処女を奪ってしまったのだ。
許される事ではない。
どうすれば良いのか考えていると隣から「んん…」と掠れた声が聞こえてくる。
起き上がり辺りを確認するヴィオレットは自分の状況をよく分かっていないらしい。
「え?」
やがて自分が全裸である事に気が付いたのか驚く彼女は動き出そうとして痛みに顔を歪めた。
おそらく破瓜の影響で激痛が走ったのだろう。起きていられなくったヴィオレットは再びベッドに沈み込んだ。
罪悪感に押し潰されそうになり、頭を抱えていると彼女の視線がこちらに向いたのを感じる。
「へっ…」
戸惑った声が聞こえたかと思ったらヴィオレットは痛みを忘れて起き上がり布団を捲り上げた。
そしてシーツに残る情事の跡から自身の破瓜を知ってしまったのだ。
ふとヴィオレットの方を見ると目が合ってしまった。彼女がこちらを見ていると思わなかったから驚いた。
数秒後、我に返った私は起き上がりベッドに頭を押し付けて謝罪をする。
「すまなかった!」
「あ、頭を上げてください!」
「謝って許される事じゃないと分かってる!」
「とりあえず頭を…」
「許してくれとは言わない!ちゃんと責任を」
「お願いですから頭を上げてください!」
叫ぶように言われて私は恐る恐ると頭を上げた。
殴られるか罵倒されるか。
どちらかだと思ったのにヴィオレットはぎこちなく笑って。
「とりあえず、服を着ませんか?」
そう提案してくれた。
お互いに背を向けて着替えを済ませてから向き合うように座った。
沈黙が痛い。
ヴィオレットを確認すると気不味いという雰囲気が隠せていなかった。こんな経験初めてでどうやって話を切り出したら良いのか分からない。
ただ彼女が目の前に座っているだけで自分の犯した罪の大きさに吐き気がしてくる。
「あの、大丈夫ですか?」
私を心配する言葉に戸惑い「ああ」と素っ気なく答えてしまう。
何故、自分の処女を奪った相手の心配を出来るのか。
普通なら責め立てるのが普通の事なのに。
動揺しながらもゆっくりと頭を下げた。
「改めて本当にすまなかった」
「い、いえ。こちらこそご迷惑をおかけしました…」
迷惑をかけたのは私なのにヴィオレットは苦笑いをするだけでこちらを責めてこようとしない。
一体、何故だ?
疑問に思っていると彼女の方から問いかけがあった。
「あの、エーグル公爵は昨夜のことをどれくらい覚えていますか?」
「酔いを覚ます為に中庭に出たら君がいて、風邪を引くといけないと思って私の控室に運ぶ途中で……私が手を出してしまったんだ」
嘘偽りなく話すとヴィオレットは信じられないと言ってきそうな表情をこちらに向けた。
女嫌いが女性と一夜を過ごした事が信じられないのだろう。
「酔っていたからといって決して許される行為じゃない」
どんな責任でも取るつもりだ。
下げていた頭を上げると真っ直ぐヴィオレットを見つめた。
「ちなみに私は…その、行為に同意しましたか?」
「ああ。しかし君は酔っていた。だから同意してくれたのだろう。それなのに私は…」
「まともな判断が出来ないくらい酔った私にも責任があります」
遮るように言われる言葉。
一方的に責めて良いのにヴィオレットは自分にも非があると言い出したのだ。
驚く私を他所に彼女は言葉を続けた。
「エーグル公爵もご存知かと思いますが一週間前に婚約者と友人に裏切られて周囲からは腫れ物扱い。それが嫌で昨晩はやけ酒をしていたのです。考えもせず飲み過ぎて酔っ払って自業自得というわけです」
おそらく彼女は何も覚えていないのだろう。
酷い人間だと自分を詰りつつ、最愛の人に初めての夜を覚えてもらえていなかった事実に胸が痛む。
とりあえず今言うべき言葉は…。
自分が彼女を好きだと言う事。
気持ちを受け入れて貰いたい訳じゃない。ただ悪戯に初めてを奪った訳じゃない事を知って貰いたかったのだ。
「ベルジュロネット公爵令嬢」
「は、はい…」
好きだ。愛してる。
短くて重い言葉達が出て来なかった。
伝えたところで一晩を共にした責任を感じて嘘をついていると思われてしまうだろう。
言えない…。今は伝えられない。
「責任を取らせてくれ」
代わりに出てきた言葉がこれだった。
「婚約者になる、ということですか?」
「そうだ。君が良ければ結婚もしたいと考えている」
嫌がられたらおしまいにする予定だった。
しかしヴィオレットは冷静に言葉を返してくる。
「父にはどう説明する気ですか?」
「事実を話すつもりだ。その上で責任を取りたいと…」
ベルジュロネット公爵には私のやらかした事はすぐに伝わってしまうだろう。いや、もしかしたら既に伝わっているかもしれない。
全てを話して彼女を一生大事にすると伝えるつもりだった。
「やめた方が良いですよ」
苦笑いを浮かべたヴィオレットに言葉を返される。
ベルジュロネット公爵に会うなという事か?
つまり結婚の話はなかった事にしたいという意味なのだろうか?
疑問に思いながら尋ねる。
「何故?」
「エーグル公爵も知っていると思いますが父は私をとても大切にしてくれています」
「そうだな」
それはよく分かっている。
あの人が職場で娘自慢をしてくれたおかげでヴィオレットの事を色々と知る事が出来たのだ。どれだけ彼女を大切にしているかは十分に分かっている。
「前の婚約者がやらかしたこともあって父は私に愛する人と結ばれて欲しいと思っています」
「そうなのか…」
力ない声が漏れ出た。
私はヴィオレットの愛する人じゃない。
つまり結婚は出来ないという事だ。分かっていたけど辛い現実に泣きそうになる。
「はい。ですから酔いに任せて今回のことが起こったと馬鹿正直に話すのは危険だと思います…」
「……君に聞くべき事ではないと思うが、どうすれば良いと思う?」
別の方法で責任を取るつもりだ。
お金ならいくらでも払ってみせよう。
牢に入れというなら一生そこで暮らしても良い。
死ねというのなら今すぐ自害しよう。
覚悟を決めたの同時にヴィオレットが話し始めた。
「私の考えた方法ではエーグル公爵に苦痛を強いることになります」
「責任は取ると言った。それで構わない」
これは苦しみながら死ねと言われるのだろう。
それでも構わない。
ヴィオレットと結婚が出来ない時点で私が幸せになれる場所はどこにもないのだから。
しかし彼女の口から飛び出てきたのは私の想像を遥かに超えたものだった。
「では私と恋人のふりをしてください」
「は?」
恋人のふり?
何を言っているのだと呆然としていると彼女は申し訳なさそうな表情を見せた。
何故、君がそんな顔をするんだ。
「君と恋人のふり?」
「はい。エーグル公爵と想い合っていたから今回の件が起こったことにしておけば父も認めてくれると思います」
「そうなのか?」
「多少は怒られると思いますが父は私の想い人を傷つけるような真似はしませんよ」
悪い事だと分かっていても頰が綻びそうになった。
口の中を噛み、自分を戒める。
偽物だったとしても最愛の人と恋人になれるとは思わなかった。彼女と繋がりを失うどころが深める結果となったのだ。
浅ましい私が顔を覗かせた。
このまま恋人のふりを続けているうちに私の事を本当に好きになってくれたら…。
ヴィオレットに好かれる男になろう。
甘やかして、愛して、本当の恋人になって貰おう。
何があっても彼女を大切にする。
強く手を握り締めながら改めて覚悟を決めた。
「分かった」
「やっぱり嫌ですよね…」
ほぼ同時に言葉を発した。
ヴィオレットは驚いた表情を見せた。
「君さえ良ければ恋人のふりをしよう」
「本当に良いのですか?」
「君が提案したのだろう」
「そうですが、エーグル公爵は…その、女性が苦手なのでは?」
てっきり自分の提案に後悔しているのかと思ったら違った。
私の事を気遣ってくれていたのだ。
どれだけ優しい子なのだと愛しさが強まった。
「確かに女性は苦手だ。しかし私が苦手とするのは権力や容姿の良さで擦り寄ってくる頭の悪い女だけ。君は違うだろう?」
本当は違う。
ヴィオレット以外の女性は全員無理だ。
でも、それを今伝えるわけにはいかない。
自分の過去を知って貰う前に他の事を知って貰いたいのだ。
そして好きになってくれた時に全てを話そう。
「違うかと問われたらそうですねとしか言えません」
「なら問題ない。恋人のふりをしよう」
手を伸ばしてヴィオレットの手に触れた。
二度と触れる事が出来ないと思っていたその手をぎゅっと握り締めた。
「今から公爵のところに報告に行こうか」
「は、はい」
私の事を好きになってくれ、ヴィオレット。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。