第52話 彼の苦悩
ピエールの家は古くから続く家だ。
建国より前の時代の文献からでさえ、その家名を見つけることができる。
そして、革命を生き延びた数少ない貴族の家の一つでもあった。ピエールの家は、共和派に尾を振り、生き残った。
現在、ピエールは唯一、元貴族としてシャルルの元へ行く権利を与えられた人間だった。
突然呼び出され、数年ぶりに再会した幼馴染はひどいありさまだった。
快活に笑っていた面影はなく、骨と皮だけになって横たわり、かろうじて呼吸をしている様子に、ピエールはなにも言うことができなかった。目を逸らしたら、その瞬間に死にそうで、ただじっと見つめていた。固まったピエールにシャルルは『お前は変わらないな』そう、笑いかけた。その笑い方に、ようやくピエールは当時の面影を見たのだった。
それからピエールは、連絡が来ると、シャルルのいる塔に行き、世間話をする。もちろん、会話も行動も兵士たちによって監視されている。それは不快だが、それよりも呼ばれなくなって、王子の生死すら分からない状況になるのが、不安だった。
その日、シャルルは多少調子が良かったのか、身を起こして寝台の背もたれに寄りかかっていた。ずっと寝ていると背中が痛いのだと、弱々しく笑う。
ピエールはシャルルに尋ねる。
「ここに派遣されたと聞いている医師見習いは、今日はいないのか? いつになったら会えるんだ?」
「ティエリーの事かい? 君がくる前に死んだよ。数日前までそこに首が飾られていた。悪趣味だな」
王子の言葉に戸口の兵士がみじろぎした。
ピエールは意識してゆっくりと息を吐く。
「そうか。残念なことだったな」
床に視線をやると、赤黒い血がこびりついていた。
反射的に、視線をうつす。
「今はだれが体調を診ているんだ?」
しかし、王子はそれには答えずに、皮肉っぽく言う。
「あいつは口癖のように『殿下、明日はきっと今日よりいい日になります』と言っていた。ふん、あいつに明日は来なかった」
「…………、今はみんなにとって苦しい時期だ。この前、おれの馬丁も処刑された。国を裏切ろうとした。当然だ」
シャルルが怠そうに頬をつく。
「そうだな、なあ、どうしてお前はここに来る。僕がお前を望んだのは、もう他に呼べる人間がいなかったからだ。たったそれだけの理由だ」
ピエールの喉が、音を鳴らす。
「……俺が民衆の味方だからだ。だから、民衆のためにある王子の味方だ」
「うん」
「でも民を裏切るなら、俺は王子を殺す」
シャルルは口の端を持ち上げる。
機嫌がよさそうに。
「うん」
ピエールはわずかに、顔を歪ませる。
「……やめてくれ」
「僕はお前に会えてうれしいよ」
「……とっとと体を治せよ」
「そうするとも」
そこでようやく、ピエールは笑みを浮かべることができた。
「なんでお前、同い年なのに、いつもそんな偉そうなんだ」
「僕の方が三日先に生まれた」
「あー、はいはい」
それから、時間が来るまで、ピエールはシャルルとたわいもない会話をした。たわいもない会話以外の会話ができない。なにかを企てる勇気も、ピエールにはなかった。
シャルルは連れ出すには、あまりにも弱っていた。
なにをするにも、力も、体力も足りない。
かといって、ここに置いておいても、生き永らえる気がしない。共和派の連中が、なにを企んでいるのか、分からない。
命の灯火はいつ消えてもおかしくなかった。
塔を出て、ピエールは鬱々とした気分で馬を走らせ、郊外の森に向かった。
屋敷に戻る気にはならなかった。
正直、どこにも行きたくなかった。
しばらくの間、存在ごと消えていたかった。
森の端に、娼館があり、娼婦がいる。
ピエールはいつの頃からか、女性が大好きになっていた。暖かくて気持ちがいい。女性を抱いている間だけは、なにも考えないでいられた。だから、暇さえあれば娼婦と寝ている。
それが共和派に買われている理由の一つでもあるのだろう。
女を抱いてばかりのあんぽんたんには、なにかを企てる気概もないと思われている。
いつもの通り道にある廃屋。そこで馬から降りた。小ぶりな石を拾うと、振りかぶる。
「うぎゃ」
珍妙な声と共に、黒いローブの怪しい人間が空から落ちてきた。
「おい、お前。なぜ俺を尾行する」
相手はピエールの呼びかけに答えず、
「バレた……?」
目を見開いている。
「これは、おかしいぞ。なにが原因だ?」
「なにをぶつぶつ喋ってやがる。だれだお前」
「ハンスだよ。魔法使いさ」
「へえ。その魔法使いがなんの用だ。暗殺でもしにきたか?」
「物騒だなあ。あんた、ピエール・ド・ペローだろう? なあ、あんた、白雪って知ってるか?」
隣国の姫君。その名前を聞くのは久しぶりだった。
彼女は革命の後、生国に亡命したのではなかったか?
「もちろん、知っている。むしろ、その名前を知らない人間はいない」
「白雪のとこから来たんだ。シャルルはどこにいる?」
しんじられない、と目を見開いたピエールはわななく声でつぶやく。
「この国にいるのか? どういうつもりだ」
「どうって、会いたいんだってさ」
「お前、自分で言っている事の意味が分かってないのか?」
「は?」
「お前、この国の王子に会わせるつもりか? なんのために?」
「へ。王子って? あの処刑された王家の?」
「処刑された王家の、だ」
「ええ……?」
面食らった様子のハンスに、ピエールは混乱する。
「貴族たちに仮初めの希望を与え、油断したところをぶったたこうって腹か? 今の貴族にとって隣国とつながりがあるという噂だけで命取りだ。連座する人間の首がとびかねん」
言葉を重ねるピエールをハンスが切って捨てる。
「まだるっこしいな」
「当然だろう。むしろお前は、その『白雪』とどういう関係なんだ」
「関係……。……友達? ……らしい」
「友達? お前が? 王女と?」
「王女?」
顔をひきつらせるピエールにハンスも顔をひきつらせている。
「とんでも家出少女め」
ピエールは吐き捨てる。
「なんでもいい。とっととここから立ち去れ。俺は目をつけられたくない」
「うーん、そうしてもいいけど……」
「いいけど、なんだ」
「いや……」
ハンスが呑気になにやら考え込む。
その呑気さが気に食わない。
猛烈に腹がたつ。
馬の手綱を放す。
よく躾けられた馬だ。逃げ出すこともなくじっとしている。
横のあばら家の戸口が、いつだって開いているのをピエールは知っていた。
魔法使いに近づく。わざとらしく腕を開いて肩をすくめた。
「まあ、信じるよ。お前は王女のとこから来た人間なんだろ。王子を救うつもりの」
「そこまで言ってないけど」
「ならさ、」
「ん?」
「すぐに死ぬ人間ってことだ」
ピエールは言葉が終わらないうちに、ハンスに飛びかかる。
小さい体を拘束し、廃屋の扉を蹴り開らき、中に引きづりこんだ。
ガラスの破片だの、ゴミだのが散らばる床に、ハンスを押し倒す。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます