第17話 血の青いネズミ。手向けられた鎮魂歌。
なにかが、きしむ音がした。
この石造りの城が簡単にそんな音を出すはずもない。
十中八九、魔法によるものだろう。
この音に近いものを、魔女は知っている。太めのロープに重しがつけてあって、それが土台との接点で擦れる音だ。
また。首つり。
「今度はなんだ」
もはや身構えるのが面倒になったと言うようにソファにどっかり腰を下ろしたオーギュスターブが、魔女を詰問する。
「お前がウソを言うせいで、人が消えた」
「ウソなんて言いませんよ。人聞きのわるい」
「魔法使いは全員嘘つきだ。悪党め」
疲れているのだろう。どれほどの時間が経過したか、この不確かな空間では正確なことは分からない。魔女とピエール、それに警部もそれぞれ懐中時計や腕時計を持っている。しかし、その針はすべて違う時間を指し示しているし、この応接間にある鳩時計はずっと正午を指している。
時間など、ここではなんの意味もないのだろう。
けれども、人々がずっと気を張り詰めているのは確かだ。
「合図ですよ」
「合図?」
警部は気だるげにかまわんかね、と断りを入れると、スーツの胸ポケットからパイプを取り出して、火をつけようとする。しかし、それはうまくいかず、すかさず横にいたアーノルドが火を分けた。
ふう、と吐き出した息とともに、せまい室内に紫煙が薫る。
「合図とはなんだ」
「次の異変の、ですよ」
どこかから赤ん坊の泣き声まで聞こえてきた。
空間が、喰われかけている。
「い、いや」
なにも気がつかない男性と違って、女性たちには聞こえたのだろう。怯えている。
部屋にいるのはメイド二人に、老執事。ピエールの他には、あとは外から来た人間だけだ。三人いないだけで、空間はずいぶん広々としてしまったのだった。
「うわ、なにこの匂い。気持ちわるい」
悪臭を感じた赤ずきんが、その香りを遮断しようと手で鼻と口を覆い隠す。
「たばこ?」
ソルシエールに、赤ずきんは首を横に振った。
「ちがうよ。甘い。強すぎてクラクラする」
赤ずきんはソファに腰掛けると、つらそうに目を閉じる。
ソルシエールはぱちんと指を鳴らした。
すでに存在する魔法を強化するものだ。
「どう?」
変化を感じたのだろう。
今にも吐きそうだった赤ずきんの表情が多少和らぐ。
「原っぱの匂い」
「押し返すには、すこし足りないかな」
「ラクになったよ。ありがとう、師匠」
弱々しく礼を言うが、顔色はわるい。
ソルシエールは部屋にいる人の顔を見渡した。まるで葬式のように、しおれた顔をした面々。特に二人の女性陣は石像のように固まっている。
一人はメイド長と周囲に呼ばれる女性。もう一人は廊下で彼女と話をしていた女性だ。年長で老獪な印象を受けるメイド長と違って、こちらは弱そうだった。赤毛の髪を落ち着きなく触っている。三十前後だろうか、顔には気弱さがにじみ出ている。
そろそろ、いい頃かもしれない。
せっかく魔法も強めたのだし。
「ねえ、話してくれてもいいでしょう?」
カマをかけてみる。
人の注目が一斉に魔女の視線の先に集まった。
ずっと無表情で黙っていた老執事までもが、驚愕したように彼女を見た。
彼女のもともと青白かった顔は、もはや土気色になっている。
やはり見た目通りに、ヒビの入ったガラスのようにもろいのだ。
「な、なにを?」
首を横にふる。
しかし、人々の視線に耐えられないのか、その瞳にはすでに涙がこみ上げている。
魔女はもうひと押しした。
「溜め込んだ感情は毒になる。毒は闇を惹きつける。吐き出して。ラクになって。あなたは原因に心当たりがあるのでしょう? あなたを苦しめるものはなんですか?」
「ご、…ごめんなさい」
彼女の声が震えている。
「どうして、謝るの? そんな必要なんてないんです。ただ、あなたの話が聞きたいだけ」
魔女の質問に、赤毛の女はますますうなだれた。
「あの女のせいなの」
「あの女?」
「い、言えないわ…」
案外、強靭な精神の持ち主なのか。
「だいじょうぶですよ」
ほほえむ。
それともその抱える秘密が身の破滅をもたらすのだろうか。
「話したところで、どうせ結末は変わりません。それなら、いっそ楽になってもいいのでは」
そっと囁く。
すがるように魔女を見つめた赤毛の女に、やさしく頷いてみせた。
「ふん。どうせ、くだらん女の嫉妬だろうさ」
オーギュスターブのボソリと呟く。
その声は、その声量に反して部屋にいる全ての人の耳に届いた。
「失礼なことをおっしゃるのは、おやめくださいませ」
メイド長に静かに凄まれて、初めて人々に聞こえたことに気がついたのか、
「す、すまない」
と謝罪する。
すると、なにがおかしかったのか、赤毛のメイドは笑い始めた。
うつむいていた彼女が顔が持ち上がる。その顔には、引きつった笑みが張り付いている。
「そうよ! この館に入り込もうとした異分子。平民なのに貴族になろうとしたあの愚かな女」
「エラ嬢のことですね?」
これはしめた、とソルシエールは内心ほくそ笑む。
ついで余計な口を挟んできそうなピエールの口を、指を鳴らし、封じる。本人は急にぴったりと閉じてしまった唇に、目を見開いて慌てているが、魔女の知ったことではない。
それよりも魔女の興味は話の続きの方にあった。
「そうよ。追い出したと思ったのにあの女、逆恨みして呪いをかけてきたの。きっと、そうよ。魔女さま、あなた、あの女の手先なのではなくて?」
「あいにく面識がないので、彼女のことをまるで知らないのです。彼女は、あなたにとって、どういう人物だったのですか?」
「愚かな女。顔だけはいいけど、なにも考えないでふわふわして。嫌がらせをされたら怯えて。わたしたちがやったってことも知らないで、頼ってきたのよ。いい気味だわ」
「エラ嬢のなにがいけなかったんでしょうか?」
「あんななんの苦労もしていない女のなにがいいの!」
「だって、あなたの苦労は報われてないのに?」
「そ、そうよ! わたしは…、いつかは、わたしだって。…………わたしにいたのは理不尽な暴力を振るう夫だけだったわ……、これだけ辛い毎日を送っているのに! 理不尽なことも、叶わない夢もそうしたものだと思ってやり過ごしているのに。あんな平民に…。許せない、許せないわ」
自分から誘導したものの、凡庸な話にソルシエールは飽きそうになった。どうせなら、もっと奇抜な物語を期待していたのに。そんな気になる。
「やめなさい」
泣きわめくメイドに、ぴしゃりと喝を入れたのは、彼女の上司だった。
「みっともないですよ、ブルシエ嬢。魔女の口車に乗せられてはいけません。落ち着きなさい」
それに対して、ぎょろりと目を剥いたメイドが食ってかかる。
「どうしてです。メイド長! あなたも同罪よ! 加担したんだもの」
それに対してメイド長はあくまで冷静だった。ふう、とため息をつく。
「だからどうしたと言うのです」
その言葉に、彼女は助けを求めるような、縋る瞳で魔女を見た。視線を受けて、魔女も見つめ返す。
赤毛のメイドの顔に驚愕が浮かんだ。
魔女の顔を穴があくほど見つめると、その顔はどこか大切なものを置き忘れてきてしまったような笑顔になった。
胸元から毒々しい色をした奇怪な石を取り出す。
魔女殺しだ。
「やめ、」
だれかが制止の声をあげる。
赤ずきんはぐったりしている。
だれも止めない。
止める間もない。
彼女が引き金を引く。
そして、それは、発動してしまった。
部屋の中で魔法が破裂して、壁に飾られた絵画や小物が落ちる。
結界が、弾き飛んだ。
その結果、ますますぎいぎいと言う奇妙な音は強くなる。赤ん坊の泣き声もいよいよ頭が割れんばかりに強くなった。目の前で笑う、高らかな女性の笑い声も、ますます異様な感を強くする。
「赤ん坊…? 泣いてる、のか?」
男性陣にもようやく赤ん坊の泣き声が聞こえるようになったらしい。
気味悪そうに、天井を、扉を、壁を見つめる。
ソファの背もたれにぐったりと身を預けた赤ずきんがつぶやく。
「だいじょうぶだよ」
それから目を伏せると、なにを思ったのかどこか聞き覚えのあるメロディーを口ずさみ始めた。魔法でもなんでもない。
ただの子守唄だ。
決して大きな声量でもないのに、その歌声はうるさい室内に行き渡った。
暖かい陽だまりの中で昼寝をするような優しい、やわらかい声音に、ソルシエールは目を瞬く。この場で想起するにはなんて似つかわしくない情景だろう。思わず笑いそうだった。
歌に伴いあれほどうるさかった声が徐々に、静寂を取り戻す。
しんと静寂が訪れたころ、メイドが崩れ落ちて、泣きながら懺悔を始めた。
「ごめんなさい。私が嫌がらせしたの。エラさまに。だって、ただの普通な人なのに、綺麗なだけで人生は変わるのよ。私なんて、同じ平民でも、誰にも見染められないのに」
さめざめと泣き始める。
メイド長はそれを無感情に眺めていた。
「メイド長、あなたとリュシーに、なんらかの責任があるようだな? 説明してもらおうか」
先ほどの『魔女ごろし』で、口封じの魔法の効果が切れてしまったのだろう。
ピエールが押し殺した声で、メイド長をしずかに問い詰める。
ぱちり。
ソルシエールは指を弾いた。
彼女はピエールの剣幕に押されず、そうするのが当然だ、というように泰然自若に答えた。その言葉には、一切淀みがない。
「この魔法によって起きた異常事態と関係があるかは分かりかねますが。伝統ある家に入るには、ご覚悟が足りないように見えたので、貴族の子女なら普通にできるべきだろうことをエラ様にいくつかご指南いたしました。いやがらせをしたというわけではありませんが、厳しくあたったのは確かですわ」
「覚悟なんて…」
必要ないだろう、その言葉を飲み込んでピエールは絶句する。
分からないのだろう。生まれてからその場所にいる人間に、分かるわけもない。
ぱちり。
メイド長は、淡々と説いた。
「ありますわ。五百年の歴史を持つこの家に嫁ぐと言うことがどう言うことなのか。生半可な気持ちで家に入ってもらっては困るのです」
「階級はなくなったんだぞ」
「それでも、歴史は残ります。ただの使用人ではありますが、代々仕えてきたからこそ、その尊さをわたくしは知っております」
決然としたメイド長に、ピエールはただ、悲しそうな顔をした。
「五百年続くことが、えらいことなのでしょうか」
口を挟んだソルシエールが、せせら笑う。
「黙りなさい、魔女。下賎なあなたには分からないかもしれませんが、家というのは、尊いものなのです」
まるで真っ当なことを言う。
ただし、本来の意味からは遠く外れている。
「この場所にいる誰もが、先祖を辿れば五百年どころか一万年以上遡れるのに。尊く気高い青い血をしたネズミたちですよ、我々の祖先は。あなたはネズミも崇めるんですか」
魔女の挑発に、メイド長は不愉快そうに顔を歪め、顔をそむけた。聞く価値もないと言いたげだ。
「階級は無くなった。そうでしょう、オーギュスターブ警部」
「その通りだ」
魔女の言葉に同意するのが不満なのだろう。不本意そうにオーギュスターブ警部が頷く。
「もはや親の跡を継いで、領民を養わなければならない身分でもない。ならば延々と続いただけの家系になんの意味があるのか。不要な意味を与えすぎて、本質を見逃しているのでは?」
「あなたに何が分かるのです」
「分かりますよ。ピエール・ペローというのは、ネズミを祖先に持つ、ただの人間の男です。多少特徴はあるかもしれないが、その特異さが人間としての限界を超えているわけでもない。人間。それ以下でも、それ以上でもありません」
「詭弁です」
「そうでしょうか。どうして私の言うことが詭弁で、あなたのそれが詭弁ではないと分かるんです?」
「そんなことは知りません」
「そうですか。まあ、私は詭弁だと思いますが 。けれど人間社会のほとんどはその詭弁で成り立っている。どれを選ぶかは、個人の自由ですよ、ねえ? そういう時代になったんです」
この場で一番空虚なものの上に立つ男を流しみる。
視線を受けたピエールは、やるせない迷子のように、ぽつんと言葉をこぼした。
「そうだな、その通りだ」
その言葉に、メイド長はとてつもなく悔しそうな顔をした。
静かに佇んでいた執事も口を添える。
「メイド長。わたくしたち使用人が、主人の決断に口を挟むなどあってはならないことです」
「おやめください!」
まるで聞く気がない。
メイド長はぴしゃりと跳ね除けると、懐からナイフを取り出す。
そして、その刃先を自らの主人に差し向けた。
「ご主人様。あなたは貴族。主人なのです。高貴なる責任を放棄なさってはいけません。あなたはそんな方ではありませんでした。あの女性がここに来てからのご主人さまは、らしくありません」
照明の薄暗い光を反射させるごく小ぶりなそれ。
おそらくペーパーナイフだ。
「うわあ、この狂信者」
思わず出たソルシエールの呟き。
きっと、それが最後のひと押しだった。
メイド長は犬のように歯を剥いた。
「人を惑わす下賎な魔女。お前のような者がこの家に近づくな、排除してやる」
まっすぐ向けられた刃先に魔女は嗤う。
「おやおや。それを繰り返した先、最後に残るのはだれでしょう?」
「おだまりなさい!」
魔女の言葉が終わらないうちに、メイド長が突進してくる。
ナイフが腹に刺さるのを待ってやる義理もない。
魔女はさっさと魔法を発動させた。
「『風よ、邪なるものをさらって行け』」
緩やかな風が巻き起こり、メイド長はそれに体を拘束される。身動きどころか、声すら出ないだろう。言葉が封じられている。彼女は拘束から逃れようと体をジタバタさせるが、そんなに簡単に逃れられるはずもない。
ホールへ続く扉は開いている。
外へ向けて、その体ははじき出す。
最後に見えた表情は、恐怖のそれだった。
応接間に静寂が満ちる。
魔女はとん、と一歩踏み出すと、残ったもうひとりのメイドが震える。
「あ、あ、……、わ、わたし……」
しかし、魔女はその先を言わせなかった。
「さあ、お嬢さん。あなたも出て行くといい」
手を捩じらせる。
「何を勝手に!」
ピエールが声を張り上げる。しかしそれより先に魔女の魔法が発動した。結果、メイドは涙にあふれた表情で固まったまま、部屋の外へとなにかにひきづられていったのだった。
扉がひとりでにしまった直後。
部屋に悲鳴が響きわたった。
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(おまけ・その15)
階段を降りた先は、地下の物置だった。
世帯ごとに小さな木でできたまるで檻のような空間が充てがわれているのだろう。通常であればワインや保存食、それに次の季節まで使わないようなものを保存しておく場所だ。
しかし、今現在、そこにあるのはそんなものじゃなかった。
ゆらゆらとカンテラに合わせて、光も揺れる。
それぞれの個室に設置された大きな木箱。
上蓋が取り外され、中には布が敷き詰められている。
その布の上にあるのは、
どうみても、
人間の体だ。
まるで出棺まちの死人のように、胸の上で手を組んでいる。
「う…、なんだ。ここは」
彼らの青白い顔は一様に、微笑みを浮かべていた。
人間たちは檻で遮られているせいもあり、生きているのか、いないのか、判然としない。他にどれだけの人がいるのだろうか、確かめなければいけない、そう思った。
ざっと見回しただけでも五人どころじゃない。二十人は優に超えている。
桶の一つに、見知った顔を見かけた。
ロクサーヌ・デュボワ。
娼婦の女。
写真とはちがい、その顔は青く、水気が飛んでシワだらけになっている。
あれは、もはや生きているのだろうか。
前へ進む。
相棒が背後を警戒している。
その事が自分を勇気付ける。
アパートの規模からして、そんなに広い空間ではないはずなのに、やたら広く感じられた。
喉の乾きを感じた。
こんな時に、こんな些細なことが気になる。
神経が過敏になっている。
小さな、歌声が聞こえた。
女の声だ。
小声で歌っている。
陽気な歌がいっそ不気味だった。
相棒を目配せをする。
その方向に足を急がせた。
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