第8話 自宅デート(白石視点)

「おじゃましまーす」

「ど、どうぞ……掃除してなくてゴメンね」

「いいよいいよ、勝手に入ったのはこっちだし」


 お茶持ってくるね。

 そういって黒木くんが部屋を出たのを見て、あちらこちらへと視線を移動させはじめる。

 以前も黒木くんの部屋に入れさせてもらったことはあるのだけれど、その時は内心緊張しすぎて自分が何を言っていたのかさえ定かではないのだ。

 もちろん周囲を見るような余裕などあるはずもなかった。

 今日はそのリベンジだ。今回こそ彼の生活をのぞかせてもらうのだ。

 部屋は割と狭い印象を受ける。

 実際の大きさとしてはむしろ広いほうなのだろうけど、家具の多さが逆に狭い印象を与えているのだろう。

 まず目につくのは、壁際に置かれたデスクトップPCだ。

 勉強机を改造したと思わしき机に、PCやミキサー、マイクなどが置かれている。

 近くに置かれたゲーム機には長いケーブルが伸びていて、PCの本体へと繋がっていた。

 椅子の類は勉強机にあるもの以外なくて、背の低いテーブルのそばにふたつのクッションが置かれている。

 余談だが、私が座っているのはそのクッションのうちのひとつだ。

 壁は基本的にきれいなものだけど、ひとつだけ、枕側から見える場所に私のポスターが貼ってある。

 ――本当に、ファンだったんだ。


「お待たせ、麦茶持ってきたよ」


 ガチャリ、と扉を開けて黒木くんが戻ってきた。

 お盆の上にはふたつのコップがのせられていて、中には麦茶が入っている。

 透明なグラスに入った茶色の液体はあまりにもありふれたものだけど、この部屋にあるだけで特別なものであるように見えた。

 パタリ、という音と共にお盆がテーブルの上に置かれる。

 プラスチック特有のなんとも薄っぺらい音がした。


「「…………」」


 しばらくの間、ふたりともただ麦茶だけを飲んでいた。

 黒木くんはわからないけど、私はしゃべっちゃうと幸せのあまり表情が崩れそうで怖かったから。

 彼の部屋にお呼ばれしているという事実があまりにもうれしすぎて、顔がゆるまないよう必死だったのだ。

 今はまだ、黒木くんにとって素敵なアイドルのままでいたいから。


「「…………」」


 なにも言わず麦茶を飲み込む。

 口に広がるさわやかな麦の香りをやけに強く感じた。

 ――ヴヴヴ、ヴヴヴと、スマホのバイブレーションが、私を現実世界へと引き戻す。

 マネージャーからだ。

 アプリを開いてメッセージの内容を確認する。

 その内容は先んじて送っていた『迎えに来てほしい』というメッセージへの返答で、『もうそろそろ行けそう』というものだった。

 『仕事場から遠いから、結構時間がかかる』とも。


「……迎えには結構かかるって」

「何時間くらい?」

「はっきりとは書いていないけど、どれだけ速くても1時間は過ぎるだろうって」


 『いっそのことお泊りでもしたら?』とも書いてあったのは触れないでおいた。

 メッセージではそうおどけたとしても、真面目な彼女のことだから普通に迎えにくるだろう。『しない』とも返しておいたし。

 マネージャーにはいろいろと悩みを聞いてもらっていて、黒木くんとの件も応援してくれている。

 仮にもアイドルのマネージャーだろうに……と疑問に思う気持ちもある。

 しかし彼女からすれば、「舞台でも私生活でも幸せを掴み取ってこそのトップアイドル」なのだとか。

 そんなわけで、普段はありがたく意見を受け取っているが、今回のはパスだ。

 今でさえ黒木くんの匂いを感じ取ってしまって内心パニックに陥っているというのに、お泊りなんてできるものか。

 ――再びバイブレーションが鳴る。

 そこには『了解』の二文字と、なんとも絶妙な顔文字が書いてあった。

 『なにその絵文字』とだけ返して、彼女の迎えを待つ。

 ……お泊りするほどの勇気はないが、かといってこのままでは進展も見受けられないだろう。

 さて、どうするか――

 そう逡巡している私の目に、PCと繋がれているゲーム機が映った。

 ……これだ、これしかない。


「……ねえ、黒木くん。ゲームしない?」


◇ ◇ ◇


「うわっ! ちょ、白石さん上手くない!?」

「これは結構やり込んだから、ねっ!!」


 私たちが今やっているのは、あの超有名レースゲーム「マーブルカート」、略してマブカの最新作だ。

 CPUは最強にして、ふたりで対戦している。

 現在4回目、私はずっと1位のままで、一方の黒木くんは4位から8位までを行き来している状態だ。

 ……あ、今黒木くんが9位に転落した。


「あ゛ー!!! あいつ! あいつ!!!」

「アッハッハッ! お先にー!」

「あ゛っ! ちょっ! 白石さん!!!」


 黒木くんがなにやら喚いているが無視だ。

 私はそのまま、華麗にゴールを決めた。


「うわー! 負けたーー!!」

「フッフッフッ、ってことは、私の勝ちだね」

「ぐぬぅ……まさかこんなことになるなんてぇ……」


 黒木くんがへなへなと机に崩れ落ちる。

 対戦をするにあたって、「勝ったほうの言うことを聞く」という約束をしていたのだ。

 とはいえ、もちろんそこまで過激なことをさせるつもりはない。

 ――さて、なにをさせようか……。


「……それじゃあさ、来週の今ごろ、視聴者参加型マブカ配信やってくれる?」

「……え? それでいいの?」

「いいのいいの。私もなんとか参加するからさ」

「ぐっ……! それって負け確定じゃん……」

「ハッハッハッ! そうならないように精進しておくことだね」


 ――我ながらヘタレだな、と自嘲する。

 けれど今の私には、これ以上のことをお願いする勇気はなかったのだ。

 まあいいだろう。配信者としての彼も好きなことだし。

 うなだれる黒木くんにドヤ顔を決めたあと、すっかりぬるくなった麦茶を飲んだ。

 すっかり水のようになった麦茶が、喉をうるおす。

 スマホに視線を移すと、『もうそろそろ着く』というメッセージが入っていた。


「あ、そろそろ来るみたい」

「そうなの?」

「うん。そろそろ用意するね」

「あ、僕も手伝うよ」


 お言葉に甘えて、黒木くんの手を借りながら荷物を一か所へとまとめていく。

 黒木くんの手がぶつかるたびに、私の頬は自然と赤くなっていった。

 彼にバレてしまわないよう、必死に顔を下へと向ける。

 少し上目遣いで彼のほうを見てみると、同じように顔が赤くなっていた。

 ――彼も同じ気持ちなのかな。


「……結構楽しいね」

「え、え?」

「こういうの」


 共同作業みたいで、とはさすがに口にしなかった。

 互いにあまり口もきかず、粛々と作業を終えていく。

 それでもその空気が嫌なものではなかったので、どことなく楽しい気持ちで荷物をまとめることができたのであった。

 ――インターフォンの音がした。

 マネージャーが来たみたいだ。


「手伝ってくれてありがと。……それじゃ、行くね」

「うん、気を付けて」

「わかってるって。またね」


 黒木くんに案内されて、再び玄関のドアを開ける。

 空気はまだまだじっとりとしているものの、雨はすっかり上がっていた。

 一歩、二歩と、薄闇が迫る通路を進んでいく。


「……あ、そうだ」

「なに?」

「マブカ配信するとき、ちゃんと教えてね!」

「――!」


 黒木くんがゆるりと微笑んだ。

 ――ああ、来週が楽しみだ。

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