第54話 彼らの倦怠

 白雪は笑みを浮かべると、窓を開けてハンスを出迎える。外の冷たい空気が白雪の頬を撫でる。


「どうして君、起きているの?」

「なんとなくよ」

「へえ、そう?」


 窓枠に腰掛け足をぶらぶらさせ、目をまるくするハンスに、白雪はたのしい気持ちになった。

 笑顔の白雪にハンスはふしぎそうに肩を竦める。


「ね、手を出して」

「え? どうぞ」


 なにも疑わずに手を差し出したハンスの手首に、白雪は紐を結びつける。

 ハンスはおもしろそうにその様子を見守ると、


「なにこれ」


 と笑い混じりに言った。

 手を裏表に返しながら、巻きつけられた紐を眺める。


「今日もらったの。悪い魔法使いを捕まえることができるのですって」

「それはこわい」


 ハンスが笑う。


「なるほど君は私を売り飛ばすわけだ」

「ふふふ、そうよ。わたくし、ハンターになることにしたの」

「売った金でなにを買うつもり?」

「うーん、部屋を埋め尽くすくらいたくさんの飴を買おうかしら」

「部屋中、甘い匂いになるだろうね」

「それとも、売らないで、籠の中に閉じ込めてもいいわ」


 ハンスは愉快そうに喉を鳴らした。


「ははっ、それは果たして可能かな?」

「さあ、どうかしら。この紐はあなたを封じると言っていたけれど」

「ふふ、見てて」


 いたずらっぽい眼差しをして、ハンスが、ぱちん、と指をはじく。

 その途端、手首に巻き付いていた紐が砂となって、その形をうしなった。


「あら残念」


 白雪は肩を竦める。


「いけると思ったのに」

「まあ、そういうこともある。ていうかその紐きみのじゃないだろ」

「でも、会いに来てくれるっていう約束、守ってくれたのね」


 微笑む白雪は、ハンスの言葉に凍りついた。


「ああ、まあね。あのさ、君の王子様の居場所、分かったよ」

「え?」

「首都のど真ん中さ。今晩、月がもっとも静かになる時、会いに行かない?」


 白雪は声をあげる。


「え、シャルルさまに?」


 その声に、ハンスはイタズラが成功したようにニヤッと笑った。


「そうだよ。会いたかったんでしょ?」

「ええ」

「安心して。だれにも気づかれずに、侵入させてあげる。ピエールについていた見張だって、私がただの気の荒い娼婦だと惑わされている」


 そう言ってくるりと目玉を回す。


「いや、たぶんね。だれにも気づかれない」


 白雪はぐっと手を握る。


「……いいえ、いいわ」


 ハンスはわずかに目を細めた。


「……余計なことをしたかな?」

「そうじゃないわ。でもね、明日の夜明け、小人さんたちにどうしてもって用事を頼まれているの……」

「そう?」

「うん」


 白雪はうつむく。


「ねえ、ハンス…………」

「なあに」


 白雪は言葉を絞り出した。


「わたくし、お城を出て、パン屋さんで働いているような、素敵な男の子に会いたいと思っていたの」

「へえ」

「わたくしは、わたくしが嫌いだわ」

「そう」

「…………」


 言葉が途切れた白雪に、ハンスはやわらかく声をかけた。


「私はきみに助けられたよ。感謝してる。人殺しに感謝されるのは迷惑?」


 白雪は首を横にふる。


「それは、ずるいわ」

「まあ、そうだね」


 ハンスは家の中に入ると、ぽすん、と白雪の隣に腰を下ろした。


「話したいなら、好きなだけ話せばいいよ。私はきみの話を聞きたいと思う」

「いつまで、そう思ってくれる?」

「君が君である限り」

「うん、分かった」


 白雪は、ハンスの上着をぎゅっと握った。


「じゃあ、わたくし、ずっとあなたに語り続けるわ」












 風の音を聞いたような気がした。

 外の世界は、どんなところだっただろうか?

 ほの暗い牢獄に、人の形の影が差す。

 シャルルは、終焉が訪れたと、安堵する。


「どこの誰だか知らないけれど、できるなら痛みの少ない方法で頼みたいね」


 寝台の上から、軽口をたたく。

 しかし、相手から返事がないので、シャルルは自分が朦朧とした頭で幻を見ているだけか、そう思った。肩透かしを食らった気持ちになり、目を閉じかけた時、


「やあ、シャルルお兄ちゃん」


 声がした。


「なんだ存在するのか」


 シャルルは言う。


「そうだよ」


 軽い声が帰ってきた。


「あいにく、僕には姉しかいないんだが」


 ぬっと影から顔が現れた。

 珍妙な顔だな。

 そう思った。

 相手が口を開く。


「珍妙な顔だな」

「なんだって?」


 シャルルは眉をしかめる。


「ハンスって呼んでくれ」

「暗殺者が名乗るなんて世も末だな」

「しょうがないだろ。この国はおかしいし、存在を固定する必要があるんだ」


 心のどこかに残っていた好奇心が刺激された。

 相手の奇妙さに。

 まるで、カフェで気軽に顔見知りと世間話でもするような気軽な調子で、言葉を交わすだなんて。

 痛む体をむりやり起こす。


「君はなんだ?」

「魔法使いだよ」


 パチンと指が弾かれる。

 風を感じると同時に、草木の香りがした。


 魔法使い。


 シャルルは目を見開く。

 まじまじと相手を見つめる。

 昔、宮殿の図書室で読んだ本や研究者に聞いた知識が蘇ってくる。


「人間である事をやめた連中か。世にも悍ましい化け物たちだという……」


 視線が奪われたことを、シャルルは否定できない。

 それは、あまりにも奇妙な存在だった。


「魔法使いが化け物だって?」 


 魔法使いは心底たのしそうに笑った。


「それならあんたたちはなんなんだ。ここに来るまでの道中で、いくつの死体を見たと思う。貧しさから花やマッチを売る女性は? あれも全部、魔法使いの仕業か?」

「おお、神よ、罪深き我ら人間を罰したまえ! で、君はなにしに来たんだ」


 思わず皮肉を言ったシャルルに、魔法使いは髪をくしゃくしゃとかき混ぜた。


「なんだろう。……見学?」

「人間に興味を持つ魔法使い?」


 ますます奇妙な話だった。

 王宮にいた頃、学者や有識者がしょっちゅう訪れたものだ。経済や科学、歴史学者たちが来た中、一度だけ魔法研究者を名乗る者が訪ねてきたことがあった。正式な学問としては認められておらず、在野の研究者だと名乗ったその者の話を学問好きな父王は興味深げに聞いていた。隣で聞いていたシャルルは変な人たちがいるものだ、と思ったものだ。

 術式なしで魔法を使うのだという魔法使いたち。そのほとんどが、人間であり、人間の形を保ちながらも、人間に興味を向けることは稀だ、と。


『そんな奇跡のような力を使える人間が人間社会の、それも権力に興味を持つようなことがあったら、あっというまに聖人と祭り上げられることだろうな。そうしたら我々は、すぐにただの人間である事に気付かれるだろうよ』


 父王はそう笑い、シャルルの頭を撫でたものだ。


「ま、私はまだ人間らしい方だから」


 ハンスが肩をすくめる。


「あと最近知ったけど、余計な事に首をつっこむ傾向にもあるらしい」

「ふうん、中途半端に人間であり続けるために一体、どんな代償を払ったんだい?」


 シャルルは、まるで自分が時を遡ったような感覚を覚えた。

 窓から差し込む昼下がりの日光。

 紙とインクの香りがする。

 母と姉の笑い声。

 だから、シャルルは、この瞬間だけは、当時の自分になった。

 自信満々で、なにが欠けることもなく、完璧だったころの自分。


「あんたこそ、囚われの身でありながら、まだ他人に興味があるのか」

「うるさいよ。まったく、魔法使いが姦しいのを知っていたら招き入れなかった」

「で? どんな気分? 化け物の見せ物になるってのは」

「最悪だね。ふん、滅多にお目にかかれないような高貴な身分の人間だ。目に焼き付けてくれたまえ」

「そうさせてもらうよ」


 ハンスはそれからなぜか、困ったようにシャルルに聞いた。


「あんた、いつまでここにいるつもり?」

「なんだそれは。囚人はいつから自由に牢を出入りするようになったんだい? 魔法使いはそうしたことも知らないのか?」

「皮肉っぽいなあ。聞いただけだよ。恋人とかいないの?」

「恋人?」


 外の世界にいたら、だれかに恋をすることもあったのだろうか。

 白い庭を駆ける小さな子供を思い浮かべる。


「突然なんだ…………婚約者がひとりいたけど」

「会いたいとか思わない?」

「どうだろう。すごく、なつかしい気がするけど。分からない。向こうは幼かったから、忘れていてもおかしくないなあ」


 そうであったらいいと、思う。

 シャルルは思わず苦笑した。


「僕自身を望んだ人間なんて、愚かな死者たちくらいのものだ」

「憎いの?」

「家族を殺され、友を殺され、憎くないとでも? それでも、父上が国民たちを愛していた事を、僕は知っている。だから、僕は、すべてをゆるすよ」


 ハンスはシャルルの瞳をじっと見つめた。


「ほんものだ」

「は?」


 眉間にシワを寄せたシャルルにハンスが肩をすくめる。


「こっちの話さ」

「……まあ、いい」


 コホン、とシャルルが咳払いをする。


「さっきの話の続きだ。君、こんな所に見学に来るくらいだ。政治に興味があるという訳でもなさそうだし、君みたいなタイプはファンにならない」

「そうでもない。会えて感動しているよ」


 わざとらしく微笑むハンスを、シャルルは無視した。


「つまり、暇なんだろう」

「へ?」


 ぎん、とハンスが目を見開く。


「忙しい。とても忙しい」

「じゃあここに何しにきたんだ」


 不満そうな顔をするハンスは、シャルルの言葉に口を閉じた。



 シャルルは、ふと、なにか、賭けてみたい気分になったのだ。

 この物珍しい存在か、この珍しい状況に。

 この賭けがシャルルの運命を変えることはないだろう。とくに意味もない。でも、この理不尽な世界で自分の願いが叶うようなことだってあるのかもしれない。それを試してみたくなった。



「魔法使いは面白いものが好きだと聞いた」

「……そうだよ。理に近いが故に、人のモノとはまたちがう制約に囚われている。だから娯楽に飢えているんだ」


 シャルルはふうと息をつく。


「ねえ、君、いつまた話せるかどうか分からないから、今言うけどさ。僕の婚約者だった女の子、白雪を見てきてよ」

「どうして私が?」

「あの子は、…彼女は常にドラマで溢れた道を歩むことだろう。そういう星の下に生まれた子だ。興味深くないかい? そして気が向いたら、彼女のことを守ってやって欲しい」


 ハンスが不思議そうな顔をした。


「そうやってその人の心に残るつもりか?」

「べつに僕の事を言う必要はないさ。報告もしなくていい」

「そりゃ、あんたの部下じゃないからな」


 むしろ自分のことなど、記録からなにから、全て消え去って仕舞うことがあれば、心が安らぐというものだ。


「いなくなる人間のことに心を囚われていたんじゃ、かわいそうだ」


 ハンスはなにか言いたげに、口を曲げる。


「でもあんた、対価すら持っていない。魔法使いに頼みごとをするには、対価がいる」

「……それなら、これを」


 シャルルは胸元から取り出す。


「ブローチだ」


 ハンスはそれを受け取るとしげしげと見つめた。


「女物?」

「母上の形見だ」


 それは、ジョンから渡されたものだった。

 元々は王家のものだというのに、『母君の形見です。あげますよ』と言って寄越した。緑の宝石の取り付けられたそれは、売ればそこそこの値段になるだろう。

 しかしハンスは興味なさげに、それをシャルルに返した。


「いらない、価値がない」

「王家の品だぞ。価値がないわけがないだろう」

「しょうがないだろ」


 シャルルは聞き返す。


「どういう意味だ」

「形見じゃないじゃないか」

「……宝石の価値は本物だ」

「きっとそうだろうね」


 シャルルは瞬間、ムッとするが、やがて、しょうもないと無力感をため息にして吐き出した。


「まあ、しょうがない。もういいよ」

「…」


 ハンスは困ったように両肩を持ち上げてみせる。


「わるいね」


 この空虚な生で、なんどその言葉を聞いただろう。

 シャルルは苦笑し、ハンスを許した。

 外から聞こえる鐘の音が、真夜中を伝えていた。


「時間だ、そろそろ行かなくちゃ」

 




 



✳︎

「うおっ!!!」


 街灯のない暗い通りに面した窓から外に出たハンスは、空を飛ぶはずが奇妙な重力に引っ張られて、よろよろと急降下する。

 とっさに火のない街灯のランプ部分を掴むが、あっさりもげてとれた。

 ランプ諸共地面に落ちる。

 巨大なランプが砕けると同時に、尻をしたたかに打ち付け悶絶する。ランプから流れ出てきたオイルで手先が濡れる。


「なんなんだよ、もう……」


 体を丸めたハンスの視界に、空になった缶詰が入った。


「『魔女ごろし』!」


 魔法そのものを打ち消してしまう道具。

 ハンスはすばやく身を起こすと、走り出す。


「こりゃいけない。逃げよう」


 しかし走り出してすぐ、その鼻先に脇道からナイフが突き出された。


「わっ……!」


 すんでのところでそれを避け、後ろに下がる。


「鼻の皮が切れちゃったじゃないか!」


 文句を言うハンスに、襲撃者はぬっと姿を現した。

 顔は隠れていて、素顔が見えない。代わりにその胸ポケットにはバラの花が一輪挿されている。なによりその大きな体躯は、威圧感があった。

 物も言わない襲撃者は、網をとりだし、ハンスになげつける。


「っ…」


 躱そうとするが間に合わず、足元を取られて派手に転んだ。

 蹴飛ばすことでなんとか除けるが、じりじりとナイフ片手に襲撃者が近づいてきて壁際に追い詰められる。

 ランプのもげた街灯の下、ハンスはため息をついた。


「はあ」


 思い切り息を吸い込む。

 そして、ポケットからマッチを取り出し、思い切り叫んだ。


「火事だああああ! 助けてえええ!」


 壁で火を擦り、炎を灯したマッチを溢れたオイルに投げ込む。

 あたりはあっという間に、オレンジ色に明るくなった。

 なおもハンスに近寄ろうとした襲撃者だったが、次々と窓の開く音にじりじりと後退する。そして、ハンスが背にした建物のドアが開いたのを見て、背を向け駆け出していった。


「あ、おいまて、こら」


 その背を追おうとするハンスだが、引き止められた。


「なんの騒ぎだ!」


 するどい声とともに、銃を突きつけられる。

 ハンスは今しがた自分が出てきた塔を護衛する兵士たちに囲まれていた。


「なんて日だ」


 吐かれたため息には、深い倦怠が滲んでいる。 

 言葉を聞いた兵士の一人に銃の先端で小突かれて、頭が揺れた。

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強敵なお姫さまたちは今日もうるわしい・新 目 のらりん @monokuron

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