第43話
不健康そうな青白い肌、痩せこけた頰、化粧で誤魔化しが効かない目の下に出来た隈、薄ら浮かび上がる吹き出物。
可憐な美少女と言われていた元親友は目を逸らしたくなるほど酷い姿となっていた。
「久しぶりですね、ベルジュロネット公爵令嬢」
薄気味悪い笑みを見せながら私に近寄ってくるテレーズに警戒の姿勢を見せればレアンドルが背中に隠してくれた。
「君がヴィオを裏切り傷つけたご令嬢か」
「ええ、そうですよ。テレーズ・ミランと申します」
あっさりと裏切りを肯定したテレーズは悪びれた様子がない。むしろ楽しそうに笑う彼女にレアンドルは怪訝な表情を見せる。
「どうして彼女を裏切ったんだ?友人だったのだろう」
それは私が聞こうと思って結局聞かなかった質問だった。聞いたところで不愉快な気分になると思ったから聞かない選択をしたのだ。
レアンドルからの問いかけにテレーズは目を瞠り、そして大笑いを始める。
「裏切った理由?聞きたいですか?でも、話したらベルジュロネット公爵令嬢は傷ついちゃうかもしれませんよ」
「なっ…」
レアンドルは動揺を隠しながら私の様子を伺う。どうしたら良いのか分からないのか黙ってしまう彼を見たテレーズは高笑いを始めた。
「ベルジュロネット公爵令嬢を傷つけたくないんですね〜!じゃあ、教えません!」
気味の悪い笑顔でレアンドルを揺さぶろうとするテレーズに腹が立った。
くだらないことを彼にしないでほしい。
私はレアンドルの背後から前に出て、テレーズと向かい合う。睨み付ければ一瞬怯えたような表情を見せる彼女に私から近寄った。
「レアを困らせるような真似はやめて。いいから質問に答えなさい」
「傷ついてもいいの?」
「裏切られた時点で大きな傷を作られたわ。今更よ」
私が動揺を見せないからかつまらなさそうに口を尖らせるテレーズは近くに立っていた給仕のトレーからワイングラスを二つ持ち上げた。
「これ、飲んだら教えてあげてもいいわ」
口調が友人であった頃にすっかり戻っていたが別にどうでも良かった。
テレーズが差し出してきたグラスをじっと見つめる。
グラスは給仕から渡された物。なにかを入れる隙は彼女にはなかった。給仕がなにかした可能性もあるけど責任者であるレアンドルが変な人を雇うわけがない。
別に飲んでも問題はないだろう。
「飲まないの?」
「飲むわよ」
別に裏切った理由をどうしても知りたいわけじゃないけど、気になるのも事実だ。
テレーズが持つグラスを取り上げて、そのまま呷る。空になったグラスを逆さまにして見せれば気味の悪い笑みが深まった。
「簡単に飲むのね」
「これくらいで酔ったりしないから」
「そうだったわね」
昔一緒にお酒を飲んだことがある為、私がどれくらいの量を飲めるか知っている。
くすりと笑った彼女は自分の手に持つグラスを口元に近づけて一気に中身を飲み干した。
「貴女を裏切った理由だったわね」
なんか身体が熱いような…。
「私ね、ずっとずーっと…」
息が切れるし、視界が歪む。
「貴女が嫌いだったのよ」
テレーズの言葉を聞いた瞬間どくんと心臓が大きく跳ねた。
言われたことがショックだったわけじゃない。
身体の中を強烈な熱が駆け巡ったのだ。
落としたグラスが割れる音が鈍く聞こえた。
「ヴィオ!」
ぐらりと傾いた私の身体を受け止めてくれたのはレアンドルだった。
粉々になったグラスをぼんやり見つめて思うことはしてやられたということ。
ワインに毒かなにかを仕込まれていたのだ。
ふと顔を上げると先程まで近くに立っていた給仕の姿がなくなっていた。
買収されたのね…。
もっと警戒をするべきだったと後悔する。
「貴様、ヴィオに何をした?」
「安心してください。彼女が飲んだのは毒ではありません。楽しい事を盛り上げる為の媚薬です。慣れてない人が飲むとちょっと大変な事になりますけど命に関わるものではありませんよ」
媚薬…?
どうしてそんな物を私に飲ませたというのだ。私を嫌い殺してやりたいと思っているのなら媚薬よりも毒の方が良いに決まっているのに。
熱に犯されていく身体をぎゅっと抱き締めながらテレーズを見据えた。
「なんで……そんなもの…」
「人殺しにはなりたくないのよ。それに衆人環視の中、恥ずかしい顔を晒すのは屈辱的でしょ?後は公爵家の名前にも泥を塗れるし、結婚前に処女じゃなくなれば醜聞にもなる。貴女を社会的に殺せるじゃない」
駆け巡る熱情を必死に抑える私を見下ろして嘲笑うテレーズ。彼女の後ろから両親と魔法省の人間が駆け寄ってくるのが見えた。
「この女を捕らえろ」
父の指示を受けた人達がテレーズを床に押さえつけた。
捕まったというのに彼女が余裕そうな表情を見せるのは私に媚薬の効果が出始めているのが分かっているからだろう。
「ヴィオ」
「んっ…」
駆け寄ってきた母に頰を撫でられただけで強い刺激が全身を襲った。完全に力が抜けてしまいレアンドルの支えなしには立っていられない。
「不味いわね」
「申し訳ない。近くいたのに警戒を怠った私のせいだ」
母に謝るレアンドルに首を横に振った。
「レアは悪くないわ…」
「ヴィオ…」
悪いのは媚薬を盛ったテレーズと注意を怠った私のせいだ。
レアンドルに抱き寄せられて自分のものじゃないような甘い声が漏れ出る。
「あははっ…!ヴィオ、酷い顔ね!欲情した女の顔になってるわよ!」
「この女を黙らせろ!」
「イヴァン殿下を奪って悔しがるあんたの顔を見たかったのに澄ました顔しちゃって!でも、今ようやくあんたの負けた顔が見れてスッキリしたわ!」
テレーズの言葉はどうでも良かった。
それくらい身体も、心も、思考さえ媚薬に蝕まれていたのだ。
奥深くから湧き上がる熱をどうにかしたくて縋り付いたのは私の愛しい人。
弱々しくしがみ付いて彼の胸元に頰を寄せれば柑橘系のいい匂いが鼻腔を擽る。
「エーグル公爵、ヴィオをお願い出来ますか?こちらは私達が引き受けますので」
「しかし…」
「こちらは大丈夫。それよりもヴィオを助けてあげてくれ。他の誰でもない君だからお願い出来るんだ」
両親の声が聞こえるがよく分からない。
そんなことよりもこの熱をどうにかして欲しい。
「レア…たすけて…」
か細い声で名前を呼んだ瞬間、浮遊感に襲われる。
くっ付いていた身体がさらに密着して、また甘ったるい声が漏れ出た。
「ここはお願いします」
「任せておきなさい」
「失礼します」
ダンスホールから長い廊下、そして控え室。変わっていく天井と一緒に見えたのは見たことがないほど必死な表情のレアンドルだった。
「ごめん、なさい…」
劣情まみれの思考の中、僅かに残った理性で謝ればレアンドルは申し訳なさそうに眉を下げた。
「君は悪くない。悪いのは君を好きになってしまった私だ」
好き?誰が誰を?
「私が君を好きにならなければ婚約する必要はなかった。婚約しなければ今日の披露式も催されず君は平和な毎日を送れていたのに」
理解が出来ない台詞の中で一つだけ分かることがある。
「レアに好きになってもらえて…嬉しい」
「ヴィオ?」
「私もレアが好きだから…」
今この時だけの偽りの愛だったとしても構わない。
好きな人が私を好きだと言ってくれるならそれだけで十分だ。
「ヴィオ、好きだ。今から君を抱く私を許してくれ」
寝かされたのは控え室のベッド。
「レアに抱かれたいの…」
全ての始まりの場所で深い口付けを交わした。
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