第23話 価値のない人間

 風が、吹き荒れる。




 魔法の収束とともに、部屋中の家具がガタガタと揺れ出す。

 部屋の中だというのに、大粒の雨が降り出した。

 部屋の家具も、人も、しとどに濡れていく。

 まるで姿を見せない少女の怒りを表すようだ。


 ぽたぽた、ソルシエールの顎からも、髪からも雫が滴り落ちる。


「最後の後押しはこれでしょうね。幸せになれる、と優しい言葉をかけられて、エラ嬢は人生で一番幸せになったわけです。だから、消えたくなったのかな。完璧なままで時を止めるために」

「幸せなまま、終わりたいということでしょうか。それは、」


 分からなくもない、とアーノルドがつぶやく。

 にこにこと魔女が嗤う。


「まだ分かんないの? 愛されてなかったんだよ、君」


 空間に笑い声交じりに呼びかける。


「このままじゃあ、君の世界は完璧にはならないぞ! さあ、どうする!」


 猛烈な雷が魔女の真横に落ちる。

 それを受けた魔女から、ああおかしい、とばかりにケタケタ笑い声をあがる。実際、ソルシエールはたまらなく愉快な気持ちだった。

 飛沫が跳ね上がる。


「いいんじゃない? 壊しちゃえ壊しちゃえ。ぜんぶ壊しちゃえ。気に入らないのなら暴れたらいい。ここは切り離された世界。善も悪もない。裁く人間はいない。その権利もない。殺人も拷問も罪ではないよ」


 直後、雷が魔女に直撃し、白煙を上げた。

 ところが、その体には傷ひとつついていない。

 その唇は、ニヤリとつり上がった。


「そんな攻撃、当たるものか」


 その言葉を試すかのように、次々と雷撃が魔女を襲いかかる。しかし、そのどれもが魔女に傷一つつけることはなかった。

 ケラケラ哄笑があげる。

 ぱちん、と指を弾くと、服もあっという間に乾いてしまった。

 くるり、くるり。

 ローブが舞う。


「…化け物」


 警部が顔をしかめる。


「さあ、私たちは一抜けさせてもらおう。ケガでもさせたらたまんないし。赤ずきん、おいで」

「師匠」


 未だに赤ずきんの目には怒りをたたえている。

 魔女はそれを意に介さず、その目を爛々とさせて笑う。


「君がどう思っていようと、無理やりにでも連れてくよ」

「師匠!」


 赤ずきんにぐいと引き寄せられて、その蒼い瞳と目線が合わさる。

 髪が混じり合いそうなほど近い距離。しかめられてなお、煌めくその空色の瞳に、ソルシエールの心がどくどくと爆ぜて。それからしぼんでいく。


「おい、魔女。我々を見捨てる気か!」


 外野の声に、ソルシエールは我に帰った。赤ずきんと距離をとる。

 それから警部に皮肉げな表情を作ってみせた。


「やだなあ警部、魔女に助けを乞うなんてよっぽど切羽詰まってるんですね」

「貴様…!」

「あとでたんまりお代を払っていただきましょう。踊りでも踊っていただこうかしら」

「ふ、ふざけ、…」

「はい。ソルシエールさん、お願いします」


 アーノルドが警部を抑えて勝手に承諾する。

 魔女は肩をすくめて、家の主人に向かい合った。


「ピエール。さあ、最後の決断の時だよ。君は、どうする?」

「俺は…、」


 言い淀んで黙る。

 まだ決断がつかないらしい。

 魔女は、ふん、と鼻から息を吹き出すと、


「つまんないなあ」


 と不満を漏らした。


「人生はたった一回きりしかないのに」


 ソルシエールは迷子の子供を諭すように、ゆっくりと言い聞かせる。


「ピエール、どうして、君が最後まで取り残されたか分かる? ここにいる人間、君以外、全員他人なんだ。エラ嬢にとって価値はない」

「…俺に価値がなかったのか。それとも……」


 萎れた様子に魔女は鼻白んだ。自信満々にそこら中の女と懇ろになっていた男が、急に弱気になった。全く、女好きが聞いて呆れる。


「私はエラ嬢じゃないからなあ」

「でもなんらかの解釈はしたんだろ」

「正答を知っているのは本人だけ。どんな解釈も正解で不正解なんだ。だから私の意見に意味はないよ」

「そうだな。…俺は、決めた。ここに残る。助けは、要らない」


 魔女は肩をすくめた。

 それからピエールの手を取り、キスを落とす。とびきりの呪いをかけてやった。ピエールはキスに、うげえ、とほんの少しうろたえたものの、その祝福を受け取る。


「そう。答えを見つけることができたら、呪文をつぶやくといい。鍵はもうすべて、揃っている」




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(おまけ・その21)


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 魔女というものは、魔法使いというものは、魔法というものは。

 忌々しい記憶を読み起こす、邪悪な要因だ。


 世の中のいやな出来事に遭遇するたび、甘い夢に自分が誘われていることを自覚する。そして、そのたびに思い出すのだ。自分が撃ち殺した相棒が、虚空を見つめるあの様を。


 相棒が甘い夢に惹かれた理由は理解できる。

 魔女がなにを企んでいたのかは、まるで分からなかった。

 だから、私は魔法が嫌いだ。

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