第19話 崩れ、朽ちていく

「……消えた」


 硬い声がそう呟く。

 ソルシエールがつい数秒前までいたはずの場所に駆け寄った赤ずきんは、無言でうつむく。ただ、じっと床に点々と散らばった血痕を見つめた。

 いつの間にか老婆も消え失せている。

 アーノルドが声を掛ける。


「だいじょうぶかい?」


 無言で赤ずきんは頷く。

 反対に、警部は吐き捨てるように煽った。


「闇に呑まれおって。やっぱり魔女に解決だなんてムリだったのだ。『黒い森の怪物』だなんて大層な名前がついていてもこのザマじゃないか」


赤ずきんが警部を睨みつける。


「うるさいな。だまってよ」

「わたしは君のためを思ってだね…」


 警部がなだめようとするが、


「師匠を貶めるようなことばっか言ったくせに」


 と睨まれると、流石にバツが悪くなったようで言葉を止めた。

 その様子をずっと黙ったままだった館の老執事。彼が、その皺だらけの口を開いた。


「ご主人様。お話を、よろしいでしょうか」

「どうした、マルタン。おまえも懺悔か? ここは教会じゃないぞ」


 呆然としていたピエールは、視線を空に向けたまま答える。


「お聞きください。もしこの事件の原因がエラ様にあるのなら、その責任の一端はわたくしにもあります」

「そうか……、お前も。そんなにエラが憎かったのか? そんなにエラは嫁にふさわしくなかったか?」


 ふてくされた声に執事は首を振った。


「それを判断するのはわたくしではありません。この大地で暮らす民、それから未来の人間でしょう」

「じゃあ、おまえはなんだ」

「わたくしは、坊ちゃんの味方以上でも、以下でもありません」

「そうか」


 そっけない返事に、老執事は目を眇めた。


「もう、彼女にご興味はございませんか?」


 ピエールは顔を持ち上げた。

 その瞳はどこか獣のようにギラギラしている。


「いいや。聞かせてくれ」

「はい、しかしその前にお聞かせくださいませ」

「どうした」

「もしこの呪いのような世界を作りだしたのがエラお嬢様だとして、彼女の命で使用人たちの命を取り戻せるとしたら、いかがなさいますか」


 ピエールは声を絞り出す。


「それは、…………もちろん、使用人たちを助けるだろう」

「さようでございますか」


 執事は責めることも、褒めることもしなかった。

 ただ淡々と事実を述べる。


「坊ちゃんは大事な人を作ってこなかった。館に連れていらっしゃったのは、エラお嬢さまただ一人です。それが、悪い変化だったとは、わたくしにはとても思えません」


 老執事は全員に語りかけた。


「ここに皆様が残っているのも何かのご縁なのでしょう。どうぞ、お聞きくださいませ」


 手近にあった椅子に腰を下ろすと、訥々と彼の物語を紡ぎ出した。

 彼の経てきた歳月を感じさせる、ゆったりとした低い声で。


「わたくしは、エラお嬢さまの祖父の学友でした」

「エラの祖父?」

「ええ、父方でございます。ジェロームというもので、一緒の村で育ち、王都の大学を共に卒業いたしました」

「平和な時代だったのだな」

「その通りでございます」


 懐かしそうに遠い目をする。


「あの頃はやたらと夢を語り合い夜を明かしたものです。そしてある日、互いに約束しました。もし相手になにかあったら、残った家族の面倒を見ると。当時はまだ、結婚してすらいなかったのですが」

「その約束は、どうなったんだ?」

「この約束が果たされることはありませんでした。わたくしより先に、わたくしの妻は病死、息子は戦死したので、わたくしの家族はいなくなってしまいました。反対に、ジェロームの方は、彼が亡くなった時には、彼の息子はすでに成人をしていたので、わたくしの力は必要ないはずでした」


 そこで老執事は肩を落として脱力した。


「わたくしはこの息子について、ジェロームから聞いて知っておりました。この息子の名前をアドリアン、というのですが、ほんとうに真面目な若者で商才に溢れる青年だったようです。ただ一つ、その父親の思い通りにならなかったことがあるとするなら、それは彼には親の意に反して将来を誓い合った恋人がいたことでした」

「……身分ちがいの恋」


 ポツリと呟いたピエールに親代わりの老執事は頷く。


「ええ。相手の女性は貴族でした。アドリアンにはなんの身分もなく、親の決めた相手と結婚するしかありませんでした。それ以上に、女性の家の反対が強かったことも、別れざるを得なかった理由でしょう」


 ピエールは首を振る。


「だが、……それは、エラの人生とどう繋がるんだ?」

「アドリアンの恋人は、エラ様の現在のお母さまに当たるお方なのです」

「……ああ」


 もともと恋人同士だった者たちが、再婚したのか。


「わたくしは世情もあり、アドリアンが家を継ぐために結婚をしたという話を聞いたのち、長い間、彼の家族と会うことはありませんでした。ですから、まさかジェロームの息子が、いえ、エラお嬢さまのお父さままでもが亡くなり、エラさまが継母に引き取られたことを知らなかったのです」


 老執事は遠くを見て、懐かしむような顔をした。


「坊ちゃんがエラお嬢さまを連れていらっしゃって、一目で気づきました。ジェロームの孫娘だと。裕福な商家で、あの実直な青年の娘であるのだから、いい暮らしをしてきたのだろうと、素性調査をすることになって驚きました」


 その顔は途端に暗くなった。

 ふう、と魂まで抜け出してしまいそうなため息をつく。


「ひどいものでした。朝から晩までこき使われ、まるでないものとして扱われる。与えられるのはわずかな屑パンのみ。エラさまが痩せてらっしゃるのも当然です」

「なぜ、俺に言ってくれなかった」


 ピエールは老執事を静かに責めた。

 哀切な懇願の調子を帯びたその声に、ピエールを息子のように思っていた老執事もまた、悲しそうな顔をした。


「どうしても、言えなかったのです。エラお嬢さまは引き継いだ資金力はともかく、育ちはとても貴族のこの家の婚約者にふさわしいと言えないでしょう。もちろん、執事としては報告するべきことでした。けれど、ジェロームとの約束を守れなかったわたくしが、これ以上彼女の人生を壊したくない、そう思ってしまったのかもしれません」


 老執事はスッと、立ち上がった。


「けれど、そうすべきではなかったのでしょう。問題を後回しにしても、時間が稼げるだけで決して解決にはならない。わたくしはなにもできなか……いいえ、しませんでした。もしエラお嬢さまがこの世の理不尽を恨んで呪いをかけているのなら、その報いを真っ先に受けるべきはわたくしです。わたくしは友との約束を守らなかったのですから」

「エラは、そのことを知らないのだろう?」

「ええ、その通りです。しかし、そういうことではないのです」


 そして静かに、扉へと向かう。

 静かな空間に、微かな足音が響いた。


「行ってしまうのか?」


 心もとなさを反映するように、部屋に声が響いて揺れた。

 執事は頷く。


「ええ。これを喋ったからには、私はここにいるわけにはいきません。役割はここで終わりでございます。お暇させていただきます」

「どうして」

「わたくしは、主人に忠義を捧げ、職務とまっとうすることも、良き友であることもできませんでした。これは、罪以外の何ものでもないでしょう」


 ピエールは、執事を止めることができなかった。

 代わりに、黙ってこの老執事を抱擁した。

 ピエールは、子供の頃と違ってずいぶん小さくなってしまった体を、ぎゅうと抱きしめた。まるで、行かないでほしい、とすがるように。今まで散々貴族らしくない振る舞いをするたびにピエールを叱りつけてきたこの老執事も、さすがに怒ることはできなかったらしい。代わりに、そっと抱きしめ返した。


「では、坊ちゃん。どうかあなたが善き道を見つけられますように。みなさま、どうか坊ちゃんをよろしくお願いいたします」


 老執事が丁寧にお辞儀をする。

 そうして、また一人去っていった。




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(おまけ・その17)


 相棒は拳銃を構えてさえいなかった。


「君、なにを…」


 叱咤しようとした時、魔女がそれを遮るように声をあげた。


「ロクサーヌ。彼女は自分の体がまるで物のように消費されてることに我慢ならなかった。

 ルイはね、奥さんがいなくなったことに耐えきれなくなったのよ。

 クサビエはやっと家族を取り戻した。

 かわいそうなシャーロット。老いぼれた母親の面倒をいつまでも見させられて。

 シャルルの家族は、だれも彼のことを見ようとしなかったの。

 あなたが探していたのは、この人たちでしょう? どうして? 解放してあげてもいいじゃない」

「彼らを探している人が居る」



「でも、彼らは本当に戻りたいと望むかしら?」




「君は自分のことを神だと思っているのか?」


 魔女は自らの唇とつつつ、となぞった。


「どうかしら? でも、そう考えることもできるわね。天使たちを遣わし、安寧をもたらす理。それを神と呼ぶこともできるわ」

「そんな道理はない!」


 思わず叫ぶと、魔女は不思議そうな顔をした。


「どうして、刑事さん? あなたの仲間は、そう思っていないのに?」


 ぎりぎりと歯がなる。

 隣に棒立ちしたままの相棒に尋ねた。


「なあ、君。君は本当に聞き込みでここの場所を見つけたのか?」


 案の定、というかなんというか、彼は否定した。


「そうですね。嘘をつきました。すみません」

「どうして?」


 尋ねなければよかった、と思うくらい、相棒は無邪気な顔をして微笑んだ。


「これなら、身分なんてなくなると思ったからですよ、警部」





 息子と同じような無邪気な子供の顔をして、相棒がわけの分からないことを語る。


「夢の中なら、みんな平等になれる。飢えも、苦しみもない。こういうのを理想郷っていうんじゃないですか? 僕は彼女の理念に共感したんです」

「なにを言っている…」


 思わず絶句するが、彼は意に介した様子もない。


「あなたになら、分かってもらえると思ってここに来てもらったんですよ。僕は、あなたに、僕を理解して欲しい。本当の父親のように慕ってるんです」


 にこやかに話す彼が、まるで突然別人に成り代わってしまったように感じた。

 混乱に首筋から冷や汗が滴り落ちた。


「訳の分からないことを言って惑わそうとするな」

「僕はね、ずっと思ってたんです」


 相棒が、魔女の方へ進みでる。


「やめろ。銃口の前に来るな」


 先が不安定に揺れる。


「身分が廃止されても、不公平は残ったままだ。それならいっそ。人と人とのつながりを無くしてしまえばいいんじゃないか。それぞれがそれぞれの理想郷の中にいたら、もっと幸せになれるんじゃないか」

「そんなものはまやかしだ」

「そうですよ。でも、それで救われる人もいるんです」

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