第37話 故郷
「どうして私をかばってくれたんですか?」
ウルバが狩りの準備へと去ったあと、ソルシエールはサン=ジェルマン伯爵に尋ねた。
「ふうむ。ここまで連れてきたのが私であるからには、問題は避けたいという説明では不満ですかな?」
自らの口髭を撫で付け、伯爵は嘯く。
もちろん、そうだろう。
彼らはここの人間と親しいようだ。関係を壊したくないのだろう。
しかし、それだけだろうか?
伯爵とタチアナの言動に、ソルシエールは含みを感じていた。
「ふふふ、まるで信じていない顔ですな。人見知りのお嬢さん」
愉快そうな顔をする。
連れてきてもらってあれだが、ソルシエールは内心穏やかではない。
「そんなわけでは。感謝しています」
ソルシエールの礼に、伯爵はにこりと頷いた。
「うむ。素直でよろしい」
そうして、方々に挨拶をしてくると、出ていった。
王都へトンボ帰りの必要があるのではないか。
「……」
ソルシエールはしかし、人狼族に親切に分けてももらったアザラシの肉をもっちゃもっちゃ食べていた。冷凍の肉である。一緒に食しているタチアナは慣れているようだが、ソルシエールには少し噛みにくかった。ちなみにソルシエールがお礼にと渡したハーブ類はいい香りがする、と喜んでもらえたようだった。
すぐさま帰ろうとしたソルシエールだが、あいにくの吹雪でソルシエールは彼らのシェルターに留まるしかなかったのだ。短ければ二時間ほどで出発できると言う。
タチアナは、誘拐したのが王女であれば、赤ずきんは意味もなく傷つけられないだろうと言っていたが、それは必要さえあれば人を傷つけるという意味だ。赤ずきんが力で負けることはないかもしれないが、魔法を使われたらどうなるか分からない。
はやる気持ちを抑えて、自分に言い聞かせる。
そうだ、ひとまずアルチュールらにかけられた魔法を解かなければ。
ウルバに声をかける。
「迷惑をかけてすみません。魔法を解いたら彼らは連れ帰ります」
ウルバは、
「本当か」
とみるみる顔を輝かせると、
「それならいい」
と破顔した。
「近くにトナカイを飼っている一族がいるから、必要なら声をかけてやる」
親切にそんな申し出までしてくれた。
よっぽど彼らの対応に疲れ果てていたのだろう。
アルチュールらの記憶は明らかに操作されている。魔法が使われているのも感じた。きっと改ざんされた記憶を取り戻すことが、ソルシエールが赤ずきんを見つけるための助けとなるだろう。なにせ本当に失踪に王女が関係しているのかさえ定かではない。
ようやくその事に思い至る。
しかし。
「だーかーらー、俺らに魔法なんてかかっているわけないだろう! どこをどう見たらそんな処置が必要に見えんだよ」
ところが、魔法にかかってなどいないとアルチュールらは主張して聞かないのだ。その反抗の仕様は、いかつさも相まってさながらチンピラのようでもある。生まれも育ちも山とあって、根っからの猟師なのだ。それはもう、勇猛ではあれど、優美さとは縁遠い。
最初はやさしく説明していたソルシエールだが、だんだん丁寧な対応をするのが面倒になった。
「ですから。言っているでしょう。自分に呪いがかかっているのことを気づかない場合だってあるんです。病態失認のようなものです」
「俺たちが病気だって言うのか!」
「ああああ、もう…」
舌打ちをする。
「行儀悪いぞ、おい」
「だれのせいだと思ってるんです」
ぐるりぐるりと目を動かして、とりあえず口先を動かす。
「いいですか。今から呪いの特徴を言いましょう。これが出ていたら、あなた方は呪いにかかっている可能性が高くなります。もしあなた方のうちの一人にでもこの症状が出ていたら、解呪の魔法を受けてください」
それに血の気の多い男たちは受けてたった。
「おう。言ってみろや。その代わり、なんにもなかったら謝ってもらうからな」
「はいはい」
ソルシエールは、顎に手を当てて、喋り出した。
「まず、そうですね。鼻血」
びく。
さっそく、六人のうちの一人が反応した。
反応した人間のすぐ隣にいた者が微妙に距離をとる。
「それから、妙に体があつい感じがしたり、動悸がする」
「え…、うそだろ」
「これがひどくなると、下痢が止まらなくなります。ここまで来ると最後までもうあと一歩です。湿疹が出て、世にもおぞましい終焉を迎えます」
各々心当たりがあったのだろう。さっきまでまるで信じていなかったくせに、今ではまるでウサギのように不安そうな顔をしてお互いの顔を見つめている。
「ですが、見た限り湿疹まで行った方は幸いにしていないようですね。さて、心当たりは?」
「も、もし、こ、これが続くとどうなるんだ?」
問いかける声は震えている。
「最後にはぶよぶよに肉が溶けて死にます」
一団を代表してアルチュールが、進み出た。
「お、おう。確かに心当たりがないでもない。本当に、この呪いは解けるのか」
できる限り神妙な顔をして頷いた。
「協力していただければ」
「お、おう。分かった。なんとかしてくれ。いいだろ、みんな」
アルチュールに男たちはそれぞれ頷いた。
「あ、ああ…」
「わ、分かった」
ソルシエールは準備に取り掛かる。
「はい。できるだけ早く取り掛かりましょう」
男たちは毛皮に直接腰を下ろし、小さな円を作る。
魔女は荷物からパセリ、セージ、ローズマリーにタイム取り出すと、
「いいですか。できるだけ心を空にしてください」
軽く声をかけると、輪の周りをぐるぐる回る。
ハーブのいい香りが辺りに漂った。
呪文を唱える。
「『風よ、旅人のコートを剥ぎ取って。中に眠る愛しいネズミを揺り起こして』」
氷に反響する柔らかい声。
同時に室内に、微かに風が舞う。
心を撫でるような、柔らかい風だ。
その風が穏やかに、奥深くに眠る記憶を呼び起こしていく。
男たちは、どこか切なそうな、忘我の表情を浮かべた。
「あ、赤ずきん!」
風が収まるより先に、ふいに一人が、声をあげた。
ぐるん、と首を回すような勢いでソルシエールに詰め寄る。
「ま、魔女さん。魔女さんじゃねえか。あ、赤ずきんが、赤ずきんが…、誘拐された!」
それに他の人間もわらわらと追従する。
「お、俺たち、ここの人狼族に会いに行こうと、森の中を進んでいたんだ。それで、ええと…」
ソルシエールは男たちをなだめる。
「赤ずきんとあなた方以外に、他にだれがいたんです? 徒歩でここまで来たわけではないでしょう?」
「そう、王都から犬そりの業者に連れてこられたんだよ。あいつらどうしていないんだ?」
「お前たちがここにきた時には、他にはだれもいなかったぞ。何度尋ねても、歩いてきたと言い張っていた」
ウルバが言う。
「ああ、そうだ。案内人が道を逸れたらしいんだ。赤ずきんが『なにかおかしい』って言っていたが、案内人はなんども道を行き来をしてきたプロだと言うし、任せろと言うんで、そのままにしていた」
「気がついたら、案内人がいなくなっていた。そしたら急に、女が現れたんだ。攻撃してきたから反撃しようとしたとこまでは覚えている。だが、そのあとの記憶がねえ」
そう口々にまくし立てている。
「相手の顔は?」
「ええ、と。若い女だったような」
「髪の色は?」
「薄い……金? あれ?」
「ううん。黒じゃなかったか?」
「そう、だったか?」
ソルシエールは首を振ると、地下の事務室で拾った薬莢を彼らに見せた。
「これ。あなた方のものですか?」
アルチュールは、ウインナーのように太い指で、ちょこんと薬莢をつまむと、首を振った。
「いや。これは、対人用の弾だよ。猟師はこんなもの使わない」
「というと?」
「警察とか、軍じゃねえか? この国は一般人が銃を持つのに何枚もの許可証が必要って聞いたぞ」
一人がふと気がついたように叫んだ。
「そういや、ほんとに呪いは解けたのか? 俺たち死ぬんじゃないだろうなあ」
掴みかからんばかりの男たちに、冷ややかな声をかけたのはずっと事態を見守っていたタチアナだった。
「下痢に鼻血。旅につきものですね。食べなれない食事をしていることだし。それにあなた方さっき酒を飲んでいたではないですか」
その通りだった。
「ハッタリが上手ですね。魔女さん」
ソルシエールに微笑む。
「は? じゃあ死ぬって」
アルチュールが唖然として呟く。
「嘘ですよ」
ソルシエールが答えた。
「なんだって」
「騙したな!」
「この嘘つき」
「俺の純情を返せ!」
騒ぎを聞きつけてひょっこり顔を出した伯爵が話を聞いて、ケラケラと笑う。
「魔女よ、国のものではない珍しい呪いを知っているのだな」
魔女が肩を竦めて答えた。
「旅が趣味なので、立ち寄った土地のものを収集するのが好きなんです」
ソルシエールを批判していた男たちだが、
「あ、……メジーに怒られる」
一人がそう呟いたことをきっかけに、一斉に青い顔になった。
「俺たち、生きて帰れるかな」
「生きては帰れるだろ」
「帰った後に殺されるんだよ」
「赤ずきん。……ごめんよ」
はあ、と葬式にでも参列しているような顔をしている。
アルチュールもどこか縮こまって、ソルシエールに軽く頭を下げた。
「俺たち本当に呪いにかかってたのな。申し訳ねえ。赤ずきんまで拐われちまって。メジーにもなんて言えばいいやら」
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