第39話 あなたはだれ?

 塔の窓からは、地上になにがあるのかは何も分からない。

 その代わり、月や星々がよく見える。


 『カイ』は、窓の外を眺める。


 今日の星々は、いつもより輝いて見えた。そのうちの一つの輝きは、やたらと明滅している。そして、それはだんだんと大きさを増している。


 そこでようやく、なにかおかしい事に気がついた。

 『その何か』は、明らかにこちらに近づいてきている。


 仰天し、窓際から離れ、なにをすべきか、考える。

 『カイ』なら、どう行動するのが適切だろうか?

 しかし、狭い塔の中ではどうする事も出来ず、焦燥感ばかりが募った。それでも『塔から出よう』という考えが出てくることはない。そうこうしているうちに、とうとうその正体不明ななにかは鉄格子をぶち破った。


 ひどい爆音。

 それとともに、中に転がり込んできたそれは、ごろごろと壁に激突して動きを止める。


「わああ……」


 それはうめき声をあげた。


「え、なに…」


 ドン引きしたカイに構わず、それ、いやその人は立ち上がった。

 黒いローブに黒い帽子。

 カイの前世が『師匠』と呼んでいた。


「あなたは、……久しぶりですね」




✳︎

「あなたは、……久しぶりですね」


 ようやく再会したというのに、赤ずきんはまったくの他人行儀だった。

 よく躾けられた笑みを浮かべている。自然でないことこの上ない。


「ごめん。まちがえた」


 なんとなく面白くなく、パッと背を向けて入ってきたばかりの窓に足をかけて出て行くそぶりをする。


「え……」


 戸惑うような声に、目線を向けると、その瞳は不安げに揺れていた。

 別人になっても、なんらかの感情が残っているのだろうか。

 間に合ったのだろうか。

 イライラする。


「赤ずきん。どうして他人のふりをしているの?」


 フリをやめたソルシエールの問いに、赤ずきんは不思議そうに首を振るだけだ。


「おっしゃる意味が分かりません」


 その口調にソルシエールは口元を引きつらせる。


「私のことは分かる?」

「ええ勿論。森の魔法使い、ソルシエールさんですよね」


 ソルシエールはますます顔を歪めた。

 目玉をぐるりと回して気持ちを落ち着かせる。

 おそらくアルチュールらと同じように記憶操作されている。


「あのさ、今。幸せ?」

「ええ、もちろんです」

「洗脳されている人間に質問した私がバカだった」


 ソルシエールはため息をつく。


「わるいけど。私は君が幸せだからって理由では放っておいてやらない。しょうがないなあ」


 一気に距離を詰めて、その額にそっと手を触れると魔法を発動させる。


「『風よ、旅人のコートを剥ぎ取れ!』」


 ソルシエールは、強引に呪いを断ち切る。

 赤ずきんの悲鳴が上がった。





 床に膝をつき、肩で息をする赤ずきんに上から声をかける。


「やあ。囚われのお姫さま」

「師匠。やっぱり、これじゃ、そうだよねえ」


 皮肉のたっぷり詰まったソルシエールに、がっくり、と赤ずきんは肩を落とす。


「どうしてここに?」

「ずいぶん、いい部屋だね」


 質問を無視してソルシエールは部屋のあちこちを見回す。

 最高級の調度品に溢れた塔は、牢獄というよりは貴人の部屋のようだ。

 赤ずきんは気まずそうに言葉を重ねた。


「出て行こうとはしたんだよ。でもちょっと同情したら、ずるずる引きずり込まれちゃって」

「ふうん。君の赤いコートさえ脱いでしまって? あれは君の母親がくれたものじゃなかったのかな?」


 寝台の枕元にあった繊細なオルゴールをぐりぐりといじり回していたら、人形の首がポキリと折れてしまった。ソルシエールはそっと元の場所に戻す。

 赤ずきんは、どこか心元なさそうにソルシエールに問いかける。


「ねえ、師匠。俺、赤ずきんだよね」

「むしろそれ以外の誰なの」

「王女さまが、俺のこと、カイ…、カイ…って。俺がカイでいれば幸せになる人がいるんだって」


 ソルシエールは感情のすべてを内側に封じ込めるよう心がける。

 そうして語りかけたら、思った以上に平坦な声が出た。


「君が好きなものを選べばいいんだよ。赤ずきんをやめたいのならやめればいい。そのカイって人の人生を生きたいのなら、そうすればいいよ」

「……」


 話しているうちに、なんだかそれはそれで悪くない気もしてくる。

 人類の第一の目的といえば、生存競争を生き抜く事ではなかっただろうか。国の頂点のペットとなれば、ひもじい思いも、怖い思いもすることがないだろう。主人に捨てられない限り、革命が起きない限り、安泰なのではないだろうか。その主人はブランシュ国の王とはまたちがった意味で大変そうだが、まず間違いなく彼女の『カイ』を守り通そうとするだろう。

 利点はある。

 赤ずきんにその生き方が合っているかどうかは分からないが、人生はなにごとも試してみなければ分からない。生きている限り、どんな可能性だってある。

 案外、性に合っているかもしれない。


 怒りは収まり、冷静な頭が戻ってきたような気がした。

 ソルシエールは赤ずきんに手招きをする。


「カイとして生きていくのに、その記憶が不要だというのなら、それも消してあげる。こんな中途半端な魔法をかけるような真似はしない。完璧にこなしてあげる。近くにおいで」

「おれは…、」


 ソルシエールはじっと、なにかを言いかけた赤ずきんを見つめる。


「………」


 赤ずきんが無表情のまま、二、三歩近づいてくる。

 その顔を見て、ソルシエールは今までの道中を思い出した。その途端、先ほどの感情がまたぐつぐつと湧き上がってきた。

 ぐ、と拳を握りしめる。

 とりあえず、伝えたいことがあるのなら、それができるうちにしておかなければならない。次に会う時は、ソルシエールよりずっとエライ人になっているかもしれないから。魔法で廃人になっているかもしれないが。


 口を開く。

 言いたいこと。

 なんだろう。

 そう、あれだ、


    どんな選択をするにせよ、


「でも、それは私がここに来るまでにどれほど大変だったかの話を少なくとも三回は聞いてからにしてほしいね」


 これしかない。

 赤ずきんがぱちん、と目を瞬かせた。


「どうする?」


 眉間に寄ったシワをごまかすように突っ込んで、その顔をのぞく。

 月夜の朧な明かりに照らされる青い目。

 ソルシエールはその瞳に見とれた。

 いつもそうだ。

 ソルシエールはこの瞳を見ると、心が凪ぐ。

 そこに輝きが満ちてほしいと、敬虔な気持ちで祈りたくなってしまう。


「え、おれのこと、探しに来てくれたの?」


 不思議そうな顔をしているのを見て、ソルシエールも不思議な気持ちになる。


「どうして探さないと思ったの」

「いや、うん。めんどくさがるかなって」


 ソルシエールは眉をひそめた。

 赤ずきんがなにを言っているのか、いまいち理解できない。


「めんどくさくないよ」


 とりあえず、そう答える。

 本心だ。

 むしろそれ以外の答えがあるのだろうか。


「……そう」


 反対に赤ずきんはなにか、納得したらしい。

 その目を伏せると、うすく儚げに微笑んだ。

 それからきっと眉を上げると、声を大にする。


「あー。そうだよな。俺は赤ずきんだ!」


 しがらみを断ち切るようなさっぱりした声だった。


「俺の人生ぜんぶ含めて赤ずきんだ」


 どうやら何かが吹っ切れたらしい。

 スッキリした様子の彼にソルシエールは声をかけた。


「どうする、お姫さま? わるい魔法使いがかっさらってあげようか?」


 途端に、赤ずきんは肩を落とす。


「やめてくれる、それ?」


 それから首を横に振った。


「師匠。俺、もう少し、ここに残るよ」

「そう?」

「ちゃんと、断ってくる。俺は、あんたのカイじゃないんだって。おれの場所はここじゃないって。だから、先に外で、待っててくれる?」

「そう」

「師匠?」


 ソルシエールはあぐらをかいて、大きく伸びをする。


「試してみてもいいけどね、相手が君の話を聞く人間には思えない」

「へ?」

「君が説得を試さなかったとは思えない。誘拐犯は、ちゃんと君の話を聞いてくれた?」


 赤ずきんは首を振る。


「……いいや」

「君のことを理解しようとしない人間に、言葉に耳を貸そうとしない人間に、いくら真摯な言葉で呼びかけても無駄だよ」

「そうかな」

「そうだよ」

「でも…」


 赤ずきんは悲しそうに拳を握った。

 ソルシエールは、赤ずきんの額にキスを一つ、落とす。


「優しい子。こういうことにはやり方があるんだよ。とくに人を救いたいだなんて傲慢な願いを叶えるにはね。いずれ君にも使えるようになるかもしれない。でも、今は私に任せておけばいい」

「なにをするの? 師匠、だめだよ」


 赤ずきんがソルシエールを見つめる。


「なんのことかな。ただ、興味があるんだ。どんな人が君を攫ったのか。だいじょうぶ、ちゃんと話はつけてあげる」


 ソルシエールは微笑んだ。


「師匠。俺、力づくで抜けられるほど、強いんだよ」


 すかさず赤ずきんが抗議した。

 ソルシエールはどうかな、と肩を竦める。


「どうかな。力づくで抜けられるんなら、とっくに逃げだせたんじゃない? さあ、このネズミに着いて行くといいよ。あとで外で落ち合おう」


 それからからかうように赤ずきんに告げた。


「くれぐれも、寄り道はしちゃいけないよ。悪いオオカミに食べられちゃうからね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る