第18話 火かき棒

「お前、正気を失ったのか!」


 怒りに満ちた眼差しでピエールがソルシエールを睨みつける。

 ソルシエールはただ肩をすくめて見せた。


「スッキリしたでしょ」

「何いって」

「懲らしめたいと思ったでしょ。法を犯してはいなくても、自分勝手な人たちを。自分の気に食わないものを押し付けてくる人たちを。だって、ああいうのが君を苦しめるんだ」

「ふざけるな! 俺を苦しめているとしたら、それはお前だ。それに、俺は貴族だ」

「元」

「関係ない。民を、ここの人を守るのは、領主の家に生まれた、俺の義務だ。貴族とは、そういうものだ」

「ちがうね。生物学的なことを考えても、その理由は後付けだよ。他者のものを奪い取ることに優れていた、あるいはそうした略奪者のそばにたまたまいた、それが貴族の成り立ちだ」


 ピエールは唇を噛み締める。

 唸るように言葉を絞り出した。


「人が理想を思い描くのは悪いことか?」


 それにソルシエールが平坦な声で返事をする。


「それは私には分からない。理想を実現しようとして、悲惨な結果を生み出すことだってある」


 くるくるくるくる。

 ずっと同じところにいる。

 ソルシエールはイライラしてきた。

 でも、しょうがないのだろう。

 そうも思う。

 それが当然で、もはやアイデンティティの一部なのだ。



「《救済する者》と《されるもの》。君はなにを選ぶ?」

「…………」


 あのさ、と息を吐き出す。


「君は固執しすぎるんだよ。自分の思い描く理想に。全てを守ることなんてできるわけがないじゃないか。人はいつだって選択を迫られている。妥協はいつか必ず訪れる。守られ、なにもかもを与えられた懐かしい子供時代は、とっくに終わったんだよ」

「そんな当たり前のこと、分かっているに決まっているだろう」

「いいや、分かってないね。だって、君はもう、気がついている。それなのに、まだ迷ってるんだ」

「黙れ!」


 その切なる叫びに呼び寄せられたかのように、部屋の中央に異様なものが現れた。音もなく、瞬き一つしている間の唐突な登場だった。

 それは、カラカラに乾燥した、老婆だった。

 いや、老婆のような形をした何かだ。

 人によってはミイラの方がまだ、潤っていると思えるかもしれない。それぐらいに乾燥している。触ったらさらさらと崩れていきそうで、もはや人間の形を保っていること自体が奇跡のようだ。

 その黄色く濁った瞳は、どこを見ているともしれない。禿頭の頭にはわずかに毛髪が残っている。体には、ボロを纏っている。薄汚い。

 そして、腐臭が辺りに漂った。

 有り体に言って、おぞましい。

 その場の人間たちはあっけにとられて老婆を見つめた。

 視線を逸らしたくても、その醜さのあまりにそれができないでいる。


「師匠!」


 赤ずきんの悲鳴に、ソルシエールの注意が引き戻された。

 ヒュンという音がした。

 途端、衝撃が魔女の側頭部に走る。

 がん、と床になにかが落ちた音。視界の隅に写る。部屋の隅に置かれていた暖炉の火かき棒だ。

 赤ずきんが、ソルシエールに向かって手を伸ばしている。

 殴られた、理解するより前に、ソルシエールの体はそれ自体の重さに耐えることができなくなり、地面に崩れ落ちた。

 頭を床にうち受けようか、という瞬間。

 魔女の体は、消え失せた。




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(おまけ・その16)


「あら。こんにちは。それとも、こんばんは? 警察の方かしら?」


 そこにいたのは、黒いローブに身を包んだ女だった。フードは被っておらず、蝋燭の灯りにその金色の髪が照らされた。

 ローブにコインで見たのと同じ天使が刺繍されているのが見えた。

 こいつだ、そう確信する。

 拳銃を向ける。


「手を上げろ。君には聞かなければならないことがある」


 拳銃を向けられたというのに、まるで臆した様子もなく、女は楽しそうにくるくる舞うと、笑い声をあげた。


「もちろん。そうでしょうね、刑事さん」


 お前の意見など聞く気はない、という態度に、もう一度警告をした。


「止まれ。然もなくば撃つ」


 その言葉に、相手はピタリと動きを止めた。

 そして、どこか陶然ととこちらを見つめる。


「そんなこと、本当にできると思っているの?」

「それはやってみなければ分からない」

「まあ。魔女相手になんてこと」


 魔法使いは、都市での生活において影が薄い。ただその名前を騙っているという可能性も十分にあった。そんな考えが頭をよぎる。


「君は、魔女なのか…?」

「ええ、そうよ。刑事さん」


 そう言って指先をくるくる回すと、火花のようなものがパチパチ散った。魔女か、さもなければ奇術師か。


「どうして、ここに人々を閉じ込めている。彼らは生きているのか?」


 この質問に、魔女はにこにこした。


「ほとんどは、死んではいないわ。少し、眠っているだけよ」


「眠っている? どういうことだ」


 魔女はにこやかに応える。


「薬を飲んでいるの。薬を飲んで、楽しい夢を見てるだけ。夢を見続けると死んでしまうけれど、それは大したことではないわ。幸せになれるのなら」


 それは明確な法律違反だった。

 それ以前に、ひどくおぞましく感じる。

 しかし、魔女がそれを全く意識していないのもたしかなことだった。


「彼らを解放しなければならない。わるいが君を逮捕させてもらう」


 逮捕、という言葉に魔女はまるで最高のジョークを聞いたかのように腹を抑えて笑い声をあげた。


「逮捕。逮捕ですって? 魔法使いを? あはは、おかしい」

「なにがおかしい」


 思わず苛立った声をあげてしまう。


「ねえ、お話しましょうよ。刑事さん」

「君と話すことなどなにもない」


 拳銃を構えつつ、相棒に捕まえろと合図を送る。

 しかし、横に立つ彼は全く動こうともしなかった。

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