第50話 彼女の選択
「まあ。こんばんは」
目をまるくした白雪ごしに、男の視線がすばやく家の中を物色する。
「お一人ですか?」
「え? ええ、まあ……」
反射的に白雪はそう答えた。
「こんな時間に歳若いお嬢さん一人とは。不用心なことだ」
「ええ、同居してる小人さんたちの帰りを待っているの。あなたは?」
男の着こなしを白雪は昔、とおくから見たことがあった。
その服装は、ところどころ泥によごれて、よれている。
紺のフロックコートに、紺の帽子。鈍く光る金のボタン。
襟首には白百合が刺繍されている。
鍛えられた体躯に、腰の拳銃。
警官だ。
しかし、ブランシュ王国において、もはや軍が正常に機能していない以上、その下部組織であった警察も瓦解している。まともな組織は崩れてなくなり、残ったのは腐った部分だ。そんな中、警官の格好をしている人間というのは、あからさまに、怪しい。とても、怪しい。
じろり、と男が白雪を見た。
「ここに魔法使いが来なかったか?」
白雪は謙虚に俯いてみせる。
「いいえ。ここにいるのはわたくしと子供達だけよ」
「家を改めさせてもらっても?」
男は目線を白雪から反らすと、どこか高圧的に言う。
白雪は困ったようにやんわり、顔をしかめてみせた。
「いやよ、入られては困るわ。留守を預かっているのだもの」
「……」
「……ねえ、ところで、その魔法使いってなにをした人なの?」
男は白雪の質問に、顔をしかめた。
「魔法使いなんて言い方すら生ぬるい、バケモノだ。村を一つ滅ぼした稀代の人殺しだよ。最近も魔法使いが一人やられた」
「え」
白雪は目を見開く。
嫌な考えが頭の中を駆け巡る。
自分が家に招き入れた者は、さきほどまで普通に会話をしていた者は、果たして本当に信用に足る人間だっただろうか?
すくなくとも、白雪を傷つけないと言い切れる人物だったか?
本人が言っていたではないか。魔法使いの数はすくない、と。白雪のような人間だって、魔法使いに会ったのは初めてだ。そんな特殊な人間が、なんにんもこの田舎をうろついているはずもない。
それならきっと、人殺しの魔法使いというのは─────、
背筋が凍る。
「こわいのね……。そんな危ない人、この辺にいるの?」
口の中が乾燥してはりつく。
「だいじょうぶか? 顔色が悪いようだが」
白雪は弱々しく頷いた。
白雪はあちこちに散漫になる意識をどうにかしようと、そっと息を吐く。
そう、目の前にいる相手だって信用できないのは同じなのだ。
「ねえ、派出所がある町からここまで、結構遠いわ。この辺の見回り、してくれる?」
「声を掛けてはおくが、頻繁には来られないだろう。自衛を心がけてくれ」
「そうよね。分かったわ。ねえ、警察官のお兄さん」
「なんだ?」
「なんで白百合をつけているの?」
相手は、周囲にだれもいないというのに、白雪に顔を寄せ、まるで内緒話みたいに声をひそめた。
「お嬢さん、合言葉は知っているか?」
白雪はそっとささやき返す。
「合言葉? なんのこと?」
「……旧体制派を探しているんだ」
「まあ、合言葉なんてあるの? そんな人たちまで、この辺にいるのかしら。ほんとうに、こまっちゃうわ。この辺でバタバタされたら」
しおしおとおどけて微笑んだ白雪に、警官も得体の知れない笑みを浮かべた。その目は、どこかこの世のものでないなにかを見つめている。
「お嬢さんは、王党派かな、共和派かな?」
白雪は首を振る。
「なんでもいいわ。人が幸せに暮らせるのなら」
「女性というのは、やはり政治に興味がないものかな。もっと勉強するといい。田舎でも知識はだいじだよ」
「うん、わかったわ」
「王党派は見つけ次第、摘発する必要がある。この白百合は囮なんだ。まあ、よかった。さすがにお嬢さんみたいな若い方を連行するのは心が痛むからな」
「まあ」
「ああ、よかった。よかったよ」
白雪は曖昧にほほえんだ。
警官は満足したようなそぶりで、少し帽子を持ち上げて見せた。
「では失礼する」
「ええ」
背を向けて去っていく警官を、白雪はじっと見つめた。
*
「怪しいと思われたかな。なにせ君は雰囲気が上品すぎる」
そっと家の扉を閉めた白雪に、ハンスは話しかけた。
いつの間にか、ベッドの上に腰掛けている。
「ええ、…そうね。ねえ、どうしてさっきの方はあなたに気がつかなかったの?」
「そこの窓から出ていた」
そう言ってハンスが寝台横の窓を指差す。
「窓って……」
たしかに、窓はひらき、わずかに隙間が空いているが、とても人間がすり抜けられるような空間はない。
「よく人は、私を蜘蛛のようだと言う」
白雪の困惑をみて、からからとハンスが笑う。
それから、退屈そうに頬をついて、白雪を見上げた。
「どうして、私を突き出さなかったの? 怪しいでしょう」
ハンスの口元は弧を描いている。
しかし、その目は笑っていない。
「……なんでかしら。ねえ、どうして、人をころしたの?」
「さあ?」
「……」
「ねえ、白雪。私は悪人かな? もしかしたら、君は私に殺されるのかも?」
ハンスが初めて白雪の名前を呼んだ。
声には嘲笑が混ざっている。
でも、不思議とそこまで怖くない気がする。
警官にその話を聞いた時には確かにあったはずの恐怖と怒りが、どこかへ消えている。
それがなぜかは白雪には分からない。
ハンスが弱そうに見えるからだろうか。
それとも、その独特の声のせいかもしれない。
「人を殺すのは、いつだって正しくない事だわ」
毅然として見えるよう願いながら、白雪が答える。
それでも、声は少しふるえた。
ハンスはにっこり笑った。
「うん。そのとおりだ」
「…………」
「人を殺してはいけない理由はたくさん作れるけれど、ひとつ確かな事は、人というのは概ね不利益を避けるように設計されているという事だよ。人は自分にとって不利益な行動を悪と呼ぶ。人にとって近類種を殺すのは大抵、不利益を意味するんだ。きっとね」
「でも、あなたは人を殺したのでしょう?」
「その通り。殺人は正義になり得ない。正しくないやり方で私は問題に対処した。私がそうしたかったから」
「……罪を自覚しているからといって、許されるわけではないのよ」
ハンスはすっと真顔になり、じっと白雪を見つめ返す。
「……」
「……」
たじろぐ白雪に、ハンスは頬を緩めた。
「そうだろうな。ありがとう」
「え?」
ハンスはそっと目を細めると、カラカラと笑い声をあげた。
「随分と悠長な会話だなあ。君、つぎに危ない人に遭遇したら、相手をせず、救わず、すたこら逃げることをお薦めするよ」
「え?」
その言い方がどこかさみしそうなものだったので、白雪は瞬間、優しい気持ちになった。
だというのに、ハンスはそれから、まるで教師のような調子で言ったのだった。
「君みたいなのは、純真でないやつの神経を逆撫でする。私みたいなのに関わったこと自体、君にとって本当によくない」
ちちち、と指をふる。
「よくない?」
「そう。相当よくない」
「相当」
「まちがいないね」
調子に乗るハンスに、白雪はなんとなくムッとした。
腹がたつ。
これは白雪の人生で滅多にない事だった。
ハンスの隣に、ぽんと腰を下ろす。
「あのね、ハンス。うるさいわ」
「は?」
その黒い瞳がふしぎそうに揺れた。
「……あなたの事情を教えてよ。わたくし、あなたの事が知りたいの。間違いだろうがなんだろうが、秘密主義にはうんざり」
「え……? 知りたいの?」
「そうよ!」
「そっかあ」
ハンスは目を見開いたまま、ぴたりとおし黙る。
そのほっぺた、引っ張ってやろうかしら。
温厚な白雪がそう思うくらいには、沈黙したあと、ようやくハンスは口を開いた。
「まあ、そうだよね。どうも罠にかけられたようなんだ」
「罠?」
「私は、ちょっと前まで西の方の国で、夜な夜な悪夢を見るっていう女性の依頼を受けていた。ゲルベに来たのは、稀代の魔法使いが魔術師殺しを行なった、と伝え聞いたからだ。でも、これはおかしな話でさ」
「どうして?」
「容疑者である稀代の魔法使い本人、つまり私は別のところにいて、殺人は不可能だった。死体を見た限り、どうも遠隔操作で殺されたわけでもないみたいだし。あれは結構手順がいるし、ややこしいんだ」
「あなた、そんな風に、呼ばれているの?」
「通り名みたいなもんだよ。魔法使いの本名は知られていない事が多い。名前というのは、魔法使いになると、なんというか、ボヤけるんだ。でも、それじゃ話にくいから、代わりに適当に呼ばれる。人によっては二個も三個も呼び名を持っていたり、他の魔法使いのものと混ざったりしている。私も稀代の魔法使いだの、稀代のバケモノだの、色々だ」
「さっきの人は稀代の殺人鬼って……」
「それに関しては、まあ、色々あるんだ。あまり話したくない」
白雪は顔をしかめる。
白雪は、どうもこの人物にかくしごとをされるのが気に食わない。全部、暴いてやりたくなる。なんでこんなに気になるのだろう?
囁き声が聞こえた気がした。
『当然じゃない。だって、ようやく見つけた─────、』
他の誰でもない、白雪自身の声だ。
これ以上、考えてはいけない気がした。
背筋がぞわりとして、声を追い払うべく首を振る。代わりに、努めて明るい声を出した。
「それがどうして警察の格好をした人に追われるハメになるの」
「どうしてだろうね? 私がのこのこデコイにおびき出されたマヌケなのは確かだけど、いろいろ一応対策はしたんだけどな。まあ、魔法を使わずに追跡されたら気づけない。遊覧船に乗っていたら、突然攻撃されたんだ。気付いたらこの国さ」
「どうして? あなたを罪人として捕まえようとしているの?」
「この国は革命を起こしたせいで、他国と交わしていた犯罪者の受け渡しの協定を破棄されてたね、そういえば。でも、この国で犯罪を犯したことはないな」
「…………」
「魔法使いだって異端であれど、犯罪者じゃない。魔女狩りなんていう前世紀的な事態に遭遇するなんて想定外だよ」
「なにそれ」
「ねえ」
ハンスが明るい声を出す。
「君の言う、小人たち。本来ならとっくに帰ってきてる時間なんだろ? 鉱山まで遠いのか?」
「そんなことはないけど」
「なら、」
ハンスは機嫌が良さそうに、にっこり笑った。
「一緒に迎えに行こう」
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