第41話 太陽と干し草
「魔女さん。話はついたのかな?」
魔法使いの気配を辿って見れば、タチアナと彼女にそっくりな顔をした人間に遭遇した。ひときわ、香りが強まる。おそらく彼女がこの国の王女なのだろう。
「タチアナさん? どうしてここに留まっているんです」
ソルシエールが暗に責めると、いやだなあ、とタチアナは頬を染めた。
意味が分からない。
「あなただな。誘拐犯は」
ソルシエールは王女に問いかけた。
「誘拐犯?」
可憐な声で王女が言う。
「なんのことかしら」
ソルシエールには、王女がとても白々しく見えた。
彼女はきっと正気だ。
正気のまま狂っているふりをしている。
「べつに、どうでもいいんだ」
ソルシエールは静かにつぶやいた。
「きっと事情があるんだろうね。聞いたら思わず同情したくなるような事情が。そのことについて、私が批判する権利もないだろう。あなたの感情はあなたのものだ。でも、あなたの事情も、感情も、権利も。どうでもいい。今回、私は怒っている」
赤ずきんの記憶を改竄した。
おそらくクスリも使用している。
そして彼のアイデンティティを壊した。
これ以上、不安定な要素はいらない。
「さあ、なにか言い残すことがあるのなら言ってみろ。最初で最期のチャンスだ。でなければ私の全てを賭けてでも、あなたを排除する」
それに対する王女の返答は、無言で腕を持ち上げるという動作だった。
「魔法使いのくせに話し合いで解決しようとするのね。変なヒト」
途端に無数の鋭い氷柱が宙に出現し、それらが一斉に襲い来る。
ソルシエールは、それらを風で迎え撃った。
氷柱は風で相殺されて、たちまち消え失せる。
「君の元に赤ずきんは置いてはおけない。返してもらうよ」
王女の瞳がたちまち見開かれる。
「あなた…! カイになにをしたの!」
顔が、これ以上ないくらいに憎しみのこもったものに変化する。
ふたたび、氷柱が出現する。
ソルシエールが挑発した。
「そんな人間らしい顔もできるんだな」
呪文を唱える。
「『風よ、』」
その間にも氷柱は襲い来る。
ソルシエールの腕や頬に幾重にも赤い筋が走った。
それに構わず、魔法を発動させる。
「『父親から息子を取り上げろ!』」
呪文を唱え終わると同時に、強力な風が巻き起こった。
これはソルシエールが使える魔法の中でも、とびきり非情なものだった。
先ほどまでのつむじ風とはちがう、気持ちのわるいじとじととした肌にまとわりつくような風。
枯葉が揺れる。
柳が灰色に変化する。
黄金の花が咲き乱れる。
風の中から、鉤爪の手が現れた。
「……なっ」
禍々しいその手は王女に拒む隙を与えず、その胸に突き刺さり、そうして、彼女にとって『一番大切なもの』を奪い去った。
感情を失ってなお奪い去ることができなかった部分、それを奪われた王女の断末魔が響き渡る。
抜け殻となった王女は、どこかぼんやりと宙を見つめている。
その様子は先ほどまでの赤ずきんそっくりだ。
ソルシエールは手の中に収まったものを見る。彼女にとって一番大切なもの。それは、記憶だった。おそらく、彼女が『カイ』と呼ぶ少年との記憶だろう。彼女たちの、なにげない、ささやかな日常の記録だ。
拳を閉じる。
次に開いた時には、それは跡形もなく消え去っていた。
「さあ、行きましょう」
ソルシエールはタチアナに声をかける。
「さすがですね。魔女さん」
タチアナが頬を上気させて、ソルシエールに笑いかけた。
ソルシエールは冷たくタチアナを見据える。
「伯爵とちがって、あなたはなにかを期待していますね。私になにを望みますか?」
タチアナは儚げに笑った。
「なにも。あなたが生きてくれていればいいんです。その間、私の選択肢は一つ増えた状態になるわけですから」
「そう」
素っ気なく返事をすると、ソルシエールは部屋から出る。
ところが、タチアナがソルシエールに呼びかけた。
「魔女さん、まだです。もう一人、残っていますよ」
「……」
ソルシエールが振り返ると、そこには民芸品の人形のような青年がいた。タチアナに首根っこを引っ掴まれて、びっくりしたようにキョロキョロしている。なんだかその光景は妙に違和感がなかった。
「タチアナさん。どこで拾ってきたんです。捨ててきてください」
「魔女さん、彼は最初からここに居たんですよ。チャンネルが合わなくて、ずっと迷っていただけです」
パッと彼女が襟首から手を離す。
「はあ」
「おやあ。これは大変な場面に遭遇してしまったなあ。それにちょっと遅刻だ。ああ、助けていただいてありがとうございます」
青年は礼儀正しくタチアナに礼を言った。
「いえいえ」
目を細めてタチアナが笑う。
その様子は、どこか嬉しげだ。
「もう、さすがにひどいよ。空間を迷わせるなんて」
青年は、ふくふくと困ったように、誰かに文句を言った。
「イアン? あなた、ここでなにをしているの?」
ぼんやりと青年の方に顔を向けた王女が、焦点のぼやけた瞳でつぶやく。
王女に声をかけられた途端、青年はぱあと花咲くような嬉しそうな顔で、
「はい。あなたに会いに来ました」
と微笑んだ。
王女はそれに対して、特に反応を示さずぼんやりと宙を見つめた。
青年はそれを微笑ましそうに眺めていたが、ソルシエールの冷ややかな視線に気がつくと、親しみを感じさせる声を上げた。
「あ、あれ。わあ、あなたはどうしてここに? 探している人は見つかりました?」
そう言われて相手が誰か思い出す。
あの電車に乗っていた青年だ。
恋人に会いに行くと粘着気味に言っていた。
ソルシエールは眉を潜める。
「なんであなたがここに? ああ、……なるほど、彼女が婚約者なのか」
問いかけておいて、ソルシエールは途中で答えを出した。
「うん、僕の名前はイアンと言うんだ。あなたは魔女さんだったんですね。ここにいるということは、探し人は『カイ』だったのかな。ええ、そうなの?」
ソルシエールの気のせいでなければ、イアンはソルシエールには見えない誰かと会話をしているし、その視線は腰元のガラス瓶に向かっている。そこには魔法使いの気配は感じない。使い魔でも飼っているのだろうか。
イアンは、ええ、と声を上げると、ソルシエールを見た。その眉は困ったように垂れている。
「あなたは彼女の大切なものを盗ってしまったんですね。返してくれないかな」
「……なぜ?」
青年は頷いた。
「だってそれは彼女にとって大切なものなんだ。だから返してあげて欲しいんです」
「……その中にあなたは含まれていませんよ」
「分かってますよ。構わない」
イアンは笑った。
「いつまた暴走するか分からない相手をみすみす自由にさせろと?」
ソルシエールはいつでも指を弾けるよう、構えた。
イアンは笑顔のまま、首を横にふる。
「さすがに今回は、やりすぎちゃったから。彼女の親に許可はとっているんです。僕の好きなようにしていいと」
「つまり?」
「僕が責任をもって、彼女の監視をしますよ」
「あなたの言葉が本当だと、私が信じられるとでも?」
「誓ってもいいです。あなたの身近な人間に手は出させない。それに、国から出るつもりなんです。彼女は力を使いにくくなる」
「……いいですよ。返してもいい。あなたの命においてそれを誓うのなら」
イアンが口を開きかけた瞬間、タチアナが腕をイアンの前に差し出した。言葉を遮る。
「ええ、もちろんです!」
「タチアナさん。あなたじゃありません」
ソルシエールがタチアナを横目で睨む。
「えええ、私でもいいでしょう」
タチアナがふくふくと笑う。
「魔女さん、ずるいですよ。ここでこの青年と契約を交わしてしまっては、あまりにこの国にとって不利じゃないですか」
「私は個人として会話をしています」
「生きている人間が繋がりを断ち切れる訳がない。そしてあなたは人間として生きているでしょう」
「……ファンというのも良し悪しですね」
はあ、とソルシエールは大きな大きなため息をついた。それからガシガシと髪の毛をかき回した。
「まるで悪者にでもなったような気分です。いいでしょう、返してあげます。ただし、私たちが安全圏に抜けるまで待ってもらいますが」
「つまり?」
「国を抜けるまで待ってください」
イアンはホッと息を吐き出すと、嬉しそうに、
「よかったあ。ありがとうございます」
と頷いた。
「うん、良かった良かった。これで全てがめでたしめでたしです」
ふくふくとタチアナも笑う。
「どうだか。そのお姫様が他に人を攫っていないとも思えませんが」
「少なくとも、これ以上の犠牲者は出ませんから」
タチアナが薄く微笑んだ。
「どうだか」
今度こそ部屋から出たソルシエールの耳に、イアンの声が聞こえた。
「え? 『親でもないのに』? あっ。なんかこれは失礼なやつだな!」
*
赤ずきんとゲルダは王都までたどり着くと、大きな橋の根元で別れた。
夜明けの太陽に照らされて、霧の中に佇むゲルダは自らの故郷に帰る、と赤ずきんに告げた。
『彼』と一緒に帰るのだ、と。
なおも心配する赤ずきんを、ゲルダはその強気な瞳で見つめると言った。
「物事は、巡るわ。たとえあたしの体が忘れたとしても、魂がきっと覚えている。だから、きっと、だいじょうぶ」
それからにこっと笑った。
「ねえ、せっかくだからあなたの名前を教えてちょうだい。ずっと、知りたいと思っていたの」
赤ずきんも笑い返すと、自分の名前を告げた。
ネズミに着いていった先の、魔法使い協会のナンシーさんは親切な人だった。
中には狩猟会のおじさんたちもいて、赤ずきんを見ると頭を撫でたり、中には抱きついたり、涙を流している人もいた。赤ずきんは申し訳ないやら、照れ臭いやらで反応に惑う。
アルチュールが、
「その、すまなかった」
と赤ずきんに真摯に謝るから、滅多にないその弱気な様子に、赤ずきんは自分が周りに心配をかけていたんだな、と身に沁みた。。
それから、赤ずきんはだんだんと見てきたものを思い出し、ひどい気分になった。
じっと体を温めるが、顔に血の気が戻らない。
横になる気もせず、ソファに膝を抱えてじっと蹲る。
狩猟会の人たちが、珍しく気を利かせて、そっとしてくれた。
ソルシエールが魔法使い協会へと戻ってきたのは夜も明けてだいぶ経ってからだった。
「うまく行ったのね。よかったわ」
「ありがとうございます。赤ずきんは?」
ドアの開閉音ののち、そんな会話が赤ずきんの耳まで届く。
赤ずきんはなんとなく迎えにいくのが億劫で、じっとしていた。
ぱたぱたと軽い足音が近寄ってくる。
「赤ずきん?」
ソルシエールが滅多にない優しい声を出して、赤ずきんの頭巾にそっと触れる。
「うん」
小さな声で赤ずきんは返答した。
ゆっくりと顔を持ち上げる。
いつも通りの、どこか眠そうな顔が、赤ずきんを見つめていた。
赤ずきんは、瞬きをする。
それだけで、ソルシエールはなにか、分かってしまったようだった。
「君は、……」
少し言葉を区切り。
それから赤ずきんの頬をつまんで、たったひとことだけ言った。
「おばか」
赤ずきんは自分の顔がくしゃくしゃになるのを感じた。
「ごめん、師匠」
「うん」
ソルシエールが答える。
それから、いつもと変わらない調子で話をした。
「国に帰ろう。やらなければならない事がたくさんある。なにせ、君の祖母は心配のあまり手負いの獣のようになっているし、私はアーノルドに求婚されている」
「アーノルド?」
だれだっけ、と考えて、それが刑事であることを思い出した。
なんだかすごく懐かしい。
「え、なにプロポーズされたの?」
ふふ、と思わず笑いがこぼれた。
「困ったことにね」
ソルシエールが肩をすくめる。
「受けるの?」
ソルシエールは首を横に振った。
「受けないよ。そもそも私はすでに結婚しているからね」
衝撃の事実に乾いた声が出た。
「は?」
「あれ、言ってなかったっけ?」
そう呑気に首をかしげる魔女に、赤ずきんはふつふつと怒りが湧いてくるのを感じた。
「言ってないから!」
声を上げる。
干し草の香りがする。
赤ずきんは、自分が日常の中に戻りつつある事を感じた。
*
目が覚めた王女は自分が馬車に乗せられて移動中であることに気がついた。振動を感じる。
「え、なにここどこ?」
上体を起こして、窓から外の景色を確認する。
自分の国ではおおよそお目にかかれないだろう燦々と輝く太陽と、どこまでも広がる透き通った青い海が広がっていた。どこからかカモメの声もする。
ありえないほど、いやな予感で胸がドキドキする。
見ると、服装もまるで夏のような薄着に変わっている。
だれが着替えさせたのだろう。
「ここはですねえ。馬車の中ですよ」
真向かいの席に座っていたイアンが、にこやかに言った。
存在に気がつかなかったオリガは、
「ひいっ」
と悲鳴を上げる。
胸がばくばくとうるさい。
「い、いやっ。どういうことよ」
イアンはにこにこと嬉しそうに説明した。
「あなたは三週間もの間、『大切なもの』を奪われて意識が混濁していたんです。魔女さんも人がわるいなあ」
「だ、だから…?」
「その間に、僕がすべてうまく収めてみせると国王陛下にお願いして、一緒に旅に出ることを了承していただいたんです。あなたの王女殿下としての権限は、今のところ、取り上げられています。少なくとも旅に出ている間はね」
寝耳に水の話に、血の気が引くのを感じた。
「陛下も、王族が直接人体実験をするなど人聞きが悪い、と大層お怒りでしたよ」
「なにを勝手な……! わたくしの意思はどうなるの!」
糾弾しても、イアンはにこにこと笑うことをやめない。
それが無性にオリガの神経を逆撫でる。
「どういうつもりなの!」
続けて問い詰める。
「よかったなあ」
その細腕で殴りつけてやろうと思っていたオリガは、イアンの言葉に凍りついた。
意味がわからない。
恐怖でたまらなく泣きそうだった。
「感情が戻ってきているでしょう」
イアンの指摘に、オリガは初めて自分が怒ったり、怯えたりしていることに気がついた。
「どういうことなの」
混乱する。
「僕は呪いの正体を突き止めることに成功したんです」
「え」
オリガは自分にそっくりな侵入者が話していた内容を思い出す。『人の祈りがオリガを変えたのだ』と言っていた。
イアンはこの上なく幸せそうに話をする。
「あなたが感情をなくしてしまった呪いは、同じ土地に居続けたことも関係しているんです。生まれてからずっと、クラースヌィに居たでしょう。少し離れて、僕と一緒に旅をしましょう。意外と世界って広いんです」
すかさずオリガは言い放った。
「いやよ! 誰があなたなんかと!」
「うーん。手ごわいなあ。まあいいんだ、時間をかけてゆっくりと仲良くなりましょう」
「い、いや! 気持ち悪い!」
オリガは、イアンから必死に距離をとり、魔法を放つ用意をする。
こんな温暖な場所では本来の半分ほども能力を発揮できないが、この男を殺すには充分だ。イアンはついに声をあげてからからと笑い始めた。
「な、なにがおかしいのよ。あ、あなた一体なにが目的なの」
涙目になってオリガが問う。
イアンはその目の涙を指でぬぐいながら、訳を話した。
「やっぱりあなたは苛烈な人だ。呪いでそれが失われていくのが残念で仕方がなかった。たとえあなたの心が僕にないと知っていても、僕はあなたが感情を爆発させる様を見ていたかった」
その率直な物言いに、オリガは初めてイアンの存在を嘘くさくなく感じた。
「意味がよく、分からないわ」
しょんぼりと肩を落とすオリガに、イアンは微笑んだ。
「あなたがカイに対してとても大きな気持ちを持っているのは知っています。それこそ抜け殻になってしまうぐらい。別に僕に同じだけの気持ちを向けてほしい訳ではないんです。ただ、あなたの事を好ましく思っています。その気持ちすら嫌がられている事は分かっているんですが」
イアンは苦笑する。
ばくばくしていた心臓が、多少おちつく。
オリガは口を開く。
答える声は震えた。
「どんどん感情が失われていく中、唯一カイだけが、わたくしのそばにいてくれた。彼がそばにいてくれれば、わたくしは人間でいられる、そう信じたかった」
「いい男ですねえ、彼は。道理でかなわない訳だ」
イアンは感心したように頷くものだから、オリガはムッとして唇を突き出した。
「ところで、あなたのことは本当に好きではないわ」
「これは手厳しい」
「でも、しょうがないから当分一緒に旅をしてあげなくもないわ」
それは、オリガの妖精のような顔に、久しぶりに血が通った瞬間だった。
主に、嫌悪と怒りという意味で。
« あとがき・オリガのこの先 »
感情が戻った事で、自分がしでかした事の残虐さに気がつき、罪悪感で押しつぶされそうになる。その先、生きていけるか再び呪いにかかるかどうかは、近くに人がいるかいないかで決定する。
そして、彼女に恨みを抱き続ける人は、心を変えたかしないかに関わらず存在し続ける。
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