君が好き。シンデレラ編
第3話 王妃
『そんなに泣くものじゃないよ。』
『だって……だって……』
シンデレラは、涙が流れて咽喉がつまって、それ以上なんにもいえませんでした。
『わたしは、ちゃんと知っているんだよ。お前は舞踏会に行きたいのだろう?』
シンデレラは、ただうなずきました。
『よしよし、お前はいい子だから、舞踏会へ行けるようにしてあげよう。』
(水谷まさる『シンデレラ』青空文庫 より)
切り裂かれたドレスを手に、憔然としたみすぼらしい少女 。彼女を前に、黒いローブを着た魔法使いが陽気に杖を振り上げる。少女は舞踏会へ行こうとしていた。輝かしい未来を手にするために。運命を切り開くために。
見知らぬ魔法使いが、彼女にきらきら輝く魔法をかける。
彼女のすべてを叶える魔法を。
✳︎
巨大な温室の中を覗くと、顔に見覚えのある女性がちょうど王宮内に戻っていくところだった。
王妃の侍女だ。
パステルの衣服を身に纏った彼女が出て行くのと入れ替わりに、ソルシールが開いた天窓から内に舞い降りる。侍女の方はソルシエールに気がつかなかったらしい。余分な人と話さなくて済んだことに、ソルシエールは内心息をつく。
温室は、自然がすきな王妃のお気に入りの場所で、中ではさまざまな植物が管理されている。その中でもひときわ光のあたるところ、そこのティーテーブルで彼女がくつろいでいた。ほかには誰もいない。王妃のプライベートな空間だ。
王妃に向かって、ソルシエールはまっすぐ歩み寄る。
「今日もおきれいですね」
そうして無感動にこうべを垂れるソルシエールに、王妃は優雅にほほ笑んだ。
「お世辞が上手ね、ソルシエール」
「思っていないことなんて言いませんよ、魔女ですから。白雪王妃」
「まあ、今日もまた適当なことを言うんだから」
どこかそっけない返事に、ころころと笑い声があがる。
ソルシエールはそっと息をはく。
白雪は、なん年経っても少女のようだ。
これで王の補佐をこなしているというのが魔女には信じられないほど、彼女の纏う空気は穏やかで、軽い。
「座ってちょうだい」
しなやかな手つきで空いている席を指差す。
ソルシエールは、その言葉に従い、しゃれた猫脚のいすに腰掛けた。
「今日はね、陛下もいらっしゃるそうよ」
熟れたりんごのように真っ赤な唇が告げる。
どうせいつも来るんだから、言わなくても分かりきったことなのに。
そう白けるものの、王妃がうれしそうに笑みを浮かべるので、ソルシエールはただ、そうですか、と返事をした。
それから、白雪が淹れてくれたお茶とともに、話を聞く。
彼女に仕える侍女が近いうちに恋人の騎士と結婚することや、彼女がしている環境保全の活動の話。
たわいもない会話だ。
こうして定期的に王妃と個人的なお茶会をして過ごすのは、もう何年も続いた習慣のようなものだった。ただ白雪の声を聞くのが、ソルシエールは好きだった。
出会ったのは十年も前の思春期の時で、それ以来、白雪はソルシエールに向かって話しかけ、ソルシエールは白雪の話を聞いている。十年前、素敵な男性と出会いたいと楽しそうに話していた少女は、そのほがらかさをそのまま残し、大人になった。
きっと、歳を経て、老婆になってもその部分は変わらないのだろう、そういう気がする。
社会的な身分の差があっても二人が友人でいられるのは、ソルシエールが魔女であることに大きく関係していた。魔女というものが、肉体を持った概念のようなものであり、理であり、ある意味で現世から切り離された存在だからだ。『殺せる概念』と白雪の夫である王が揶揄したことがあったが、それは言い得て妙だった。
魔女は王妃の声を聞きながら、そうはならないのを承知の上で、この穏やかな時間が永遠につづけばいいのにと願う。
案の定、ほどなくして王がやってくる。
秋の落ち葉のような金髪にエメラルドの緑の目。色合いだけは華やかでも、童顔な顔立ちは平凡だ。国民からはその顔立ちに対するからかいも込めて、『不死王』などと呼ばれて親しまれている。簡素な服と、どこか親しみやすさを感じさせる外見をしている反面、国の長というだけあって、そのすっと伸ばした背筋や、まっすぐな視線は、力強さを感じさせるものだ。
魔女は、この王が大の苦手だった。
「あいかわらず仕事が早いな、魔女。ところで執務室に来るように言ったと思うが?」
王宮側の扉から入ってくるなり、口火を切られる。たいそう機嫌が良さそうにも見えるが、彼の場合大抵そう見えるだけで、存外そうでもなかったりするのだ。どのみち、機嫌のよしあしに関わらず、腹のなかは真っ黒だ。
「ごきげんよう、陛下。そうなんですか、存じませんで」
取り繕う気もない言い訳に、王が鼻を鳴らす。
「あいかわらず反抗的だな。世が世なら文字通り、首をはねている所だぞ」
ソルシエールは淡々と言い返した。
「犬のように従順に働いているではありませんか。なにをおっしゃるやら」
「猫のように気まぐれなくせに。仕事に見合った対価は与えているだろう」
「むちゃぶりのせいで今まで何回死にかけたと思ってるんですか。もらって当然です」
「まあ、いい。依頼だ」
「前回の依頼が、つい昨日終わったばかりなんですが」
露骨にイヤそうに眉間にしわを寄せる魔女に、王は口の端を釣り上げた。王妃といえば、あらあらまあまあ、とおもしろそうに事態を見守っている。
「権力ぎらいもここまでくると筋金入りだな」
「疲れているもので」
ソルシエールのその言葉に、王妃がまあ、と声をあげた。
「まあ。ごめんなさい、ソルシエール。忙しいのにお茶会なんかに呼んでしまって。迷惑だったわよね。でも、あなたと会えるの楽しみで、つい…」
目に見えて落ち込む白雪に、ソルシエールは動揺した。
表情筋を動かさないようにとり繕いながら、あわてて言葉を重ねる。
「い、いえ。今のは売り言葉に、買い言葉というか…。ほんとうに疲れているわけでは……」
「そうだろうとも。今日だってどうせ昼ごろまでぐっすり寝ていたんだろうからな」
間髪入れずの言葉に、王妃の後ろでにやにやしている王を睨みつけたいのをこらえ、ソルシエールは同調した。
「そうですよ。もう、すっかり元気だなあ」
「ほんとうに?」
こまったように伺う白雪に、ソルシエールは首ふり人形のように激しく頷いた。
「も、もちろんです」
「そう?」
「ええ、ええ。ここでお茶するのは楽しみのひとつなんです。…それで、陛下。依頼ってなんでしたっけ?」
王はわが意を得たりとばかりに、唇の片側を持ち上げる。
「消えた旧公爵家の婚約者を見つけて欲しい」
✳︎
「旧公爵家 、ペローの嫡男に最近、婚約者ができたのは知っているだろう?」
「そうなんですか」
「そうなんだ。王都の新聞にも載ったぞ。ゴシップ扱いで。しかし、これは口外しないでもらいたいんだがね、その婚約者のエラ嬢が行方不明なんだ。どうやら、領の城内で痴話喧嘩をした後に消えてしまったらしい」
「ちわげんか」
「そうだ」
ソルシエールの住むブランシュ王国は、王国とは名ばかりで、議会制度を採用して多少なりとも時間が経つ。議会は旧貴族の家柄と平民出身の議員が半々といったところだ。
その中で今代の王は頂点に君臨し、国をとりもっているが、それ以降の代からは政治から退くことが決定している。いわば仮初めの統治者なのだが、それでも旧貴族の大半には慕われている。青い血は希少ゆえに希求性があるのだろう、とソルシエールは踏んでいる。
よく乾燥した薪と同じだ。代替は可能でも、そうである方が望ましい。寒ければ寒いほど、欲しくなる。
その旧貴族の中でとくに力のあるのがペロー家で、ついでにその嫡男と王は幼馴染の間柄でもある。
だれのアイデアかは知らないが、王を経由することで『黒い森の怪物』にむりやりにでも仕事を受けさせようという腹づもりなのだろう。
しかし、そんなことはソルシエールとは関係がない。
ソルシエールはただ、眉間にしわを寄せた。
「私は若い恋人の仲を取り持つお節介おばさんではないのですが」
「産婆だったか?」
王が飄々と嘯く。
「魔女です。伸ばしたり、縮めたり……、いや、だれかを呪(のろ)い、ヒキガエルのスープで毒薬を作るのが仕事なんです」
「祝福を授けたり、呪(まじな)いをかけたりもするだろう? 仲人と大差ない」
「ちがいます。幼馴染でしょ。ご自分で助ければいいじゃないですか」
「あいにく仕事が山積みでな。しかも、どうやら魔術師が絡んでいるという疑惑まであるらしいが、僕は魔術に明るくない。それに、幼馴染というなら、君だってそう大差ない。昔馴染みじゃないか」
「ええ、まあ」
件の嫡男のことはソルシエールも知っている。
だからこそ、助けたくないのだが。
女から女へと渡り歩くような男なのだ。
「あんな下半身のただれた男、とっとと逃げられればいいんですよ」
冷たく言い放ったソルシエールに、白雪はあら、と首を傾げた。
「じゃあ、わたくしが行こうかしら。二、三日くらいならなんとかなるもの」
まあ、いいことを思いついたわ、と羽のような軽さで言い放った白雪に慌てたのは王だった。眉根を下げて王妃を見つめると、彼女の肩にがっちりと手を回す。
「いいや、白雪。それはよくない」
「まあ。そうかしら」
「そうだとも。万が一危険に巻き込まれてはいけないからね。それに君は魔力の才能があるといっても専門的に修めたわけじゃないんだ。暴発させてはいけない。こういうのはその道のものに任せるのがいいのさ」
そういいながら、ちらちらとソルシエールを見る。
助けろ、ということらしい。
さっき助けなかったくせに、とソルシエールがそっぽを向くが、それが却って王のネズミの脳より小さい許容量を越したらしく、笑っていない目で微笑みながら、ねちっこく命令を下した。
「とにかくこれはソルシエールの仕事だ。降りることは許さない」
依頼を受けるか受けまいかは、たとえ王族相手だろうが魔女の意思によるものでなければならない。それが魔女の掟だ。
しかし、なおも反論しようとしたソルシエールがその口を開くより先に、王がぴしゃりと先制した。
「いいや、君は受けるね。僕が、君の宝について把握していることを忘れるなよ」
まごうことなき脅しに(権力)、ソルシエールは渋々承諾(屈服)した。
「分かりましたよ。お受けします」
その言葉に王はその日、会ってから初めて心から満足そうな笑みを浮かべて頷いた。
「そうだろうとも。すぐにペロー領に向けて出発するがいい」
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