第29話 暗雲(白石視点)
「……え? マネージャーじゃなくなるの?」
私は目の前の彼女の言葉に呆然とつぶやいた。
マネージャーは、申し訳なさそうにうなずく。
「どうも新人のマネージャーに任せるみたいでね。一応、別部署への移転ということなんだけど……」
まあ実態はただの左遷だけどね、と彼女は困ったように笑った。
「そんな……私たちはあなたのおかげでここまでこれたのに」
どうしよう……とみずっちが慌てふためく。
「……新人のマネージャーは、将来有望で、大学で経営学を学び、確かな実績を残してここまで来た。……ということになっている」
「実際は?」
「ただのコネ。私も一度会ったんだけど、チャラそうで嫌な奴だったわ……」
「コネっていうと……」
マリちゃんが心配そうにマネージャーを見つめる。
「……この事務所の社長」
「え!?」
「どうも大学時代に変なサークルに入ってたって噂もあってね。みんな、気を付けて」
もし何かあったら相談して、とマネージャーは私たちに名刺を配った。
おそらく新しい部署のものだろう。
「……了解しました。今までありがとうございます」
どこか悔しそうな声色をにじませながらあっきーが頭を下げる。
それに合わせて、私たちも頭を下げた。
「こちらこそ、今までありがとう……さて! そうは言っても今この瞬間にやめるわけじゃないわ。今日もお仕事がんばりましょう!」
マネージャーが私たちを元気づけようと手を叩く。
その音に合わせて、私たちは仕事へと意識を戻すのだった。
◇ ◇ ◇
「……ってことがあってね。まったくイヤになっちゃう」
久々の黒木くんの部屋。
私はそこでジュースを飲みながら、黒木くんに愚痴を聞いてもらっていた。
彼はいつもやさしい。
こんな私を甘やかすでもなく、否定するでもなく、ただそばにいてくれる。
彼がそばにいてくれるだけで私はどこまでも進んでいける。そんな気がした。
「ねえ、本当に大丈夫?」
とはいうものの、最近の彼の様子はどうも心配になる。
体調が悪いというわけではないそうなのだけど、いつも何かを考えこんでいるようなのだ。
彼のことだから私のことを考えてくれているのだろう。それは間違いない。
……ただ、それが常に「私のため」になるかどうかはわからない。
もし彼が、私のことを思って離れようなどと言い出したら……。
いつもいつも、ベッドにつくたびにそれを恐れていた。
「……あのさ、白石さん」
だというのに、世界というのはひどいものだ。
「僕、留学しようと思うんだ」
こうやって私と彼を離そうというのだから。
「……え?」
私は思わずそう返した。
恐れていた。それと同じくらい覚悟していた。
それでも実際にその言葉を突き付けられるとあまりにも怖くて、私は一言返すことしかできなかった。
「ど、どうして?」
声が震えているのがわかる。
なんで? どうして?
なにもかもがわからない。
「……僕は君にふさわしくない。でも、もしかしたら、ここじゃないどこかで頑張ったらなんとかなるんじゃないかって、そう思うんだ」
「……そんなの」
そんなの……。
「そんなのおかしいよ! なんで!? なんで勝手に決めちゃうの!?」
「し、白石さん……?」
「遠くになんていかないで!! なんで!? ここでだってもっといろんなことができるよ!!」
違う、そうじゃない。
私は喜ぶべきなんだ。
今までどこか後ろめたそうだった黒木くんが頑張って成長しようと、私の恋人になろうと向き合ってくれているのだから。
……でも、それができない。
黒木くんが離れていってしまうと思うと、怖くて恐苦しくて、感情的な言葉しかでてこない。
「せめて私に言ってよ!! 勝手に決めて勝手にふさわしくないとか言って、私のことはどうでもいいの!?」
「そ、そんなことない! 白石さんこそ僕の話を聞いてよ!」
「聞いてる!! 聞いたうえで反対してんの!!! ねえ! なんで外になんて出ようと思ったの!?」
「それは白石さんの横に立てるように、立派になろうって思って!」
「だからそれが変だって言ってんの!! なんで! なんで……っ!」
頬を熱いものが伝う。
――そうか、私、今泣いているんだ。
感情がコントロールできない。
言うつもりのなかったことが、思ってもいなかったことが、次々と口から出てくる。
「……私は!」
言わなくてもいいのに、きっと彼の重荷になってしまうのに。
「私は、あなたのためにアイドルになったのにっ!」
「……!」
黒木くんの目が驚きで見開かれる。
「……黒木くんと離れてアメリカに行ったとき、とても寂しかった」
今でも思い出せる。
アメリカは見慣れない建物や植物でいっぱいで、みんな外から来たばかりの私にやさしくしてくれて。
……だけど、ずっとなにかが空っぽであるように感じていた。
「その時わかったんだ、私は黒木くんが好きだったんだって。……それから、ずっとさびしくてさびしくて。結局お父さんたちにバレちゃって、日本に戻ることになった」
それでも黒木くんと会えなかったあの時の絶望は今でも覚えている。
まるで砂漠の向こうにあったオアシスが蜃気楼だったときのような、そんな感覚を。
「ずっと、ずっと考えていた。黒木くんに近づくためには、せめて見てもらうためにはどうしたらいいんだろうって」
「……だから、アイドルを?」
「うん。……失望したでしょ? 大好きなアイドルが、こんなペラペラな理由で始めてたなんて」
黒木くんは黙ってそのままうつむいていた。
……もう、ダメなんだろう。
せめてちゃんとしたお別れを言わなくちゃ――
「ありがとう」
「……え?」
「ありがとう、そんなに僕のことを考えてくれて」
うれしいはずなのに、背中に嫌な汗が流れる。
この先を言わせてはいけない、続けさせてはいけない。
そんな気がしてならない。
「だから――」
――白石さんはもっと、いろんなものを見てほしいんだ。
そう続けられた時、私の頭の中が真っ赤に染まったのがわかった。
「……なんで」
「だって――」
「だってじゃない! なんでそう自分を卑下するの!? 私のことが嫌いなの!?!?」
「そんなこと――」
「なくないでしょ!? だったらもっと自分に自信を持ってよ!」
「そ、それは……」
「……呆れた!」
荒れ狂う感情のまま、部屋のドアを殴るように開ける。
「し、白石さん……?」
「……帰る。もう二度と会わないで」
バタンと、
その強い音が、今はひどく悲しく聞こえた。
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