第7話 相合傘
しとしとと雨の降る夕方の帰り道。
そんな中を、僕は白石さんと相合傘をして歩いていた。
心臓が嫌にバクバクと鳴るのがわかる。
なにせ相合傘をしている相手はあの白石さんだ。
今ブレイク中のアイドルであり、僕の推しであり、そして常連リスナーでもある。
傘を持っている左肩から、そんな彼女のほのかにあたたかい体温が伝わる。
こんな環境でドキドキしないはずがなかった。
ドキドキせざるを得なかった。
夕方の通学路は静かだ。
雨の日は迎えの車だとか、なんとか早く帰ろうとする自転車だとかを見かけるものなのだけど、そういった時間は過ぎてしまったのか、今日はちらほらと走る車があるだけだ。
きっとほとんどの人が帰ってしまったのだろう。
傘に雨粒のぶつかる音が四方八方から鳴りひびいて、時折自動車のエンジン音が通過する。
雨はまるでカーテンのようで、この傘の中が、まるで僕と白石さんだけの世界であるかのように思えた。
「……静かだね」
白石さんがぽつりとつぶやく。
僕はなにも言わず、ただコクリとうなずいた。
靴の音が雨にかき消され、ただ景色だけが変わっていく。
ひんやりと冷えた空気が肌を滑り、彼女の体温がどんどんと強調されていった。
淡々と歩いていくと、少しずつ、でも着実に街の表情が変化しはじめる。
車道が広くなり、次に自動車の音が加わった。
目の前には横断歩道と信号機。
歩道橋のない道路の向こう側で、信号機が人工的な赤を発していた。
ぽつりとその場にとどまり、ただ緑色に光が変わるのを待つ。
――高校へと続く背後の道から、ゲコゲコと蛙の鳴き声が聞こえた。
薄野高校は山の上にある学校で、生徒と親しか使わないからか車道も少しせまい。
高校に使われていない部分はほとんど手付かずなので、自然に囲まれた格好となっているのだ。
すっかり開発されたこの地域で蛙の声が聞こえるのもそのせいだろう。
――ピーッ、ピーッっと、単調な電子音が通行可能であることを僕たちに伝える。
視線を上にあげると、少し色あせたような緑色が雨に反射してきらめいていた。
「それじゃあ行こうか」
白石さんにやわらかく笑いかけると、彼女はなにも言わずにうなずく。
そして一緒に横断歩道を渡って、僕の家へと向かって帰っていった。
「……ねえ、黒木くん」
ごうごうと走る自動車と、あちらこちらから聞こえる店のBGMが騒々しい街中で、彼女は僕にしか聞こえない音量で言った。
「黒木くんはさ、私とつきあうこと、どう思ってる?」
正直に答えて。
彼女の冷たい声色からは、どんな感情を持って話しているのかわからない。
――ここは正直に話すしかなさそうだ。
「正直にこたえると、僕と白石さんとじゃ釣り合わないって、そう思ってる」
「……やっぱり」
「……けどさ」
「?」
白石さんは僕の言葉の真意がわからないかのように、あるいは続きを期待するかのように僕を見つめた。
彼女を安心させるためにゆったりとした笑みを浮かべる。
「できるだけ一緒にいたいなって、そう思うよ。……ずるいね」
自分で自分の言ったことの傲慢さに反吐がでる。
けれども、これがまぎれもない僕の本音なのだ。
彼女にふさわしい人間を求める一方で、このまま不釣り合いな関係が続いてしまうことも望んでいる。
こんなファン失格な考えが。
「そうだね、黒木くんはずるいよ」
白石さんがピシリと言い放つ。
けれどその声色はどこまでも柔らかくて、現状を肯定しているようだった。
――でもね、と彼女は続けた。
「私も同じ気持ちなんだ。……ずっとこうやって時間が止まってしまえばいいって思ってるし、でも君ともっと先の関係になりたいとも思っている」
おかしいかな、と彼女は眉を下げた。
「ううん、おかしくないよ」
「そう? 私はアイドルで、色んな人に夢を届けなきゃいけないのに」
「確かに白石さんはアイドルだ。でもその前に、ただの女の子でしょ? そうやって悩むのは、全然変なことじゃないよ」
「……うん、そうだね」
つまりさ、と白石さんは顔を上げた。
その表情はドッキリが成功したかのような意地悪なもので、この瞬間、僕は言質を取られてしまったのだと悟った。
「黒木くんだって、全然ずるくないってことじゃない?」
「うぐっ……そ、その、僕は普通の人間だし」
「つまり普通の男の子ってことでしょ? なら条件は一緒じゃん」
「そっ、それはそうだけどさぁ……」
明らかにこちらが劣勢。
白石さんの放つ正論の数々にすっかりたじたじだ。
――学生街から外れ始めて、段々と景色がさびしいものになっていく。
よし、今が話題を変えるチャンスだ……!
「あっ! 白石さん! 今日は満月みたいだよ!」
「ん? ……ほんとだ、きれい」
雲間からあらわれたきれいな満月を見て、白石さんが呆然とつぶやいた。
太陽はほとんど沈んでいて、月の形がはっきりと見えるようになりつつあった。
この辺りはマンションやアパートが立ち並ぶ地域で、少し歩いた先には住宅街もあったりする。
でもこの辺りは昭和の辺りに開発がされたまま今に残っているからか、背の低い建物の上にくっきりとした月が浮かんでいる光景がよく見えた。
時折廃屋が挟まる木造建築の上で、星も見えない曇天からぼんやりと浮き上がる満月は、まるで幻のように見えた。
美しい光景に息を呑みながら帰り道を歩いていると、道がふたたび狭くなって、同時に自動車の通行が多くなる。
それと同時に建物の背丈も伸び始め、満月もすっかり隠れてしまっていた。
ちかちかと点滅した街灯に虫がぶつかる音が聞こえる。
――段々と家に近づいてきたみたいだ。
この道をまっすぐ進めば、そろそろ僕の住んでいるマンションである。
「そろそろ着くみたいだ」
返事はない。
けれど、この瞬間が終わってしまうのを寂しがっているということだけは、なんとなくわかった。
「……着いたね」
「うん」
見慣れたマンションの前に立って、僕は白石さんに話しかける。
太陽はすっかり沈んでしまって、マンションの窓から漏れ出る照明の光が星々のように輝いている。
こんな時間だ、女の子をひとり出歩かせるのはやめたほうが良いだろう。
「もう暗いし、迎えを呼んだほうが良いかもね。……それまで家で待つ?」
「そうする。……傘、ありがとね」
「どういたしまして」
傘の水滴を雑に払って、マンションのロビーへと入った。
いつものようにエレベーターのボタンを押して、やってくるのを待つ。
――白石さんを家にいれるのかぁ。
……ん? ちょっと待てよ?
もしかしてこれって、お家デート……?!
「……ちょっと、黒木くん」
「なに、白石さ――」
思わぬデートとなった事実に慌てていると、白石さんから話しかけられた。
顔を必死でごまかそうとしながらその声に答えると、次の瞬間、キスをされたのだ。
……唇に。
「――ちょ、ちょっと! 白石さん!」
「まったく、もう2回目だよ? 全然反応変わらないんだから」
「まだ2回目じゃん!」
アッハッハッと、白石さんが楽しそうに笑った。
その姿を見ていると、さっきのような行動も許せてしまうのだから不思議だ。
「……そ、そ、それじゃあ、い、家に、案内するね?」
「もう! さっきと違ってガチガチじゃん!」
「そ、そんなことないって!」
そんな会話をしながら、僕たちはエレベーターへと入っていくのだった。
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