第25話 笛の誘惑

 ソルシエールたちが抜け出した先は、城の城壁の外、厩のすぐ横だった。夜明けが近い。空には雲のようにうっすらと白い月が浮かんでいる。

 馬房では、馬が呑気に草を食んでいた。

 干し草の匂いが、そこが確実に『外』であることを告げている。


 ソルシエールは赤ずきんを探す。

 彼は、ソルシエールを見ていた。その口は不満そうにむっつりと引き結ばれている。ソルシエールは赤ずきんの全身を見回し、怪我がなさそうなのを確認した。

 オーギュスターブ警部とアーノルドは何がなんだか分からないとキョロキョロ周囲を見回している。


 ソルシエールは、


「ちょっと出てきます。赤ずきんもここにいるんだよ」


 それだけ言い残し、ひとり、森の中に分け入っていく。

 空気が肌につめたい。

 しばらく草木の生い茂った坂を下る。

 すると、笛の音が聞こえてきた。

 その音の元へと辿る。

 たどり着いたのは平地だった。


 鹿の群れがいて、悠々とくつろいでいる。その真ん中にいるのは、二人の男女の子供だった。小柄なソルシエールの腰ほどの背丈しかない。彼らは獣と戯れている。

 笛の音はその付近の大きな杉の木から聞こえている。

 その木のひときわ太い幹に、大柄な男が腰かけて、ひょろひょろ笛を奏でている。大きな黒のローブが枝から垂れてひらひら揺れた。


「兄さん」


 人間の声に驚いた鹿たちが跳ね、駆け出して行く。

 男は、ゆったりとした動作で下を見下ろした。

 その目はソルシエールを捉えると、ぱっと笑みの形に変化した。


「あははは。さっきは再会を喜ぶ暇もなかった! 妹よ。大きくなったな」


 笛から口を離し、大きな口を開けて笑う。


「兄さんこそ、あちこちで問題起こしてあいかわらず人生楽しそうだね」


 この男は魔術師だった。ソルシエールの兄でもある。

 ぼさぼさの鳥の巣みたいな頭に、どこかひょうきんな顔。

 いかつい体格をしているという点で差はあるが、その顔立ちから二人に血の繋がりがあることは明らかだった。

 再会したのは、本当に偶然だった。

 同業者が少ないせいでもある。


「その子供たちは?」


 すとんと木から飛び降りた兄に、子供たちが駆け寄ってくる。

 魔女からその身を隠すように、彼の足にしがみついていた。


「この前どこかでネズミ退治を頼まれた時の報酬なのさ! かわいいだろう? 弟子にしたんだよ」


 ソルシエールは魔術師を無視し、子供達と目線を合わせるためにしゃがみ込む。小柄のソルシエールの腰ぐらいしか背丈のない小さな子供たち。どちらも極端に細身だ。


「だいじょうぶ、君たち。ご飯食べれてる?」


 子供たちは控えめに首をたてに振る。


「あまりうまく言葉をしゃべれないんだ」

「ふうん?」


 エラ嬢から頭に火かき棒を受けたあの瞬間、ソルシエールは城から抜け出した。その時に、魔法を使って城の中に侵入しようとしていたこの魔術師と鉢合わせたのだ。災難に巻き込まれてむかむかしていたソルシエールに、兄はなぜか胸を張って説明した。


『ただの気休めの呪いに随分金払いのいい客だったんだ。令嬢の魔法に対する適応力がやたら良さそうだったから、少し土地を離れてたんだが、気になって戻ってみたら、こんなことになっているなんてな! 俺まで侵入ができなくてびっくりしたぞ。まさか自分のかけた呪いに自分が弾かれるなんて。ははは』

『は?』


 再会時を思い出して思わず睨みつけるソルシエールに、彼女の兄は朗らかに笑う。


「うん、うまく収束したんだろ? よかったぜ!」

「収束? もしかしたら彼女、この城にずっといることになるかもしれないんだけど」

「……? それは問題なのか?」

「そうだよ。多くの人にとって、それは問題とされることなんだよ」


 問題とされるのはむしろピエールの消失の方だが、別に教えてやる義理もない。


「そうか!」 


 なぜか嬉しそうににっこり満面の笑みを浮かべる。


「まあ、お前がいたんだろ? なら、いい方に転がるさ!」

「なにその自信」

「飲み込まれたっていう人間も、噛み砕かれてなきゃ、そのうち出てくるだろうよ。同化したくても、どうしたってできないだろ。ちがう人間なんだから」

「……なん年後の話をしてるの」

「生きてれば時間なんて関係ないさ!」


 はあ、とため息をつく。

 常識外れの兄と話していると、うっかり引きずり込まれそうになるのだ。彼のしゃべる妄言に、それもそうだな、と納得していると、あっという間に人間社会から引き離されてしまう。


「まあ、依頼主である、エラ嬢の母親の記憶をくれて助かったよ」

「妹が困ってたら助けるのは当たり前だろ!」


 妹に尻を蹴られて、この魔術師はエラの継母の記憶を差し出した。エラ嬢に呪いをかける時の対価の一部だったらしい。その上大金までせしめているのだからがめついことだ。

 意味わかんない、ソルシエールはふくれる。


「ほとんど兄さんのせいだけどね」


 森の木々が揺れる音がする。

 そして、遠くから、ソルシエールを呼ぶ声も聞こえてきた。

 赤ずきんの声だ。

 切り上げ時だと判断したのだろう、兄が笑う。


「ほら、可愛い妹。仲間が君を呼んでいる。俺もそろそろ行くとしよう」

「そう?」

「子供を攫ったって、難癖つけられて追っ手に追われているんだ。逃げねば!」


 楽しそうにケラケラ笑う。


「あのさ、」


 小言を言おうとしたソルシエールにすかさず、


「また会おう」


 彼はにこやかにそう宣言すると、大きく腕を振り下ろす。

 次の瞬間には、その姿は煙のごとく消えていた。子供たちの姿もない。


「逃げたな……」


 ソルシエールは舌打ちしながらも、森を抜けて、彼女を呼ぶ声に合流する。馬房の横に、一緒に抜け出た三人以外に、ピエールと見知らぬ少女がぴったりと寄り添っていた。

 金の髪を流した美しい少女だ。


「どこに行ってたんですか?」


 尋ねたアーノルドに、


「ちょっと所用で」

「このタイミングで?」

「まあ」


 適当に返事をした魔女は、少女をまじまじと見つめ、首を傾げる。


「ふーん。生きることにしたんだ」

「ああ、お前のおかげだ。ありがとう。城の中で使用人たちも転がっていた。気絶していたが、生きている。助けてくれたんだろう?」


 ピエールが魔女に礼を言うと、魔女は皮肉げに笑った。


「私はなにもしてませんよ。……それで、いいの?」

「ああ。俺は選んだ」

「そう」

「王にもすまないと、伝えておいてくれ」

「…………」

「俺の優先順位は変わってしまった。でも、俺は欲張りなんだ。だから、できることなら全てを手に入れたいと願ってしまう。……俺は足掻くよ。たとえ大事なのがエラでも、信頼してもらえるように。それが俺の答えだ」

「今回たまたまうまく行っただけで、ずいぶん強欲だな」

「そうだよ、きらいじゃないだろ。こういうの」

「そうだね、きらいじゃない。それに君が強欲なのは元から知っていた。女ず、……なんでもない」


 余計なことを言いそうになって、首を振る。

 代わりに、ピエールとエラ嬢につかつかと近づいた。

 エラ嬢はぐったりと疲れているが、それでもその光り輝く美しさは隠しきれていない。

 ソルシエールは逃げる間も与えず、エラ嬢の白魚のような手を取った。


「い、いや、な、なに?」


 怯えて後ずさろうとする彼女に、魔女が告げる。


「引きずり戻した責任の一端が私にもあるからね。いつかあなたが再び望むなら、今度は私が、塵一つ残さずこの世から消してあげよう。魔女の名において、それを誓う」

「え?」

「『森の魔法使いソルシエール』。この名前を忘れない限り、この魔法は効力を持ち続ける」


 魔女が名前を告げた途端、淡い光が二人を包む。


「これは、呪い?」


 発光に怯える少女に、魔女は微笑んだ。


「ヒ、ヒッ」

「ふふ、まさか。これから辛いこともあるだろう。本番はむしろ、これからだからね。だから、お守りがわり。結婚の祝福だよ」


 光が徐々に収まる。

 魔女は、興味をなくしたように、ふいとエラの手を離す。そして、赤ずきんの方へと戻っていったのだった。

 エラは目を瞬かせた。

 そのほっそりとした手はいつの間にか花束を握りしめていたからだ。

 大輪の白百合のブーケだった。



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(最後のおまけ)


「君は、この街の市民ならだれもが平等に扱われるべきだと思うかね?」


 あれから、何年経っただろうか。

 新しい部下ができた。

 アーノルドという名前の、若造だ。

 青臭い彼は、私の質問に、はっきりと頷いた。


「ええ、そう思います。身分も職業も人種も関係ありません。大切なのは、どう生きてきたかではないでしょうか、オーギュスターブ警部」


 私は、ようやく素直に頷くことができた。


「ああ、私もそう思うよ」

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