第38話 飼い犬

 吹雪は止まない。

 ソルシエールはだんだんイライラしてきた。


「戻ることさえできたらどうにでもなるのに!」


 苛立ちがそのまま動作となって現れる。

 前後左右に体を揺さぶる。

 しかしすぐさま息が切れて、疲れ果てた。

 ぐったりとうつ伏せになる。


「どうやって宮殿に忍び込むつもりで?」


 そんな奇行を横目に、タチアナは実に冷静である。

 それもそうだ。タチアナは赤ずきんを知らない。

 取り乱す理由がない。

 むしろ、なにが楽しいのか、焦燥しているソルシエールをじっと観察している。

 ソルシエールも動き疲れて、多少落ち着きを取り戻した。


「そうですね、普通の人間には無理でしょう」


 ぐったりと彼女に返事をする。


「隙間風は入り込めない場所の方が少ないんですよ」


 その説明に、タチアナは首を傾げた。

 しかしそれに返事をすることはなく、ソルシエールは疲れ切ってそのまま眠りに落ちた。

 夢は見なかった。


 次にソルシエールの意識が覚醒したのは、獣の鳴き声によってだった。甲高い、どこまでも響き渡るような声に、ソルシエールは目をこすって起き上がる。


「おや、オオカミたちがここに到着したようですね」


 タチアナが耳を澄ませる。


「外に出てみましょう」


 促されるがままに、イグルーの中にいた人間たちは外に出た。

 外はすっかり日が落ち、その代わりに吹雪はやんでいた。


「うん、明日は出発できそうですね」


 タチアナが満足そうに頷く。


「知ってました? ここは狩りのための場所だから、男性しかいないんですよ」

「ううん……」


 ソルシエールは返事にならない返事をする。


「そんなに落ち込まないで。ほら、空にあんなに星が出ていてきれいですよ」


 タチアナがソルシエールの肩に手を回す。

 タチアナに促されるまま、空を見上げたソルシエールは目を瞬かせた。


「ここは寒いから。星がきれいでしょう?」

「……うん」


 タチアナが微笑むが、あいにくソルシエールの視界には入らなかった。

 空一面の星が、広がっていたからだ。

 それに視線が釘付けになった。


「…………これだ」

「え?」


 ばっとソルシエールはタチアナに向き直った。


「見つけました。ありがとう!」


 思わずタチアナに向き直る。

 彼女の美麗な顔は、意味をとらえ切れずキョトンとしている。


「なにがかはよく分からないけれど、どういたしまして」


 ソルシエールの満面の笑みに、タチアナはうれしそうに微笑み返した。


「あ、ほら。嬢ちゃんたち。俺たちは本来これを見に来たんだよ。すごいぞ、見てみろ」


 アルチュールがソルシエールたちの注意を惹き、指で一方向を指し示す。


 その視線の先には、星の明かりが煌々と雪を照らし、その上を移動する点々に向けられていた。その点が近づくにつれて、ソルシエールにもはっきりと見えるようになった。

 白い毛皮のオオカミたちだ。

 彼らは群れをなし、足並みを揃えて、イグルーに向かって疾走している。

 四肢の、全身の筋肉を使い、しなやかに駆けていた。

 星空の下を走る、白いオオカミたち。

 それは、とても荘厳な光景だった。

 魔法さえ容易に超越してしまう美しさが、そこにはあった。

 やがて、イグルーから男たちの声が上がりはじめた。

 最初はささやき声のようにひそやかだったものが、だんだんと地を鳴らすような大声に変わっていく。リズムも決まった音程もない。荒々しい腹の底からの獣のような咆哮だ。原初的な人間の唸り声に、オオカミたちもまた返事をするように遠吠えをした。


 そこには調和があった。


 ソルシエールの心がとくんと跳ねた。

 一気に血液が全身を駆け巡る。

 根っこにあるものを覆す、荒々しい衝動が身の内から湧き上がる。

 やがてオオカミたちはイグルーまでたどり着き、人狼族の男たちの周りをくるくると辺りを回った。挨拶をしているのだ。


 そのタイミングでウルバがソルシエールに近づいてきた。


「オオカミが子供を抱える人間の女を見たと言っている。好奇心豊かなやつが後ろをついて行ったら、王家の森に入っていったそうだ」

「王家の森?」

「代替わり前の王家の古城があるんですよ。王都の街はずれにね。今は、離宮として使われているんだそうです。そこにいるのかもしれません」


 タチアナが補足してくれる。

 最後の鍵が揃った。

 これで、彼の元に直接たどり着けるだろう。


「一匹、道案内につけてやろうか?」


 それは予想外の提案だった。

 どういう風の吹きまわしだろう。


「いいんですか?」


 ウルバは、別の意味にとったようで、顔をしかめた。


「売り払ったりはしないだろう?」

「しませんよ、そんな事。私のコレクションでもないのに」

「子供は守らなければならない。過去に守ることができなかった子供の分も。それに、オオカミは子供が好きだ。案内してやってもいいと言っている」


 ソルシエールは瞬きを繰り返す。

 それから、自分の言うべきことに気がついた。


「でも大丈夫です。ありがとう。満面の星が出ていて、私は自分がどこに行けばいいのかを知っている。条件は揃った。充分なんだ」


 その言葉に引き寄せられるかのように、どこにいたのかサン=ジェルマン伯爵が現れた。


「おや、我々をおいて行ってしまうのかな?」


 口髭を撫で付けている。


「かまいませんか? それとアルチュールたちを街まで連れていって欲しいのですが」

「ふうむ。その分料金を払ってもらうがいいかね?」


 ソルシエールは頷いた。


「猟師たちが払うでしょう」


 伯爵は、ソルシエールを見つめた。


「ならばお嬢さん。タチアナを連れて行くといい」

「どうして?」

「彼女こそ、道案内として役に立つ。いいだろう、タチアナ?」

「はい結構です」


 タチアナが頷く。

 ソルシエールは慌てて口を挟んだ。


「しかし、あなた方は魔法使いでは……」

「そうだな。我々は魔法使いではない。しかし、あなたの腕なら連れて行けるはずですぞ」


 その言葉に、ソルシエールはようやくある事に気がついた。

 伯爵とタチアナをまじまじと見つめる。

 タチアナの振る舞いの不可解さの謎も解ける。


「…………まさか」

「いつまで経っても老いぬ生き物と出会ったのは初めてですかな?」


 サン=ジェルマン伯爵はウインクをしてみせた。

 ソルシエールは言葉を探すが、オブラートに言う方法が思いつかず、結局戸惑うままに言葉を出した。


「目的はなんです? 死ぬ方法を探しているんですか?」


 それにサン=ジェルマン伯爵はちちちと指を振って、ソルシエールをたしなめる。


「どんなに飽きるほど長い時を生きていても、人生というのが一瞬一瞬の積み重ねであるという事実に変わりはない。だから、寿命の長短がどうであれ我々は常にその瞬間を懸命に生きるのですよ。私は、後ろ向きな生を送ろうとは思わないのでな」


 伯爵が古の賢者のような眼差しでソルシエールに語る。だから彼女も滅多に張らない背筋を張って、礼をした。


「あなたに最大の感謝と、敬意を」

「うむ。素直でよろしい」


 伯爵がその目をやさしく細めた。






 満面の星の下。

 魔女はその両足で大地に立つ。

 分厚いコートの代わりに、いつも使っている黒いローブを身に纏っている。

 周囲には人狼族の人々がめずらしいものがみれると、興味津々に集まってきていた。

 魔女が両手を持ち上げると、妖しい光が立ち昇り、人型が輪になって現れた。彼らは儀式の舞いを披露すると、やがてソルシエールと麗人を取り囲んだ。

 ソルシエールが空に声をかける。


「さあ、空に浮かぶ星々よ。一緒に遊ぼう。ここまでおいで」


 人型たちが一斉に天に手を伸ばす。

 魔術が最高に高まる時間。

 空に浮かぶ星のうちの一つが、興味を持ったようにソルシエールたちのいる地表まで踊るようにして降りてきた。

 流れ星だ。

 魔女は、星に向けて手を差し出す。

 その距離は星をかすめそうなくらいに、近かった。


「いい子だね」


 ソルシエールの口が、呪文を唱える。



「『 流れ星よ ゆるやかな風の元 ともに宙を駆けよう

  その翼は山を越え 亡国の音を忘れさせるだろう

  彼の帽子と交わしたその約束 どうか忘れないで 』」

 ひときわ眩い光が、ソルシエールとタチアナを包み込んだ。




✳︎


 珍しく王女から連絡を受けたと思えば、なんと紹介したい友人がいるのだと言う。イアンは、そんな滅多にない申し出にいそいそと身支度をして、彼女に会いに向かうことにした。


「いい知らせじゃないと思うな」


 彼の友人が腰元で蠢くが、


「それでも会いたいって言われたら会いに行くさ。好きな人だもの」


 とウキウキを隠せないで、鏡に向かっている。


「君も来るのかい?」


 友人は鼻を鳴らして返事をする。


「連れてけよ。お前の心を千々に裂くのが俺の楽しみだからな」

「そっかあ。じゃあ、僕はがんばらないといけないね」

「なにをだよ」


 そう言われてみれば確かに彼は、なにをすれば自分の心が千々に砕けるのかは分からなかった。


「たしかに」


 彼は頷くと、うんざりしたように彼の友人がため息をついた。その隠す気もない大きなため息に、彼はふくふく笑ってしまう。


「そうだなあ。きっと僕から連続したものを奪ってしまえばいいんじゃないかなあ」

「お前のことだ、そう大して変わらないのが目に見える。これ以上バカになられたら構わん」

「僕より君の心の方が先に砕けそうだね。君は随分あくせくした悪魔だから」

「悪魔じゃねえ。ジンだ」

「そっかあ。今は瓶の中だものね。場所が変われば名称も変わるんだ」

「うるせえ。だまれ。俺をこんなところに閉じ込めやがって」

「閉じ込めてないよ。借金取りに追われて、自分から逃げ込んだんじゃないか」

「ああそうだよ。くそったれ。おかげでお前の願いを叶えるまで俺はこんな狭いとこに閉じ込められる羽目になった。いい加減、ここから出せよ。それか死ね」

「君って不思議だな。僕の心を千々にしたいと言うけれど、そうすると僕の願いは叶わない。すると君はいつまでも瓶の中に閉じ込められたままだけど、それでも君は僕の心を壊そうとすることをやめないよね」


 分かったような分かんないようなことを言われて、友人はブチギレた。


「うるさい、うるさい!」


 ぶつくさ文句を言う。

 そして攻撃対象を切り替えることにしたのか、話題を変えた。


「あんな女のなにが良いんだ? お前のことなんかきっと一ミリも好きじゃないぞ」

「かわいらしいじゃないか。そういえば彼女に呪いをかけたのは君かい? 僕へのいやがらせ?」

「そんなことするもんか! あの女が感情を失くしつつあるのは別に俺のせいじゃない」

「そっかあ。安心したよ」

「むしろお前のせいじゃないのか?」

「僕の? まさかあ」


 彼は微笑む。

 友人は新しい攻撃を思いついて、邪悪な笑みをニヤリと浮かべた。


「ははあ。お前、続いてきたものを途切れさせずに、一つにする方法を思いついたんだな。だからあの女と結婚したいんだろ。本人のことなんてどうでもいいくせに、好きだなんてよく言えたものだな。権力の虫め」


 イアンはその挑発の意味を理解したものの、ふくふくと笑って受け流した。


「君って本当に恋心が分からないんだ。人型だった時も、モテなかったでしょ」


 その直後に、ぎゃあぎゃあと友人が喚いたのは、言うまでもない。

 そういえばイアンには気がかりが一つあった。

 王女の様子を見守ってほしいと頼んでおいた少女と連絡が取れなくなっているのだ。まずいことになっていなければいいのだが。心配する。




「へえ、それじゃあ、彼がカイなんだね」


 イアンの笑顔を受けて、王女も頷いた。

 お茶会の席である。


「そうよ。小さい頃からずっとわたくしのそばにいてくれたの。とても優秀な召使いなのよ。あなたには特別に紹介してあげる」

「へえ、それは嬉しいなあ」


 イアンは眉を垂らして笑った。

 腰で彼の友人がひそやかに笑っているのを感じる。

 これはもちろん、イアンに対する嘲笑だ。


「わたくしが感情を失う呪いにかかっているのはご存知よね」

「ええ、もちろん」

「解き方も見つかっていないわ。いつ掛けられたのか曖昧だわ。でも、カイといるとね、なんだか大丈夫な気がするの」

「それは、素晴らしい」


 イアンは『カイ』という使用人を知っていた。

 そこまで注意を払っていたわけではないが、王女と多少近しい人間として認識くらいはしていた。それこそイアンと会話をしたことだってある。十にもならない内から、父親に連れられてこの城で働き出した哀れな子供だった。

 ゲルダという少女と知り合ったのもその伝手だった。彼女は『カイ』という少年の幼馴染で恋人であったらしい。行方不明の恋人を探してこの城で働きはじめたのだと語っていた。

 イアンは王女の脇に控えるこの新しい『カイ』に目を向ける。どこかぼんやりとした眼差しをした彼は、たしかに面影がどこか似ているが、明らかに別人だ。


 これが、彼女の新しい『カイ』か。


 気のせいでなければ、彼はバージョンアップされるごとに美化されていっていやしないだろうか。一体、どこから連れてきたのだろう。


 見た目も、イアンとぜんぜん違う。これが王女の好みかと思えば、少しは気も落ち込もうものだ。どうすれば見た目を寄せることができるだろうか。イアンは考える。


「君に会えてうれしいなあ」


 そう声をかけるが、彼は直立不動でたち続ける。主人の許可がないからだろう。


「いいのよ、カイ。お話して」


 王女が声をかけると、カイは小さくはにかんだ。

 まるでよく調教された犬のようだ。


「わたくしも光栄でございます」


 ふっとイアンに礼をする。どこかしなやかさを感じさせる動作だ。イアンは微笑む。


「あんまり感心しないなあ」


 そのつぶやきは王女には聞こえなかったのかもしれない。


『お前たちお似合いだぜ!』


 その代わり、彼の友人がイアンにだけ聞こえるように笑い声をあげた。イアンは瓶を揺らして友人を黙らせる。


「ああ、そうだわ。あなたの飼い犬」

「え?」


 すっと冷えた眼差しを王女がイアンに向ける。

 瓶の方に注意を向けていて、イアンの反応はほんの一瞬遅れた。


「あんまりにもキャンキャンうるさいものだから、城から放り出してしまったわ」


 その目は愉悦に歪んでいる。

 王女に快、不快の感情が残っている事がわかり、イアンは思わず笑い声をあげた。


「さすがです。王女殿下。あなたのその聡明さを僕は愛さずにはいられない」


 それから椅子を立ち上がった。


「どうやら僕は帰らないといけないらしい」


 その顔はいまだに笑みを浮かべている。

「まあ、来たばかりなのに残念だわ」


 冷たい瞳が無感情にイアンを見つめ返した。

 イアンはますます微笑んだ。


「ええ、ほんとにね」

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