第49話 私は林檎を食べる

 力のない白雪はローブをずりずりと引きずり、家まで運んだ。

 入り口脇の白雪の寝台にローブの相手を横たえる。

 それから、引きづられてもうめき声一つあげなかった不審者の手当をした。

 擦り傷と切り傷であちこちから血を流していたものの、深い傷はない。白雪は消毒し、包帯を巻いておく。


 それから、ようやくほっと一息ついた。

 まじまじと相手を見つめる。

 目の前にいるのが一人の人間であるという事実に、なんだか楽しい気分になった。今のこの人間は圧倒的に、無力で、無抵抗だ。

 耳にかかるかどうかの短い黒の髪。毛先がくるくるしている。

 瘦せぎすの細い体。枯れ枝のようだ。

 どことなく全体的に生命力がうすく見える。顔色がわるいせいかもしれない。

 なんとなく白雪は、はやく相手の声が聞きたい、と思った。

 手持ち無沙汰に白雪が相手の髪を弄んでいると、くぐもった声がした。


「……なんで笑ってんの」


 どうやら目を冷ましたらしい。

 さっと手を離して、白雪も聞き返す。


「どうして、ひどい傷だったのに、言わなかったの? 気分はどう?」


 相手は緩慢に、瞼をあげる。

 どこかぼんやりとした視線。

 しかしその声は、からかいを含んでいる。


「言ったところで、あんた、見知らぬ他人を助けるつもりがあったわけ?」


 ゆったりとした動作。包帯の巻かれた頭を撫でる。


「……あったわけだな」


 どこか不満そうだ。

 ゆっくりを上半身を起こす。


「ええ、もちろんだわ! 誰だってそうするでしょう?」

「どうかな?」

「そうだわ」


 不審なものを見る目つきをした浮浪者は、ふんと皮肉っぽく鼻を鳴らすと、にいと唇を釣り上げた。


「それならどうしてこの国はこうなった? みんな貧困と恐怖にあえいで助けを求めていると聞いた。あんたが言うようにみんなが助け合っているのなら、こんな問題、とっくに解決しているんじゃないか。やーい偽善者め」


 その歌うような調子に、白雪は頬を膨らませた。


「むずかしい事はわからないけれど、」

「……、そんなに難しいこと言った?」


 目を見開いて、くるりと黒目を回して見せる。

 怪我をしているのにずいぶん元気だ。


「もう、まぜっかえさないで! いまわたくしの前にいるのはあなただわ。他の人じゃないの! 友だちが助けを求めているのに、見捨てるわけないじゃない!」


 相手が顔をぴくりとひきつらせる。


「……友達?」

「ええ、そうよ!」

「お互いの名前も知らないのに? そもそも会ったばっかじゃん」

「関係ないわ。ねえ、わたくし間違ったこと言ってる?」

「……いいや」

「でしょう?」 

「……なんなんだろう、訳がわからない」


 相手は顔を引きつらせた。その目線はいやそうに逸らされる。


「ねえ、あなたの名前は何て言うの?わたくしは白雪よ」


 笑顔で詰め寄る白雪に、浮浪者は黙り込む。

 その様子を見て、白雪は無邪気に小首を傾げた。


「あなた、もしかして名前がないの?」

「……」


 返事はない。

 眉を下げていた白雪は、やがて、ぱっと顔を輝かせた。


「なら、わたしがつけるわ」


 その言葉にようやく白雪を横目でちらりと見る。

 それから、不承不承、と言った様子で口を開いた。


「いやだ、……ハンス」

「え?」


 白雪はその大きな目を見開いてきょとんとする。

 それに対して相手は念を押すように、繰り返し、そして今度はゆっくりはっきりと発音する。


「名前。ハンス」

「まあ、すてきな名前ね!」


 白雪がにこにこ笑う。ハンスは顔を思い切りしかめるが、めまいがしたのか、ふう、と息を吐き出すと、壁に身をもたれかけさせる。


「まあいいや。なんか疲れたな、やたら。……早く、ここから出ないと」

「どうして? ここは安全よ。今動いたら傷が悪化しちゃうわ」


 それには答えず、白雪に質問をした。


「ここはどこ?」

「小人さんたちのおうちよ」

「小人?」

「そう、みんな一緒の村出身だから、いっしょのおうちに住んでいるんだって」

「へえ?」

「え?」

「ここはどこの街?」

「街じゃないわ。鉱山横にある家なの」

「鉱山? ゲルベの国境近くにいたはずなんだけど。ということは国を渡っちゃったのかな」

「国境はすぐそこだけども、たしかにブランシュ王国よ。ねえ、あなたは悪人? それともいい人? それとも亡命者?」

「とっ散らかるなあ。悪人が素直にその質問に答えると思う?」

「思わないけど。知らない人だもの。怖いじゃない」

「さっき友人って言ってなかった? 移り気なんだな。まあ、いいや」


 ハンスは白雪をじっと見つめた。


「あんたにとって、魔法使いは悪人?」

「さあ、何人かの魔術師しか知らないわ。とっても珍しいもの」

「魔術師は術式で魔法を使う人間のことだよ。魔法使いとは別だ」

「じゃあ、知らないわ」

「噂話くらい聞いた事があるでしょ?」

「うん。でも、噂話が本当だとは限らないし……、ハンスはきっと強い魔法使いなのね」

「どうして?」

「カルト集団が魔女狩りに報酬を出しているって聞いた事があるもの。弱かったら、素直に自分がそうだと話さないでしょう? 自分の身分を隠すわ。あなたはちょっと捻くれているけど、きっと強いのだわ」

「ははっ、私があんたを信用したのかもしれない。なにせ、助けてくれた恩人のようだから」

「そうなのかしら?」


 ふふふ、と白雪はほほえんだ。

 ハンスもほほえみを返す。


「別にそんなに嘘でもないよ」


 それから、髪をかきあげる。


「……そうだね、私は強くない。でも、逃げることは、わりと得意なんだ」

「十分すごいことだわ」

「ふーん?」

「ねえ」


 白雪がハンスに詰め寄る。


「な、なに?」


 とりあえず引き止める理由を見つけた白雪はにっこり、提案した。


「あのね、お菓子はすき? 甘いりんごのコンポート、食べるでしょう? わたくしが作ったの」

「え、う、うん」


 ハンスは目を白黒させる。

 その間にも白雪はてきぱきと動くと皿にコンポートを装ってきたのだった。


「ごめんなさい、このおうちにはナプキンがないの」

「そんなの気にする身の上に見える?……ありがとう」


 ふしぎなものを見るように、まじまじと皿によそわれたコンポートを凝視すると、おそるおそるスプーンでよそう。


「あのね、毒ははいってないわ」

「別に疑ってないよ」


 白雪は餌付けでもするような気持ちで、目の前の魔法使いが顔をほころばせるのを見た。


「甘い」

「ふふっ」

「おいしい。……こんなおいしいもの久しぶりに食べた」

「もっと食べて。ねえ、傷が治るまでここにいればいいわ」


 たのしそうに白雪は差し出す。

 ハンスは笑った。










 その日、とっぷりと日が暮れても、小人たちは家に帰ってこなかった。


「どうしちゃったのかしら」


 とっくに夕飯の準備を終えた白雪が、そわそわと落ち着きをなくす。だれに言うでもなくつぶやく。ハンスは壁に背をもたれかけて、目を伏せてぼんやりしている。考え事をしているのかもしれない。


「いつもはもう帰ってきている時間だわ」

「……客人だ。どうする?」


 ハンスが呟いた。


「え?」


 どういう意味、と白雪が聞き返すより先に、扉を叩く音がした。

 ぱあ、と白雪の顔がはなやぐ。


「帰ってきたんだわ。あ、ハンスはそのままでいてね」


 それだけ言いつけると、相手がだれかを確認する事もなく、白雪が寝台横の扉を開けた。


「こんばんは。失礼する」


 低い声。

 そこにいたのは、小人たちではなかった。

 頭二つ分も白雪より身長が大きい、白髪の男が、出迎えた白雪を見下ろす。

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