第40話 月とつむじ風

 外は、赤ずきんの予想していた通りに公園のようだった。雪がよけられているため、スキー板の必要もない。

 取り戻した赤い外套が風に舞う。

 塔から出た赤ずきんはネズミを追いながら、唇をぎゅっと噛み締めていた。

 なにもできなかった。

 無力感が赤ずきんを襲う。

 結局、また、師匠に助けれられた。

 人に助けを求めることが悪いことだとは思わない。でも、助けられるだけの存在でいたいわけじゃない。


「俺は、……くそっ」


 雪を蹴り上げる。

 いくぶんか冷静になった。


「そうだ。……ゲルダはどうしたんだろう。……ねえ、少し待って」


 赤ずきんはネズミに声をかける。

 先導していたネズミは声に反応して、赤ずきんを振り返った。


「すこし、寄り道をしたいんだ。いいかな」


 手を差し出すと、ネズミは何の警戒心もなく赤ずきんの肩まで駆け上った。


「ふふふ、寒くないの? それに、ずいぶん警戒心がないんだな。魔法で奪われちゃった? 早く師匠が元に戻してくれるといいね」


 ネズミを撫でてやる。

 それからパンパンと頬を叩くと、気合いを入れ直した。ゲルダが連れ去られたのは、昨日のことだ。安否を確かめたい。


「さあ、俺にもできることをしよう」


 王女から感じた匂いを赤ずきんは思い出す。

 外から帰ってきた王女は、主に二種類の香りを漂わせていた。

 人工的な…、そう香水の香り。

 針葉樹の森の香り。

 しかし、昨日、ゲルダを連れて出て行った王女は別の匂いを纏わり付かせていた。

 湿った木材と、石炭の匂いだ。

 それから、枯れた肉の匂い。

 赤ずきんが辿るべき場所は、そこだろう。

 おそらくそう遠くない場所に、小屋があるのだ。他の人間の匂いはしなかった。

 新たに雪が降っていないのは幸いだった。

 全身の筋肉を使って、辺りを駆け回る。

 匂いの場所を探る。

 やがて、赤ずきんはそれらしい匂いを見つけ、その元へと辿っていく。しかし、その匂いは途中で途切れてしまう。目を凝らして足跡を探ってみても、あいにくなにも見つからない。


 ふと、空気が動いた。

 赤ずきんの鼻に、知らぬ匂いが届く。

 風上に、なにかいる。

 そう思ったのと同時に、木立の間から狼が姿を現した。

 白い毛皮をした、大きな個体だった。

 赤ずきんはリボルバーを構える。

 しかしその巨体は赤ずきんをじっと見つめるばかりで、襲いかかってくるような気配はない。その射抜くような眼差しは、なにかを赤ずきんに問いかけているようだった。

 それから獣は、まるでついてこいとでも言うように、来た道へ引き返す。

 赤ずきんは、オオカミについていく。

 オオカミは一回だけ後ろを振り向き、赤ずきんがついて来ているのを確認すると、ずんずん先へと進んだ。

 




 辿り着いたのは、小屋だった。

 赤ずきんもオオカミが連れてこなければきっとたどり着くことができなかっただろう。そんな入り組んだ場所にあった。

 鍵のかかっている扉を、力づくで無理やりこじ開ける。

 そろそろと中に進んだ。オオカミも後に続く。

 廊下などなく、すぐに居間に出る。しかし、その空間はほとんど大きな木箱で埋まっていた。


「……棺?」


 外ほどではないが、気温も低い。その中で、女の子が膝を抱えてうずくまり、震えていた。


「ゲルダ!」


 赤ずきんの声に反応して、ゲルダはゆらゆらと頭をあげた。

 赤ずきんは彼女に駆け寄る。


「あなた…、なんで」

「だいじょうぶ? 逃げよう」


 赤ずきんは、自らの外套を被せてやり、背中をさすった。


「え、ええ。だ、だいじょうぶよ。閉じ込められて、出れなくて。寒くて死ぬかと思ったわ。どうしてここに?」

「オオカミがここまで連れて来てくれたんだ」

「オオカミ?」


 ほら、と赤ずきんが示そうとするが、ついて来ていたはずのオオカミは姿を消していた。


「どういうこと?」


 青い顔で歯をカチカチさせながらゲルダが言う。

 赤ずきんにも訳が分からず、首を傾げた。


「分からない。白い毛皮の大きなオオカミだった」

「…そう」


 ゲルダはなにかに驚愕したように目を見開く。

 それから、つかの間、そっと目を閉じた。


「少しでも歩けそうなら、ここから出て行こう」


 絶え間なく声をかける。

 赤ずきんは今にもこの少女が死んでしまうそうな、不安な気持ちになった。

 その不安を振り払うように、疑問を口にする。


「ねえ、さっきからなにを持ってるの?」


 赤ずきんはゲルダが膝と体の間に抱え込むようにして、白い何かがちらついている事に気がついていた。


「ああ、これ……?」


 困ったようにゲルダが薄い笑みを浮かべた。

 そっと、体の隙間を大きくして、それを抱え上げて見せる。

 白骨死体がそこにはあった。

 頭蓋骨と、手の骨の一部だろうか。

 そう、左手だ。

 小指が欠損してしまったのか、元々なのか、一部分だけ欠けている。


「……その人は?」


 赤ずきんに、ゲルダは儚く微笑んだ。


「やっと、見つけたの」


 ぎゅっと愛おしそうにゲルダが骸骨を抱きしめる。


「ずっと、探してた。これできっと、彼の魂も故郷に戻れる。こんな暗い所に置いてはおかないわ」


 春になると花が咲き誇る草原に彼の墓を立てるのだ。

 ゲルダはそう言った。


 その頃、離宮の別の部屋では、王女、––––名前をオリガという––––が、寝る前の支度を整えていた。彼女の気分は久しぶりに上向いていた。

 ようやくイアンを拒むことに成功し、なによりカイが彼女の元に戻ってきた。

 ついでにゲルダを追い出すこともできた。オリガはゲルダのことが邪魔で仕方がなかった。自分よりも身分も見栄えも下なのに、彼女はすべてを持っていた。オリガは彼女のことが目障りで仕方がなかった。

 バックについている人間によっては追い出さないことも考えたが、相手がイアンなら追い出してしまうことに抵抗はなかった。なにより彼の目が城の中にあるだなんて気持ちがわるい。


 ほんとうに、素敵な気分だった。

 化粧台の鏡を覗きながら、櫛でさらさらと髪の毛を梳く。

 いずれ感情のすべてがなくなってしまっても、この喜びの記憶さえあれば生きていける気がした。

 今宵は風が吹いている。

 部屋の窓がカタカタと揺れた。

 空気の入れ替えにほんのすこしの間、窓を開けておいたのだ。


「閉めたほうがいいわね」


 化粧台の椅子から立ち上がると、後ろを振り返る。


「きゃあ」


 人が立っていた。

 顔は影に隠れてよく見えない。

 しかし、布で覆っている訳ではなさそうだ。


「やあ、こんばんは、お姫さま」


 すらりとした男性用の燕尾服。

 型は百年も時代遅れだ。


「どうやってここに…………。あなたは?」


 オリガが恐怖に震えることはなかった。

 彼女の氷魔法は攻撃に特化している。それ以前に、恐怖を感じる余地は、もはや彼女に残されていなかった。

 ただ鏡に侵入者の姿が映らなかったことを不可解に思う。


「私はあなたと同じ一族のもの。同じ呪いをかけられたもの」


 ゆったりとしたまるで劇のようなわざとらしい口調で、侵入者が告げた。


「同じ一族?」


 オリガの一族など、それこそ大陸中に広がっている。

 すぐには誰かなど推測できるはずもない。


「前の時代の者と言った方が分かりやすいかもしれないね。まあ、そんなことはどうでもいいんだ」

「それはよかったわ。枝分かれした傍流のことなんてすべて把握しきれないもの。出て行ってちょうだい。さもなくばあなたを排除するわよ」


 侵入者は苦笑した。


「傲慢だね、お姫さま。年長者の言うことは聞くものだ」

「なんの用かしら?」

「君の呪いについて教えてあげようか?」


 オリガは途端に興味を無くした。

 どこで知ったのかは知らないが、国の最高峰の魔法使いたちでも解けなかった呪いだ。どうして、この侵入者に解けるというのだろう。


「願いの歌は知っているだろう?」


 唐突な話題に眉をひそめる。

 おおよそ、侵入者との会話にふさわしい話題とは思えない。それゆえに何かが引っかかり、オリガは答えた。


「ええ、民がこの時期になると歌う歌でしょう」

「そうだね。あれは、願いの歌、祈りの歌。人の感情の源泉。だから力を持つんだ。それが呪いの正体だよ」


 あっさりと侵入者はネタバラシをした。


「人はあなたを噂する。人の思いは力となり、呪いとなる。人はあなたのことを、笑わない人間だと言った。だからあなたは笑えなくなったのだな」

「……それは、ほんとう?」


 半信半疑でオリガは問いただす。

 外からの冷気が痛いほどだというのに、手にはしっとりと汗をかいていた。

 もし解呪ができるのなら、オリガは再び世界を取り戻すことができる。それはそのまま生きる意味を見出すことを意味していた。


「さて、未来の子。こんな話をするために来た訳じゃない」


 窓から月明かりが差し込んだ。

 雲に隠れていた月が、顔を出したのだろう。

 侵入者の顔が照らされる。

 金の短い髪。しかし、まず目についたのは、それではなかった。


「あなた……」


 侵入者は、オリガとそっくりな顔をしていたのだ。

 侵入者が不気味に笑う。


「私には義務がある。未来を託した人々が道を外さぬよう、見守る義務が。さあ、あなたに問おう。あの子は何人目の『カイ』なのかな?」


 オリガは眉をひそめた。

 それは、たとえ誰であっても触れてはいけない領域だった。


「あなたには関係ないでしょう?」

「さてはて」


 オリガの偽物はあざ笑う。


「自国の民で人体実験を行っただけでもどうかと思うのに、王女に人形遊びをする趣味があったと知られてはこの国も浮かばれないな」

「なんの話か分からないわ」

「言質を与えないような小癪な真似はやめるんだね。こちらはすでに証拠を握っている」


 オリガは沈黙し、思考する。

 先ほどの発言から直感的に、意見の相違はあれど、この侵入者が国を守護しようとする者だと理解した。それを逆手にとって脅迫する。


「そうね。いざとなればあなたを殺すことは容易だわ」

「そうだろうね。君ほどの能力者なら、人一人消すことなどいとも容易い」


 二人はゆったりと言葉を交わす。


「それを踏まえて言うけれど、この事を公表するつもりなのかしら。そんなことをすれば国際的な非難は免れないわ。国への影響は計り知れないでしょうね。ただでさえ不安定な現在の国勢で、一気にあちこちで暴動が起きるにちがいない。あなたはその火種となって国を滅ぼすつもりかしら」


 偽物は動揺する様子がない。

 おそらくその覚悟があるのだろう。

 ただ淡々と述べた。


「道に打ち捨てられた男たち。少なくとも彼らを守ることはできる。革命は時に痛手を伴うものだよ」

「そうね。でも、それは加害者になる人間が言っていいことなのかしら」

「それもそうだな」


 侵入者は肩をすくめた。


「国を守るためよ」


 王女は瞳を伏せて答える。

 彼女の対は興味深そうに王女を見つめる。


「人の記憶を消すことが?」

「ええ。戦争が起こった時、兵士たちは身体だけが傷つく訳じゃない。精神的にも傷つくのよ。その記憶を消して、彼らが癒されるのならば、それは歓迎するべきじゃないかしら。それだけじゃないわ。余計な秘密を知ってしまった人間を消すことがなく、秘密を守ることができるのよ。この薬の開発にはたくさんの利点があるわ」

「戦争をするつもり?」

「可能性はいつだってあるわ」

「一方を助けるために、もう一方を消費すると?」

「命の重みは平等ではないわ」

「それはどうかな。少なくともその言葉を為政者からは聞きたくなかったな」

「どうやら意見が合わないようね、侵入者さん。わたくしはあなたを始末するべきのようね」


 侵入者は薄く笑うと言い放った。


「間に合うかな?」


 どう言う意味だ。

 問い正そうとした時。

 部屋に大きなつむじ風が巻き起こった。

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