第11話 象牙の彫刻
窓の外には、先ほどまで夜の闇の中でも見えていた森や庭はなく、のっぺりとした黒が張り付いていた。あまりに黒いので、厚みがあるのか、それとも紙のように薄いのかすら判然としない。ただただ黒いのだった。
代わりに応接間はロウソクのほのかな灯りで強調され、人々の周辺を朧げに照らしている。油性の絵画や象牙の彫刻だのがぬるぬると光を反射させた。その曖昧な光に、ある人は怠惰そうに、ある人は苛つきながら、ある人は不安そうに身を寄せ合う。
「館から出られない。戸口も鎧戸も全て閉じられてしまって動かない。これは魔法だろう? なにが起きた」
応接間に集められたのは、魔法が発動した時、館内にいたものだった。ピエール、執事、メイド長、メイド三人、それから中年の男料理人だ。それぞれソファや椅子に腰かけている。もちろん、アーノルドに警部、赤ずきんもいる。
ピエールの言葉に、魔女が答えた。
「だれかが侵入しようとした痕跡を見かけたので、城には外からの魔法を受け付けないように呪いをかけたばかりでした」
ピエールはその言葉に顔をさらに険しくする。
「つまり、これは、外からの攻撃ではない?」
「そう。この城内で魔法を使用した人間がいるということです。私以外にね」
「内部とは、つまり庭師や警備兵も怪しいということか? 彼らは室内にいなかったせいで、外に締め出されたままだが」
「いいえ。発動場所は、この館の中。外にいた人間は、果たして事態に気がついているのでしょうか。魔法の発動と同時に、ここは捻れた空間になってしまいましたから」
「どういうことだ?」
「叫び声が聞こえた人間と、そうでない人間がいたのでしょう。意思が人を選り分けたのです。世界はひとつ、切り離され、われわれはこの閉じた世界に招かれました。今のところ、生きた本物の人間はこの部屋にいるもののみ。無闇に館から、いいえ、この部屋から出ようとしないことですね。無意味どころか危険です」
外の闇が呼応するように、その濃さを増した。
言葉に肯定され、その存在がよりたしかさを強めたのかもしれない。
いずれ、その闇に光は喰い破られるだろう。
「世界が、その、切り離された? 理由は?」
「この世界から解放されるには、それを知るしかありません」
「分からないのか?」
「あなたは、散歩中に急に自分に斬りかかってくる人間がいたとして、そうされる理由がわかるんですか? ただの通り魔かもしれないのに」
「状況が違う。ここには限られた人間しかいない」
ソルシエールはほほえむ。
「ならば、私よりあなたの方が思い当たるフシがあるのでは?」
ピエールに反し、顕著な反応を示したのは彼の周囲の人物だった。なるほど、それぞれがそれぞれに思い当たることがあるらしい。
ピエールはゆっくりと首を振る。
「ここの人間はそんなことしない」
ソルシエールは黙って肩を竦めてみせた。
分かっていないのか、分かっていて見えないふりをしているのか。
「それより、魔女さん。ジュリーが消えたってどういうことだい?」
料理人だというがっしりとした男が割って入る。
ピエールは特に咎めることもしなかったが、名目上とはいえ客人と主人の会話へ介入した下の者に、そばに控えた執事は身じろぎした。
「世界と世界の狭間、闇に呑み込まれたようですね」
「生きているのか?」
「どうでしょう」
「そんな…。かわいそうに」
料理人はそのげじげじの眉を歪める。
黙っていたピエールはとある可能性に思い至ったらしい。口元に手を当てて、じっと魔女を見つめた。
「呑み込まれた…、エラもそうなのか?」
「魔女の話と館から消えた時の状況を聞くに、その可能性はありますな」
オーギュスターブ警部が、自身の顎髭を撫でる。
それから、その腹をずい、と動かし前に進み出た。
「相手の腕はどれほどなのだ、魔女」
「熟練か。あるいは、相当時間をかけて準備をしたか。ほとんど気配を感じないんですよ。魔法使いであればだれでも感じ取れるようなものなのに」
魔女が続ける。
「正体の知れないものがじわじわ静かに近づいてきては、ふっと捕らえてしまう。それでも勘のいい人は感じとれたりするんですが…、彼女、ジュリーさんはなにか普段とはちがうことを言っていませんでしたか?」
真っ先に反応したのは、メイドたちだった。
「そういえば、ジュリーは誰かの視線を感じることがあるって言っていたわ。あと、夜になるとひたひたって足音が聞こえるって」
「男女の双子の幽霊の話をしていたかもしれません…」
「わ。わたしもその話、聞いたことがあるわ」
魔女は大仰に頷いた。
「なるほど。ばらばらにならない方が賢明かもしれませんね。一人を飲み込むより、大人数の方が手間取るはずですから」
意外にもその言葉に一番最初に理解を示したのは、オーギュスターブ警部だった。むっつりとしたまま頷く。
「了解した」
魔女は一同を見回して再度警告した。
「とにかく、今は、この部屋から出ないことです。自分の命を守りたいのならね」
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(おまけ・その9)
シャルル・ド・プチの父親が落ち着きなく室内をウロウロ行ったり来たりし、警察の話を聞こうともせず、怒鳴り声をあげた。
「また君たち警察かね! 早くあの愚かな息子を見つけてくれ! 学校にも行かずに一体何をしているんだ」
「落ち着いたらいかがかな。行き先に心当たりはありませんかね?」
冷たい声音を意識して出すと、ぎろりを睨みつけられるが、そんなものでひるむわけがない。
先に視線を逸らしたのは、相手の方だった。
「知るわけないだろう」
「息子のことでしょう?」
唖然とした様子の相棒に、
「父親だって知らないことぐらいあるだろう」
と返す。
結局、大したことは分からなかった。
「なんだありゃ。あれでも親かよ」
相棒が帰り道、ぼやく。
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