第5話 人の夢と疑心
なんとも剣呑な空気の中、馬車は道を進む。
時折休憩を挟むが、御者も異様な雰囲気を察知したのか、それとも元々口数がすくない性質なのか、言葉すくなだ。
一日経って、旧ペロー領に入っても、それは変わらない。
不安気な天気。畑と森が延々と広がる平坦な田舎道。かたかたと不安定に揺れる馬車の中、魔女はぼけーっと放心し、警部はむっつり不機嫌そうに黙り込み、アーノルドはそれを見て一人おろおろ気まずそうな顔をしている。ただ一人、赤ずきんは熱心に外を眺めたり、せまい車内にいるのに飽きると屋根に登ってとおくを見回したりと楽しそうだ。
途中からアーノルドは、魔女と警部の仲をとりもつことを諦めたのだろう、赤ずきんに話を振りだした。その方がよっぽど建設的なのも確かだった。
「きみも魔法を使えるの?」
外をぼんやり眺めるソルシエールの隣に、行儀よく座った赤ずきんが首を横にふる。
「おれは猟師なんだ! 銃とナイフが商売道具さ」
「へえ、じゃあどうしてソルシエールどのを『師匠』って呼んでいるんだい?」
「それは、…うーん。師匠は師匠だからだよ」
答えにならない答えにアーノルドは苦笑した。
「そうなんだね。…そういうものなのかな?」
ソルシエールが一応補足する。
「昔から、勉強を教えていたりするので。たぶんその名残なんです」
「ああ、なるほど」
眉をしかめたオーギュスターブ警部とはちがい、アーノルドが納得して頷いた。
「自分も昔は家庭教師がいたなあ」
「へえ…」
そんな世間話の最中、急に赤ずきんが立ち上がった。
せまい車内で立ち上がったものだから、身を屈めるようにしている。
「赤ずきん?」
ソルシエールの呼びかけに、
「しっ」
とだけ応えると、じっと目を閉じてなにかに集中した。
しばらくして、真剣なようすで、
「なにか、ヘンだ。音がする。これは…、生き物かな。こっちの方角に近づいてきているよ」
と告げる。
「大量だ」
その言葉にソルシエールは、すぐさま自分の手持ちのスーツケースを座席に広げた。中に入った大量の白い小包にアーノルドが驚いたように目を見張るが、
「どういうことだい?」
すぐに、赤ずきんに発言の意味を問う。
それに応えたのは、はっ、という見下すように息を吐き出す音だった。
「移動中にそんなことが分かるものか。だいたい、この周辺は農耕地ばかりだ。そんな大型の動物が住めるわけないだろう。やはり魔女の手下など信用ならんな」
「警部、早計すぎます。ここは国境近くです」
人間かもしれない、と顔を強張らせるアーノルドに、
「手下じゃないよ」
赤ずきんも不満を示す。
ソルシエールはひたすら作業を続けた。
その無反応ぶりが、警部には不満だったらしい。
「信じられるか」
と腕を組んで、寝たふりを始めてしまった。
ソルシエールはポケットに詰め込めるだけ薬を詰め込んだ後、皮のスーツケースをしめると、馬車の窓をひらき、そこから身を乗り出してよたよたと屋根に乗り上がる。赤ずきんもひょいと、そのあとに続いた。
乗り上がる音に御者が振り返り、またか、と深々ため息をついた。
「ついにお嬢ちゃんまで。屋根に昇らないでくれんかねぇ。坊やも前においでよ落ちるよ」
「すみません」
「なにか見えますか?」
アーノルドが馬車の中から身を乗り出して伺う。
ソルシエールがポケットから取り出した双眼鏡であたりを確認すると、レンズ越しに目に飛び込んできたのは、イノシシだった。道の向こう側から群れをなし、怒涛の勢いで、こちらに向かってきている。
「うわあ、イノシシだ」
なぜか嬉しそうな声を出す赤ずきんとは反対に、アーノルドはふしぎそうに問いかける。
「イノシシ? それくらいなら問題ないのでは」
「何体かは分かりませんが、」
「三十八頭だよ」
すかさず赤ずきんが補足する。
「三十八頭の巨体が道をふさぎ、その上、こちらに向かって進行してきています。ぶつかれば、こちらも無傷ではすまされないでしょう」
馬車は性質上、森の中には入れないし、畑の中を進もうにも泥にハマって抜け出せなくなるのがオチだろう。ならば、相手の方に軌道をそらしてもらうしかないのだが、それは望めそうにもなかった。要望を出したところで、聞いてくれる相手でもない。
引き返すにも一本道で、速度のちがいから、いずれ追いつかれてしまうのも目に見えている。
そうこうしているうちにも、イノシシの大群という名の絶望が、おそろしい勢いで迫りよってくる。
「…なんだぁ、あれ? ほんまにイノシシなんか?」
荷を引く馬もいよいよ落ち着きをなくして来た。御者があわてて馬車を停車させるが、馬はたえず身震いしたり、足踏みしたりとせわしない。
これはムリだな、ソルシエールは判断する。
ちらりと、馬車の背面に一応積ませておいたホウキに目を向けた。
ところが、そんな瞬間の動作から、赤ずきんは魔女がなにを考えたか読み取ってしまったらしい。電光石火の動きでソルシエールの手首をはしっと掴んでただ一言、
「だめだよ」
にこやかに言った。
「おそろしい子」
魔女は口の端をひきつらせる。
そして一応、弁明してみた。
「でもさ、あれ、どう見たってヘンだ。なにかしらの魔術の影響を受けてるよ。なんか大きいし、イノシシって成体だけで、あんなに大きな群れは作らないよね」
「きっとオスだよ、師匠」
「ますますムリかな」
「その上、四百キロを越すような獲物…腕が鳴るね!」
「君のそのポジティブさはどこから来るの」
ヒソヒソ声を潜めて(一方的に)言い争っていると、前方から怯えた声がした。
「魔女さま、この馬車はおれの財産なんでさあ! ど、どうすればいいんですかい?」
「…とりあえず、壊れた馬車の補償を雇い主に求めることじゃないですか?」
どういう契約をしたのかは、ソルシエールの知った所ではないが。
冷めた返答に、泣き声が返ってくる。
「そんなことできるもんですかい! この馬車がウチの誇りなんだ。壊してたまるか。それに、商売ができなくなっちまう!」
湿った声に、ソルシエールはうっとひるんだ。
いつの間にか、外に出てきたアーノルドも、ソルシエールたちを見上げて、決意をこめた表情で言う。
「この馬車を守りぬきましょう。ソルシエールどの」
「え」
「そうだよ、師匠!」
「……ええ?」
魔女は自分に選択肢がないことを悟った。魔女なのに周りに善人が多すぎる。
仕方がないから頷いた。
「……ええ、そうですね」
「そうこなっくっちゃ」
赤ずきんがファイティングポーズをとる。
なぜか御者もアーノルドも支持を仰ぐように魔女を見る。だから魔女も御者を見つめ返した。
「……失敗する可能性の方が高いです」
「あ、ああ…」
「……責めないでくださいよ。責任は取りません」
ソルシエールが御者に何度も確認を取ると、
「分かったから!」
と急かされる。
魔女はふう、とため息をつくと、あきらめて指示をだし始めた。
「ありあえず、アーノルドさんは馬車の中に戻ってください。中の警部を起こして、身をかがめて二人でどこかに掴まっていて」
「手伝うことは…、いや。分かった。戻ります」
つづいて魔女が赤ずきんを見る。
「赤ずきんは煙幕の準備。それから、おじさん」
「な、なんだい?」
「できるだけスピードを出して…」
「逃げるのか?」
「いえ、まっすぐあの群れに向かっていってください」
「そ、それじゃあ…」
「引き返してたら間に合いません。飛び越えましょう」
御者はぐっと口元を引き締めた。
「…よし、分かった!」
刑事二人が乗り込んだのを確認した後、御者が馬に鞭を打つ。
しかし馬は動かない。本能とあい反する命令に、パニックを起こしているのだ。
イノシシとの距離は二百メートルほどだろうか。
遠目からでも、荒い鼻息や、霧で湿ったごわごわの毛皮の匂いが感じられるようだ。
鞭を握りしめる御者の後ろ姿は緊張に満ちていた。
再度、彼がするどく声をかける。
「おまえたち、いけ!」
その声に、ようやく、馬車が動き始めた。
だんだん、速度が上がっていく。
やがて車輪がガラガラとひどい音を立て始めた。
それでもスピードは緩まない。
群れとの距離もほとんどなくなりつつある。
五十メートル。
三十。
二十。
「おじさん、バランスを崩さないで!」
「おう!」
「『風よ! その翼で人々の夢を守り、叶えたまえ』」
あと、十メートルもないという時、馬ごと馬車がふわりと浮き上がった。
馬は足場のない空で脚をもがき、宙に浮いてなお前進する。その下を、土埃を立てて通過していくイノシシの大群。ソルシエールも赤ずきんも振り落とされないように屋根にしがみつく。時折、車体に向かってジャンプを試みる個体もいるが、後進に押されてうまく飛び上がれないでいる。
「っ…」
歯を食いしばって耐えようと試みるが、魔力が保てなくなると、高度が下がり始め、やがて前輪は地面に、後輪は群れの最後尾にいた個体の尻に着地した。
そのせいでバランスを崩した馬車は大きく前に傾き、跳ね上がる。
「うわああ」
馬車の中から混乱に満ちた野太い叫び声、それからガコッという鈍い音が聞こえる。なんとか横転することなく、馬車はそのまま前に進み続けた。
それと同時に、体勢を立て直し、ソルシエールの横で弓を構えた赤ずきんが、後方に向けて弦をひく。
ヒュンという鋭い矢音を立てて、煙弾を取り付けた矢が飛び放たれた。
それは馬車を追いかけようと、急な方向転換試みている群れの真上で爆発し、一面、煙に包まれる。
そこから出てくる獣がいないのを確認して、
「さすが師匠のしびれ薬」
赤ずきんがにかっと歯を見せて笑ってみせた。
煙幕が収まる間もないまま、またたくまに群れと馬車との距離は離れていく。
イノシシたちがそれ以上追ってくることはなかった。
✳︎
「なんだったんだろう、あれ」
涙を流さんばかりに礼を言う御者をようやくなだめて、ふたたび旅路を出発した馬車の中で、赤ずきんが首を傾げた。手持ち無沙汰を埋めるために、手の中で短剣をもてあそんでいる。
ソルシエールは、魔力を使いすぎて頭がいたい、と壁にもたれかかってこんこんと眠りについていた。黒い塊がときおり、もぞもぞと動いている。
「イノシシであそこまで大きい個体なんてそうそういないよ」
「馬車が浮くとは…、すごい。『奇跡』です」
「魔法だよ」
なにも見えていなかったにも関わらず感動しているアーノルドに赤ずきんがツッコミを入れた。
「ほんとうにそんなことあったのか?」
そんな懐疑的なことを言うのは、ずっと車内にいてなにも見ていなかったオーギュスターブ警部だ。額にたんこぶができている。
「私をかついでいるんじゃなかろうね?」
「そんなことするわけないじゃん」
赤ずきんがムッとしたのが分かったのだろう、アーノルドがそうですよ、とたしなめる。
「ソルシエールどのと赤ずきんがいたおかげで助かったんだから、警部」
「…どうだか」
「おじさん、どうしてそんなに魔女がきらいなのさ」
赤ずきんが、刀身を手の中でくるりと回して切っ先を警部に向ける。オーギュスターブはそれに気がついた様子もなく、丸い腹を突き出すと、はん、と鼻息を鳴らした。
「魔女がきらいなんじゃない、魔法ぜんぶが信用ならないんだ」
「どうして。その魔法にさっき助けられただろ」
「私はその場面を直接みとらん」
警部は胸を張る。
「科学は万物に有効なんだ。ところが、魔法は人によって違うそうじゃないか。子供には効きにくいとか、信じないと使えないとか。そんなばらつきのあるもの、信じられるか」
「…きらいなわりに詳しいですね、警部」
「知らなきゃ批判もできないからな。隣国では、ネズミ退治の報酬に子供をさらった魔術師がいるとまで聞いたぞ。もはや犯罪者じゃないか。親がかわいそうに」
フン、とオーギュスターブが鼻を鳴らす。
「魔法なんてどうして成り立っているのか理屈すらほとんど分かっていないもの!」
「だから魔法って呼びはじめたんだよ。知らないの?」
「だいたい出発前に聞いたぞ、『黒い森の怪物』だなんて呼ばれているんだそうじゃないか。信用できるものか。悪魔だぞ、悪魔。国に尽くした『稀代の魔女』ならまだしも。…はあ、まったく。君も、まだ若いんだから間に合うよ。正しく生きなさい」
怒りを通り越して、しまいには諭すようなことを言い始めたオーギュスターブに、赤ずきんは目を眇めて、
「おじさん、師匠が目、覚ましちゃうから、もう少し声を落としてよ」
静かに言い返した。
オーギュスターブはそれでもなにか言いたげに口をもぐつかせたが、諦めたのか、言葉を発さずに終わる。
「だいぶ、疲れさせてしまったようですね」
気遣わしげな視線をアーノルドが、ソルシエールに向ける。
赤ずきんはふっと表情をゆるめると、
「ふつうは、あんな風な魔法の使い方しないし、できないんだって。同じことをしたいのなら、もっと時間をかけるんだ」
アーノルドも微笑みを浮かべる。
「おかげで助かったよ。改めて、ありがとう」
「あとで師匠に大金の請求されるよ」
「えっ」
いくらぐらいだろう、と顔を引きつらせるアーノルドに、赤ずきんがおどけて肩をすくめた。
「冗談だよ」
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(おまけ・その2)
最近、王都で相次いで失踪事件が発生している。
事件が起きるのは決まって、霧の出る日の夜だ。
市民の安全と秩序を脅かすこの事態に、警察が看過できるはずもない。会議室に呼び出され、上役から捜査に参加するよう命令されて、なんとしてでも早くこの街に安全を取り戻さねば、と心に誓った。なにせ、自分の妻と息子も同じ街に住んでいるのだ。いつ事件に巻き込まれるともしれない。
家族だけじゃない。
友人や同僚の住む街でもある。
きっと縁を辿っていけば、被害者ともどこかで繋がっているだろう。被害者もだれかにとっての家族で、友人だ。
「それにしても、よく連続した失踪事件だと分かりましたな」
私の言葉に、上司は腕を組んで苦い顔をした。
「最後に消えたシャルルというのが、いい家の出でな。素行のいい息子であり、生徒だということで大騒ぎだ。警察がそこの家族に『頼み込まれて』調査したところ、芋づる式に関係があることがわかった。自宅には必ず天使が刻まれたコインが残されていたんだ」
身分がなくなって十年は経つだろうか。
神の依代であった王はただの人間となり、貴族もまた、ただの俗人と化した。
しかし、それはあくまで法律上のことで、また、建前上のことであり、無垢な子供以外のだれが心のそこからそう思っているだろうか。
庶民にも政治への参加の道は開かれたとは言え、その道は狭く、汚れ仕事はいまだ庶民の仕事だ。
「なるほど、誘拐ですか」
考える時の癖で、つい、顎を撫でる。
「いや、誘拐とは限らん」
「家出ということですか? それにしては日付も身分もばらばらですが」
「すべての可能性を考えろということだよ」
その通りだった。
「他の失踪者からの捜索の届け出は?」
「来ていたがどれも下町出身だからな。最近、元貴族の汚職事件で王都中の警察も上から下まで総動員されていただろう。その忙しさもあって、捜索を求めにきた家族の届け出を受理しなかったらしい」
歯がゆい。
一縷の望みをかけて警察に助けを求めた家族は、一体どんな気持ちだっただろうか。
「警察官の数が圧倒的に足りてませんな」
「その通りだ。しかし、今はそれを議論しても仕方がない。早急に捜査に取り掛かってくれたまえ」
「承知しました」
上司に礼をして、会議室から足早に出ていった。
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