第56話 火山の噴火
なんだこの国は。
どいつもこいつもクソじゃないか。
一体今日だけで何回殴られただろうか。
ハンスは自らが受けた謂れのない暴力に腹を立てていた。
強姦者に独裁者に、閉じ込められた哀れな人間たち。どいつもこいつも気力のないやつばかりだ。どれもこれも死んでいて、ちっとも心が躍るものがない。唯一、鮮やかだったものなんて、ハンスが受けた暴力くらいなものだ。
「つまんねえ」
魔法の失敗で紐は途切れ、白雪の家ではなく、近隣の森に放り出されたハンスは、木の葉まみれになりながらぼやく。
第一、白雪はあの王子のなにがいいのだろうか。
あれは、もう、生きていく気がないのだ。そんなやつを、気にかけるだなんて。なにか綺麗な事を言って、死を選ぶようなやつだ。萎れた花のような人間がハンスは嫌いだ。
大義なんてクソッタレ!
あのまま死んだように生きていけばいい。
炭鉱の街を通り抜ける。
小汚い子供たちが通りで寝ていた。通り過ぎるハンスの存在に目を覚ましたのだろう、寝ぼけ声で、
「お金をちょうだい」
と口々にねだった。
「わるいけど、持ってないんだ。さっき取り上げられた」
いらいらしながらハンスが白状すると、
「あっそ。ブサイク!」
興味を無くしたようで、再び寝そべる。
街を通り抜け、さらに歩みを進める。
小人たちの家に宿る灯りを見て、さらにハンスは腹を立てた。理由なんてない。ただ腹が立つ。
怒りのままに、小人たちの家の扉を開く。ちょうど晩餐の途中だったのだろう小人たちと白雪が驚いた顔で、床に落ちた閂と滑り込んだハンスを見た。
「え? なんで?」
「ちょ、ちょっと魔法使い。もっと丁寧に扉を開けろよ」
「そうだぞ! 第一お前出て行ったんじゃなかったのかよ」
小人たちが甲高い声でキーキー文句を言う。
耳障りだ。
ハンスは、短く切り捨てた。
「うるさい」
低い声に、小人たちは黙り込んだ。
「まあ、ハンス。顔の半分がムラサキ色だわ!」
「ちょうどいいや。ブルーベリーが好きだから。もう半分も同じ色にするんだったな」
「そんな冗談はやめて」
白雪がハンスに駆け寄り、その頭や肩についた葉をそっと取り除く。ハンスは感情のままにその手を掴んだ。
「ねえ、白雪。この国にどれほどの価値がある?」
「え?」
「一緒に、国を出よう。君を守るよ」
唐突すぎる提案に白雪は目を見開いた。
「守ってくれるの?」
「この名にかけて、安全なところまで送ると誓おう」
しかし、すぐさま白雪の顔は曇った。
「…………でも、それじゃ、この国の人はどうなるの?」
ハンスはムッと白雪の顔を見つめる。
「あんた本当に、国民が気にかかるのか? この国の人間はあんたになにかしてくれたか?むしろ大口開けて、あんたを喰らおうとしているんじゃないの? 気になるならそこの子供たちも連れて行けばいい」
ハンスの剣幕に白雪は俯いてしまった。
「それに、お兄ちゃんが、……」
「世界にいる人間の半分は男だよ。男なんてどこにでもいる。夢なんだろう、素敵な男性と出会うのが」
詰問じみた調子に、小人たちが抗議の声をあげた。
「おい、やめろよ! 白雪がいやがっているだろ」
「そうだよ、唐突にやってきてとつぜん何言ってんだ」
小人たちに叱られて、ハンスは顔をしかめたままそっと白雪の手を離した。
「ごめん」
ぼそっと謝る。
「いいのよ」
白雪が俯いたまま答えた。
ハンスはそれを見て、手近な椅子にとんと腰を下ろし、不機嫌に髪をかき混ぜ、大きなため息をつく。それから肩を落とした。
「ごめん、怖がらせたいわけでも、責めたいわけでもないんだ。ただ、イライラしていただけ」
「……怪我をしているわ」
「大したことないよ。だいじょうぶ」
「二人だけで話がしたいの。一緒に外に行きましょう」
「……うん」
ふらふらと家の外に出た二人は、ゆっくりと歩いた。
子守唄のように穏やかな夜の色をようやく感じて、ハンスの荒れ狂う心は落ち着き始めた。
湖畔にたどり着いた時、白雪が軽い戯れというように、口を開く。
「月が出ているわ」
その言葉の通り、空を見上げると大きな月が出ている。
「時々、忘れそうになるの。月がそこにある事を」
「……ずっと、ある」
「ええ、そうね。でも、わたくしが月に触れることはないわ。ねえ、ハンス」
「ん?」
「あなたが好きよ。あなたはどこへでも行ける」
「君だってそうでしょ。家出までしてここに来た」
「わたくしと、パン屋さんをしない?」
「しないよ」
「ふふ、そうね」
白雪は足元の小石を一つ拾い上げると、水面に投げ込んだ。
ぽちゃん、という音が小さく響く。
「ここはとても静かだわ。だれも、ここには来られない」
「そんな魔法、かかってないよ」
沈んだハンスの言葉に、白雪がどこか超越者じみた微笑みを浮かべる。
「何も起きないわ」
「……」
ハンスは目を細め、水紋を眺める白雪を、じっと見つめた。
「お兄ちゃんに会ったんでしょう?」
「そうだよ」
そっとため息をつく。
「どうだった?」
ハンスは素直に答えた。
「きっと長くないだろうね」
「え?」
「ああいう瞳をした人間は、もう長く持たない」
干からび枯れていく草花を元気にするのは難しい。枯れてしまったのなら、それを捨てて、新しい苗に入れ替えた方が早い。
「だめよ」
キッパリと白雪が言う。
その言い方に言葉にハンスは首を傾げた。
「どうして?」
「お兄ちゃんが死ぬなんて、だめ」
うそだ。
瞬間的にハンスはそう思った。
口調は自然、真意を探るものになる。
「もう君ら、何年も会ってないんだろ。それに王子は、十年も塔に閉じ込められている。生きていたくないんじゃないかな」
「そんなの関係ないわ。ねえ、ハンス。わたくしを守ってくれるんでしょ?」
質問に答えずに話題を変えた白雪を、
「旅に出る決心でもついた?」
静かにからかうハンスに、白雪は首を振った。
「わたくし、シャルルさまと結婚するの」
「知っているよ、聞いたから。お姫さま」
ハンスの言葉に白雪は悲しそうな顔をしつつも、言葉を続けた。
「でも、欲しいものがあるの」
「そうなんだ。なに?」
「あなたの全てをわたくしにちょうだい」
あっさりと白雪が言う。
「…………」
沈黙したハンスに、向き直り、もう一度、白雪は告げる。
まるで自分の宝石箱から、お気に入りの石ころでも取り出すように。その陶器のような瞳で真っ直ぐに見据えて。
「あなたの人生をわたくしに捧げてよ」
その透明な荒唐無稽さに、子供っぽい意味の捩れに。
ぴくりと指先が動く。
ハンスは静かに返した。
「他者の人生を欲しがるなんて、高くつくよ」
「かまわないわ」
「なにをくれるの?」
「わたくしを、食べていいわ。目も、歯も、心臓も」
「影も?」
「ええ、影も」
ふん、と鼻から息を吐く。
ハンスはその提案を反芻する。
体が軽い。足先が宙に浮き始めている。
「ふふふ、最近聞いた中で、いちばん、ひどい提案だな。君、私をあらぬ化け物だと勘違いしてない?」
「だって、ハンス言ったじゃない。わたくしを助けてくれるって」
「助けるとは言ったかもしれないけど、人生を捧げるとは言ってないんだな」
「だめなの?」
「私でなにをする気?」
「わたくしを助けるのも、シャルルお兄ちゃんを助けるのも同じことよ。わたくし、欲しいものは全部手に入れないとイヤなの」
「傲慢だな」
ハンスはふわふわと宙に浮き上がり、腹を抱え、心底楽しそうに笑い声を上げた。くるくると空を回る。
「それが君の望みなのかな?」
白雪を見つめ返す。
「そうよ」
「いいね」
ハンスはくすくすと笑い声を上げた。
「ねえ、私が君のものになったらさ、全ての縛りから解放してくれる? 今、ものすごく、暴れたい気分なんだ」
それから数刻して。
共和国の南にある山が噴火を起こした。
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