第16話 沈む船。骨が歌う散文詩。

「なんです、幽霊でも見たような顔をして」


 扉を開けたのは魔女だった。

 そう言った本人の方が幽霊のように血の気がない。

 続いて、魔女についていった人間たちが室内に入る。魔女は全員がいるのを確認すると、しっかりと扉を閉めた。


「ここ、……ラベンダー。どうして」


 それから不思議そうにあたりを見回している。


「それより、訪問者があったんだ」


 ピエールが状況を説明する。魔女はさらに首を傾げた。


「それにしても随分早く帰ってきたんだな」

「そうですか? 城を一周してきましたが」

「ところでお前たち、ソフィに会っていないか?」

「ソフィ?」


 顔にだれだ、とでかでかと書いてある魔女を押しのけて、女中のマーシャが進み出てきた。顔を引きつらせている。


「ご主人さま。ソフィがどうかなさったんですか?」

「お前たちが部屋を出たすぐ後に、追いかけていった。会ってないんだな」

「まあ、そんな」


 顔が蒼ざめる。

 ピエールは、普段、仲睦まじい彼女たちの様子を微笑ましく思ったものだった。ショックを受けて当然だと思う。


「呑まれましたね」


 魔女がどこかぼんやりと言い切った。


「おま…」


 発言に呆れて咎めようとしたが、マーシャに遮られる。


「ま、魔女さま!」


 魔女につかみかかっている。


「ど、どうして…!」

「出ないように言ったはずですが?」


 ところが魔女はそれを意に介した風もなく、むしろピエールを責めてきた。

 マーシャも魔女を揺さぶる手を止めてじっとピエールを見つめた。

 視線はどうして止めてくれなかった、と痛烈に問いかけている。


「分かっている」


 それ以上、言いようもないので黙していると、魔女がそっとマーシャの手を押しのけて、静かに室内の人間に語りかけた。


「この世界が作られた原因に心当たりがある人がいますよね?」


 しん、と広がる静寂がその返答だった。

 はあ、とため息をついて、それに答える。


「ここにいるのは味方だけだ。非常時に和を乱してどうする」

「…………その通りですね」


 魔女の口がへの字に曲がり、


「首吊り自殺、ネズミのいたずら、子供の泣き声」


 今度は訳の分からない散文詩のようなことをうたいだした。


「なんだ、それは。呪術の材料か?」


 ピエールの質問に、魔女は室内をじっと見つめ、眉間にシワを寄せる。


「まあ、似たようなものかもしれません」


 首を傾げてぶつぶつとつぶやく。


「ここじゃないのかも」


 どう言うことだ、そうピエールが言おうとしたが、ぱりんというガラスの割れる音に遮られた。


「あら。あらあら」

「……なんの音だ?」

「崩壊が進行してしまったようです」


 魔女があっけらかんと言い放つ。


「ここの魔法は、精神ごと呑み込もうとするからたちが悪い。しかも、その速度が思った以上に早い。順応するのが早いのか。いずれ、ここも呑まれますね」


 焦ったそぶりがないので、ピエールはてっきり冗談かと勘違いしそうになるが、あいにく魔女は非常事態に冗談を言うタイプではない。


「どういうことだ」


 思わず鋭くなるピエールに、魔女はなにか考え事でもしているのだろう。眉間にシワを寄せ、淡々と答えた。


「そのままですよ。向こうの力に、こちらの結界が力負けしそうなんです。ここは沈みいく船に残された最後の牙城のようなもの。しかも結界は今日施したばかりのハリボテ。どうしたって時間が足りません」

「お前、専門家だろう。プライドはないのか」

「私の魔法はせまい場所だと不利なんです。というわけで今のうちにみなさん、闇に呑まれる覚悟を決めといてください」


 動向を注目していた広間に、静かなさざめきが広がる。動揺している。それはそうだ。死ぬ覚悟をしろと言われて、すぐに覚悟できる人間はいない。

 魔女の弟子がたしなめる。


「師匠。そんな飛び込みじゃないんだからムリだよ」

「そうかな。すべてを諦めればいいんだから、そんなむずかしいことじゃない。なんなら眠らせてあげようか?」

「えー、いやだよ」


 そののんきな会話に、魔女に飛びかかろうとする警部。それを、彼の部下の若い男が必死に止めた。

 ピエールの使用人たちは落ち着きをなくしている。

 場が混沌としていた。


「魔女さま。ご主人さまだけでもお助けいただけないでしょうか?」


 顔を土気色に変化させた老執事に、魔女はつれなく首を振った。


「ムリです。一人を助けられるなら、全員一緒に助けてますよ」

「そんな…、あたし。死にたくない」


 リュシーが呆然とつぶやく。

 黙ったままだったマーシャは悲しそうなつらそうな顔をした。

 勝気なこの娘には、あまり似合わない表情だ。

 その震える唇が、か細い声を紡ぐ。


「ま、魔女さま。…それじゃあ、ここにいても結末に変わりはない、と言うことですか」

「さて。いずれ人が迎える終末はみな同じですよ」


 淡々と魔女が返す。


「あと、どのくらいなの?」

「早ければ半刻ほどで。もっとも、ここの半刻は、外の半刻と同等ではないかもしれませんが。あとは、……さじ加減かな。あるいはそれすら永遠に繰り返すことになるやも」


 俯いたマーシャは、キュッと拳を握り締めると、言い放った。


「そんなら、あたしは、ソフィを探しに行くわ」

「そうするといい」


 魔女は引き止めようともしない。


「………おい」


 ピエールが魔女を睨みつけるが、魔女は気にした様子もない。

 ピエールはこの、なにも厭うことがないような顔が気に食わなかった。

 どうやったらこの魔女を泣かせられるんだろうか。

 そこまで考えて、自分の思考が呑まれかけたことに気がつく。忌々しい、と舌でも打てば、それも感情が呑まれていることの表れになるのかもしれない。


「ご主人さま」


 マーシャのまっすぐな目がピエールを見つめる。


「行かせてください」

「ダメだ」


 ピエールは間髪入れずに反対する。

 しかしマーシャは引かない。


「ご主人さま。この国は自由の国なんでしょう。あたしはあたしのしたいようにするわ」

「命を落とすかもしれないんだぞ。この館で働く人間にそんなことはさせられない」

「それなら、あたしをクビにすればいいんだわ」

「そういう話をしているんじゃない」


 どうして分からない、と叫びたくなった。

 マーシャはそんなピエールの心情にまるで気がつくこともなく、まっすぐに彼の顔を見つめた。


「あたしが行かなきゃいけないんです。あの子を見つけてあげなきゃ」


 ピエールの脳裏にエラが浮かび、これ以上引き止めることを躊躇させる。

 反対できる理由がない。きっとピエールがマーシャの立場にいたら同じように行動しただろう。どの道、結末が同じなら、後悔しない選択をしたい。誰だってそうだ。

 それでもどうしても頷くことができなかった。

 これは主としての葛藤なのか。ただのエゴイズムか。


「そんなら、オレも行くことにします。これならご主人も少しは安心できるでしょ?」


 膠着した状態に名乗り出たのは料理人のセバスチャンだ。

 なにが安心できるのだろう。

 なにも変わらないどころか、ただいたずらに犠牲者を増やすだけの行為だ。


「ジュリーももしかしたら見つかるかもしんねえ。あいつはオレの娘っ子みたいなものだから、見つけてやらなきゃ」


 魔女は今度はなにも言わなかった。

 ピエールは昔を思い出す。

 最初に出会った時から、この魔女は変わらないのだ。

 よく分からないタイミングで態度がころころ変わる。

 意見はしても、自分の意見を突き通したりはしない。

 そして、決まって最後に問われるのは、自分の意志だ。

 マーシャとセバスチャンは黙って自分を見つめていた。

 結局、そうなのだ。

 いつだってそうだ。

 ここは、自分の城だ。

 決断を下すのは、自分だ。

 ピエールは突き放した言い方になっていないよう願いながら、声を出した。


「君たちの無事を祈っている」


 マーシャを、ついでセバスチャンを見つめる。

 彼らは無言で頷き、そしてその宣言通り、部屋を出ていった。

 扉が開閉し、それから、彼らが戻ってくることはなかった。





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(おまけ・その14)


「シャーロットの友人から話が聞けました。彼女、一区にある集会に毎週月曜の夜に通っていたんだそうです」

「集会? なんのだ?」


 安全のため、二人一組で動くことが原則なのに、この若造ときたら勝手に捜査をしてきたらしい。手柄が欲しいのもわかるが…、と忌々しく思うが、それよりもその内容に興味が引っ張られた。

 折しも、今日は月曜日だ。


「彼女の話によると、聖書の朗読会とのことでしたが、この国の教会を管理している事務局に問い合わせたところ、一区ではそうした催しを開催していないそうです。住所も入手済みです」

「怪しいな。聞き込みに行こう」


 気持ちが逸る。

 上司に外出の旨を伝えると、外套を羽織り、デスクから足早に退出した。




 住所が指し示していたのは、この街で一番大きな教会からワンブロックほど離れたところにある古びたアパートだった。外から確認した限りでは、ほとんどが空き部屋のようだ。


(行こう)


 相棒に目線で合図して、玄関の戸を押す。

 鍵はかかっていなかった。

 ぎい、ときしむ音がして、扉が開く。

 階段は階上へと伸びている。


「上ですかね」


 相棒が囁く。

 なんとなく、予感がした。 

 とても、いやな予感だった。

 ホルスターから拳銃を取り出す。


「いや、下だ」


 階段脇には、地下へと続く扉が取り付けられていた。

 玄関同様鍵のかかっていないその扉を押しあけると、下の暗闇へと続く階段が姿を現した。

 入り口にかかっている燭台にマッチで火を灯し、先に進む。

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