第6話 凸凹の要塞

 田園地帯の多い旧ペロー領だが、隣国との境には、国と国とを分け隔てる壁のように、唯一の山脈が存在する。その尾の方は細かく枝分かれしていて、合間の渓谷に、ペロー家の居住する城はあった。もともと要塞だったものを、先祖代々受け継いでいるのだ。屋敷として使い始めたのは先代からだという。


 陽が沈みそうになる頃、ようやく馬車は到着した。

 城に続く坂道を進む馬車の中から見上げながら、赤ずきんが感嘆する。


「すごいなあ。高い城! あ、ワシが飛んでる」


 城は、立地的に横に広がれない分、縦に縦にと広がっている。城を囲む城壁を飛び越えて、尖塔がいくつもそびえ立っているのがソルシエールの目にも入った。


 石造りだろう城の壁は白塗りにされていて、周囲の針葉樹の森が黒い分、それが城をひときわ目立たせている。馬車はほどなくして橋を渡り、城門を抜け、城の中庭部分に出た。


 壁面の花壇で大量に咲き誇っている季節外れの赤い百合が、風に吹かれて揺れる。まるで血を吸い上げたかのように赤い色だ。白い壁とのコントラストがあまりに見事すぎて、その気持ち悪さに魔女の背筋がぞくりとした。


 そんな違和感を感じたのはソルシエールだけらしく、刑事二人は降りる準備をしているし、窓にへばりついている赤ずきんは楽しげににこにこしている。


「ようこそいらっしゃいました」


 腰の曲がった執事が頭を下げて客人を出迎えた。


 その言葉とともに、待機していただろう、黒と白のお仕着せ服を着た女中たちが御者の手助けを経て馬車から荷物を下ろし、屋内に運んで行ってくれる。無駄口を叩かずにきびきび働くその姿とはうらはらに、その表情はどこか硬い。

 城主一家の不祥事の影響だろうか。

 ソルシエールは首をかしげる。


「どうぞこちらに。ピエールさまが書斎でお待ちです」


 執事の声がソルシエールの注意を引き戻した。

 ピエールとは、婚約者に逃げられたもとい、旧ペロー領の領主である旧公爵家嫡男の男の名前である。


 馬車の点検のために城下町に向かうという御者と挨拶を交わし、四人は執事の案内に従って、広い大理石の床でできたホールや、さまざまな暗色の陶器が飾られたダイニングを抜け、角にある部屋に到着する。

 ソルシエールは初めて訪れたこの場所に、なんとなく迷路のような印象を受けた。元が要塞だった時の、敵襲時に敵に簡単に主室までたどり着かないための工夫の一端なのかもしれない。


 入り組んだ通路の先にある扉を執事がノックすると、


「入れ」


 との返事があった。


 言われた通りに中に入ると、机でなにやら書類を書きつけている男がいる。この部屋を書斎として使っているのだろう。彼はソルシエールらに目に止めると、動かしていた手を止め、ペンを置いた。


 黒目黒髪のこの男がペロー家嫡男、ピエールだ。

 実直そうな精悍な顔立ちをしている。


「よく来てくれた」


 口角を釣り上げる。


 それから、一同をソファに座らせると、自身は椅子に腰掛け、満足そうに見回して頷く。


 人を使うことに慣れている男である。変わらないな、とソルシエールは鼻白んだ。会うのは数年ぶりだが、二十を超えてからの数年なんて、そう容姿に差もつくはずがない。さらにその昔は天使のような容貌だったが、大人になるにつけそのかわいさは蒸発して消えた。反対に性格はその頃から変わらず、ソルシエールもきらいではないが貴族的で、庶民出身の魔女とは真反対だ。


 ピエールは重々しくことの次第を話し始める。


「私の婚約者、エラが消えてしまった。手の内のものがすでに城内および、領内もくまなく探したんだが、一向に見つからないんだ。背に腹は変えられん、と応援を頼んだというわけだ。ぜひ、諸君には彼女たちを見つけ出してほしい」

「もちろんです」


 オーギュスターブ警部が力強く頷く。


「ありがたいことだな。とても優秀な者たちだと聞いている。頼りにしているよ」

「まず、失踪時の状況を教えていただけますでしょうか?」

「ああ、もちろんだ」


 ピエールが語ったところによると、彼の婚約者エラは領地の豪商の娘であるのだそうだ。彼らはほんの半年ほど前に舞踏会で出会い、ほどなくして婚約した。


 婚約までにもなにやらゴタゴタはあったらしいが、あくまでもどこにでもある些細なトラブルだったらしい。要するに、犬も喰わない砂糖菓子のような甘ったるいエピソードのことだろう。


 どこそこでは『身分を乗り越えた愛』などと大仰に報道されたらしいが、あいにくソルシエールは知らなかった。さすがに知っていれば、祝電のひとつでも送った、はずだ。


 そんな順調に関係を築いてきた彼らに、この失踪事件はじつに唐突に起きた。

 結婚の準備を進めていた彼らだが、半月前にエラが式の準備のためにやってきたところ、城内で忽然と行方不明になってしまったのだそうだ。


「当然、城の中にいる可能性が高いため、徹底的に調べたのだが、見つからない。だれかに拐かされて身代金を要求されるぐらいならまだしも、そんな要求もない。金目当てならもうとっくに帰ってきているはずだ」


 なるほど、と警部が思案する。


「それは心配ですな。事故でどこかで身動きが取れないでいるのか、閉じ込められているのか…、失踪してから二週間ですか」

「ああ」


 タイムリミットはとっくに過ぎている。

 身動きがとれない状況にある場合、人間が食物を取らずに生き長らえられる期間はせいぜい三週間。水がなかったら三日も持たないだろう。

 誘拐だとしたら、すでに殺されているかもしれない。誘拐は最初の半刻を過ぎると、殺害される確率は格段に高まる。

 ただ誘拐された可能性はどれほどあるのだろうか。

 不安定な立場にいるピエールだが、報復活動の類だったら、とっくに連絡があるか骸がどこかに晒されているはずだ。

 誘拐されてどこかに売り飛ばされたり、きれいな娘を見初めた異常者に監禁されている場合、もはや魔法使いの活躍は望めそうにもない。せいぜい追跡の魔法をかけるしかできず、追跡防止の魔法をかけられていたらそれ以上追うことはできない。別の専門家に依頼する必要があるだろう。


「なぜ、要請にこれほどの時間を?」


 意外にも、そう切り出したのはアーノルドだった。

 この質問に、ピエールの視線が一瞬、魔女を掠めた。

 魔女の手が空いたのが、つい二日前のことだ。


 アーノルドはさらに続ける。


「失礼ながら、…あまり動揺されていらっしゃらないようですが」


 あまりに単刀直入な言い方に、


「失礼だぞ、君」


 警部がたしなめる。

 先ほどからピエールに同情的なオーギュスターブ警部といい、事前に役割分担でもしていたのかもしれない。

 ピエールは咎めるでもなく、ふっと口元を歪ませた。


「ふふ、そう見えるか」

「はい、すみません」

「いや、いい。ほんとうのことだからな」


 その言葉にオーギュスターブ警部とアーノルドがぴくりと反応する。彼らの纏う空気が、一瞬にして切り替わった。


「それは、どういう…?」


 一気に警戒度の上がった空気に、ソルシエールが割り入る。


「魔法が絡んでいると思ってらっしゃるんですね?」


 魔女の言葉に、刑事二人は怪訝そうな顔をする。ピエールは目線だけで続けろ、と促した。


「エラ様の周辺に、魔法の痕跡があったのではないですか。エラ様が術者でないのなら、その魔法をかけた人間がいる。その人間は怪しい。だから、信頼のおける魔法の専門家をほかから呼び寄せたのでしょう?」

「その通りだ、黒い森の魔法使い」


 ふう、と大仰なため息をつくと、


「探しても見つからない上、消え去った部屋には失踪直後、魔法の痕跡があったのだそうだ。エラは魔法の素養こそあったようだが、使うことはできない。魔法使いが誘拐したのであれば、まだ生きている可能性はある。人体などなにに使うかわからんが、魔法の準備には、時間がかかるものだろう? そこに俺は希望をかけている。それが、遅れながらも協力を要請した理由だ」


 彼は背もたれにその大柄な背をもたせかける。

 ついで刑事たちによって矢継ぎ早に繰り出されるいくつもの質問に答えたのち、最後に話をまとめた。


「必要なことがあるならなんでも言ってくれ。魔術師含めた調査団が外の調査を担当している。この屋敷にいるのは、使用人九人、そして三人の警備人だ。彼らを使って構わない。どうか、彼女を見つけてほしい」


 刑事たちが思わせぶりにお互い目配せをして、深く頷く。


「もちろんです。必ず解決させましょう。あとで再度お話を伺いに参るかもしれませんが、まず城内を確認させてください。行くぞ、アーノルド」

「はい、警部。失礼します」


 二人がさっと立ち上がり、書斎から出て行ったのを見て、赤ずきんも立ち上がった。


「師匠、おれも城の中見てくるよ。なにか役に立てるかもしれないし。それでは、失礼します」


 くる、と踵を返して部屋を出て行き、扉がぱたんと軽い音をたてて閉まる。

 そこをじっと見つめて、ピエールが一言、


「いい子だな、あの子」


 などと言うので、


「男だよ」


 と一応伝えると、


「性別なんて関係あるのか?」


 とだけ返ってきたのだった。




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(おまけ・その3)

「やな話ですね。結局お貴族様が不明者のリストにいなければ、これは明るみに出なかったってことでしょ?」


 デスクで、優しさが取り柄のような相棒が、珍しく言葉を崩し、顔をしかめた。

 軽くたしなめる。


「元貴族だ。そもそも君もいい家の出じゃないか」

「それはそうですが。それでも思うところがないわけじゃないですよ。この街の市民ならだれもが平等に扱われるべきだ」


 若者らしい青臭く、綺麗事の考えだ。あるいは飢えたことのない人間だからこその意見か。


「それが薄汚れた浮浪者でも、同じことが言えるかね」


 興味半分、意地悪半分で聞いてみる。


「もちろんですよ」


 相棒はきっぱりと頷いた。

 いるのかいないのか。いなくなってもだれも気が付かなくてもおかしくないような相手を、それでも気にかけるというか。

 なんとなく苦々しい思いが湧き上がり、余計なことを口にしていた。


「せいぜいその甘い考えに足をすくわれないようにすることだな」

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