第9話 頭の黒いネズミ

 それでは失礼いたします、と頭を垂れた老執事と別れ、寝泊まりのためにと案内された部屋に入る。隣室とほとんど同じ造りの、同じような家具が配置された部屋だった。


 天鵞絨の絨毯の上には、魔女の革のスーツケースがちょこんと置かれている。

 ソルシエールはスーツケースを広げ、まじないをかけるのに役たちそうな品々を手当たり次第、ローブのポケットに詰めていった。結果、ポケットはぱんぱんに膨らんで、アンバランスな見た目になる。まじないをかけた組み紐も見つけたので、ついでにそれもポケットにねじ込む。


 それから部屋を出て、少し城内を搜索することにした。重さで若干ふらつく。


 右隣の部屋をノックしても赤ずきんが出てこない。他の場所にいるのだろう。時間帯のせいか、ひと気はなく、しんとしている。なんとなく、窓の外をのぞきこむ。


 とっくに陽は落ちていて、中庭を見渡すのもぎりぎりだ。この時期は陽が沈むのも早い。空の星はあいにくの雲模様で、一つも見えなかった。視線の方向転換をすると、入り口の城門が閉まっているのが見える。どうやら夜は橋をあげているらしい。


「まあ、そっか…」


 頼めば裏手から出られるだろうが、城の外へ出るのは明日にして、代わりに家の中の魔法の手がかりをさらうことを決める。


 ふと、人影が視界に入った。向かいの棟の二階部分の窓の横で、二人の使用人が話している。両人とも話に夢中になっているようで、魔女には気がついていない。片方がもう片方にしがみつかんばかりだ。

 その様子を知らぬげに、向こう側の窓に取り付けられたカーテンがひらひらと揺れていた。


 なにを話しているのだろう。

 ソルシエールは窓をそっと押し開け、しずかに呪文を唱える。


「『風よ、言の葉をここまで運んでおいで』」


 手のひらにふっと息を吹きかける。

 呪文の発動に伴い、ゆるやかに空気が流れると、やがて魔女の耳に音が届いた。


「でも、あたし、どうしたらいいか…」


 困惑したその声は、赤毛の女性のものだ。距離がありすぎて表情までは読み取れない。

 もう少し年嵩の茶髪の女性は、それに対してなだめるように赤毛の女性の肩に手を置いた。


「だいじょうぶですよ。なにも怖いことはないわ」

「で、でも。もし知られてしまったら…」

「よしなさい。そんな態度ではかえって不審がられるわよ」

「そうですけど…」

「いいですか? 私に任せて、人には言わないことね。とくに魔法使いなんて信頼ならないわ」

「『黒い森の魔女』もですか?」

「そうですよ。ご主人さまの知り合いだかなんだか知らないけど、魔女っていうのはまるでネズミみたいに頭が黒いものです。勝手に魔法をかけられないように『魔女ごろし』を準備しておいたから。あとで使ってちょうだい」

「はい、メイド長」


 思わず魔女は笑ってしまう。


「おやおや、こわいこわい」


 そこで、階段から人の足音が聞こえてきたので、ソルシエールは盗聴をやめて、歩き始めた。


「ソルシエールどの」


 数歩いったところで顔を出したのは、アーノルドだ。


「なにか見つかりましたか?」


 すまし顔の魔女に、彼は苦い顔をする。


「いえ、時間も経ってますし、やはり城で手がかりを見つけるのはむずかしそうです。ここでなにを?」

「ちょうど下に降りようかと。では」


 そのまま通り過ぎようとした魔女をアーノルドが呼び止めた。

 振り返ったソルシエールに、アーノルドが気まずそうに切り出す。


「あ、あの…、今日のイノシシの退治料はいくらになるでしょうか。できれば…その、自分の給金で払える範囲にしていただけるとありがたいのですが…」

「べつにいりませんよ」


 吝嗇だともっぱら噂の『黒い森の悪魔』の二つ名も伊達じゃないな。魔女は心の中でほくそ笑む。払わなくていいという魔女に、さらに気まずそうな顔をするアーノルドに説明をする。


「魔法とは、結びつけるもの。魔術師とは、術式の提供者。魔術師が魔法を個人で使う分には自由でも、だれかのために使うにはいろいろと制約があるんです」

「制約?」


 魔女はわざとらしいくらいに仰々しく頷く。


「残念なことに。事前に契約をむすぶ必要があるんです。契約が人と人とを結びつける。魔女と依頼人の関係は、依頼人の目的と魔女への報酬、両者が達成されることで、解消されます。だから、代金をいただくことで、不要な繋がりを作ってしまうわけにはいかないんです。残念なことに」

「いえ、それでも」

「使い魔が主人に利益を献上するという名目で奉仕する方法もあります。私の使い魔になりますか?」

「いえ、あの…」


 アーノルドが目に見えて困惑するので、ソルシエールはクックッと苦笑した。


「ふふ、よかったです。掟に違反してるので」

「そうですか、それは…、すみません」


 なぜか意気消沈するアーノルドの顔を見て、ソルシエールはすこし逡巡して、それから一歩分、距離を離す。そして、思っていたことを口にした。


「それに、あの馬車が助かったのは、あそこにアーノルドさんがいたからです」

「自分は、…なにもしていませんが」

「ここだけの話、」


 内緒話をするように、クスクスとささやく。


「あなたに『助けましょう』と言われなければ、きっと、助けませんでした。あなたが馬車と、御者のおじさんの生活を救ったんです。理不尽に通行を止められたイノシシは哀れですが、基本的にはいいことをしたんだから、気にする必要なんてありません」


 そのつぶやきに、アーノルドは苦笑いを浮かべる。


「ソルシエールどのは、いえ、ソルシエールさんは、良い方なんですね」

「そんな風に褒められたのは生まれて初めてです」


 片目を閉じておどけてみせる。


「てっきり…、いえ、とにかくありがとうございます」


 ソルシエールは相手の、疑うことを知らなさそうな柔和な顔立ちを見つめる。魔女には、彼のほうがよっぽど『いい人』に見えた。


「それじゃあ、下に行きますので」


 魔女にアーノルドも微笑み返す。


「はい。またあとで」





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(おまけ・その7)


 大工のクサビエ・ブルシエの十代の息子の二人は、話をするのもイヤだという風に顔をしかめる。戸口をしめられそうになったので、慌てて足を突っ込んだ。


「話を聞かせてくれ」


 なんども頼み込むと、根負けしたのか、ようやく話を聞かせてくれる。


「あんなやついなくなって、せいせいするよ!」


 兄の方がスッキリしたと言い放つ。

 それに弟の方も頷いた。


「アルコールばっかり飲みやがって、酔うとかあさんに手をあげるんだ。家から追い出しても、しつこいのなんの」

「そうか。君たちは苦労したんだな」


 同情すると、彼らは当時のことを思い出したのか、一層腹を立てたようだった。


「最近になってまた家を訪ねてきてさ。改心したとか言って、アルコールをやめたとか言い出したけど信じられるかっつの。今まで何回その言葉に裏切られたと思ってるんだって、話だよな」

「お袋もほんと何回その言葉を信じるんだか」


 それから兄弟は顔を見合わせて、はあ、とため息をついた。

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