第23話 朝のおしごと(白石視点)
黒木くんが自分からキスしてくれた。
今まで私からするばかりで、自分からは一向にしてくれなかった黒木くんが。
その幸せな事実があまりにも衝撃的すぎて、頭が回らない状態のまま、次の日になってしまった。
どこか夢を見ているようなふわふわとした感覚のまま、服を着替える。
今日は学校が休みの代わりに、朝の番組に出演しなければいけない。
リハーサルなども行う必要があるので、窓の向こうはまだ朝日も昇っていない状態だ。
――スマホのバイブ音が聞こえる。
マネージャーが迎えに来てくれたようだ。
『体調は大丈夫?』
マネージャーから心配げなメッセージが送られてくる。
あまりに恥ずかしすぎてあまり返事できずにいたので、風邪でも引いたのではと心配させてしまったらしい。
『大丈夫』と返信をして、自室の扉を開ける。
リビングには両親の姿が。
映画やドラマの収録も今日はないので、家でゆっくりしているのだ。
「行ってきます!」
大きく声をあげる。
笑顔で見送るふたりに手を振りながら、私はスタジオへと向かうのだった。
◇ ◇ ◇
「――ありがとうございました!」
朝ニュースへの出演が終わって、スタッフの人たちにあいさつをする。
今日は私単体での出演で、朝のニュースで新しく発売される飲み物を紹介するというものだった。
紅茶系の新作で、シュガーレスなのに甘いというものだ。
デザインもかわいらしいもので、若い女性層をターゲットとしているのがわかる。
ギャラクシーズ! にタイアップの話が持ち込まれたとき、私が名指しで指定されたらしい。
試作品を貰って飲んだことがあったのだけど、中々においしかった。
甘いと言っても素材の甘さを生かした味で、人工甘味料などにありがちなねっとりとした甘さはない。
さらにすっきりとした飲み口で、夏場から冬まで、オールシーズンで楽しめる飲み物である。
ちなみにこの紅茶の製造会社は、私が出演した番組のスポンサーも行っている。
だからだろうか、眠気まなこで控室に戻ると、そこにはあの紅茶が鎮座していた。
ご丁寧に「いつもお世話になっております」というメモ用紙付きだ。
「……ふぅ」
今日は忙しい日で、この番組の後も間髪入れずにMVの収録がある。
だからありがたく、カフェインの力を頂戴することにした。
ふんわりと柔らかい、しかしはっきりとした甘みが喉を通る。
味わいはしっかりしていながら、同時にしつこい後味を残さない。
残るのは心地よい華やかな風味だけだ。
まだカフェインが身体をめぐってもいないだろうに、飲み干した瞬間、目がぱっと冴えわたる。
我ながら騙されやすい身体だと自嘲しながら、マネージャーが待つ駐車場へと戻っていった。
「お疲れ様」
マネージャーが人当たりの良い笑みとともに出迎える。
車のドアが閉じられると、周囲のなにもかもが聞こえなくなった。
聞こえるのはラジオの音声と車のモーター音だけだ。
「仕事はどうだった?」
「どうだったもなにも、簡単な質問に答えて、あとはちょっと宣伝をするだけ。楽勝に決まってるでしょ」
まあ、実際にはかなり大変だったわけだけど。
タイアップ商品の宣伝が目的だったとはいえ、スタジオにはかなりの時間拘束されていた。
そこであくびをせずに、しかし興味深そうな顔をするというのは中々につらいものだ。
「でも朝早かったし、大変だったんじゃない?」
それを見抜いていたのだろう。マネージャーから鋭い質問が来る。
……確かに、今日は大変だった。
昨日は黒木くんからのキスで良く眠れなかったからなおさら。
「……まあ、それは」
マネージャーはすべてお見通しだといわんばかりに不敵な笑みを浮かべた。
まったく、彼女が私の恋路を応援してくれているから良かったものの、もし反対だったらとんでもない強敵と化していただろう。
今は自分の運の良さに感謝するばかりだ。
「……それで、マリちゃんは大丈夫なの?」
ラジオから流れてくる元気な声を訊きながら、私はマネージャーに問いかける。
現在流れている番組は朝のニュース番組で、マリちゃんがゲスト出演している。
彼女がSNSで発信しているファッションが若者の間でブームだということで、現在インタビューを受けているのだ。
私はあまりラジオを聞かない方なのでよくわからないが、生放送であることだけは知っている。
一体間に合うのだろうか……。
「……ああ、それなら大丈夫」
マネージャーは、なんてことないかのように答えた。
「それはなぜ?」
「理由は単純でね。今彼女が出演しているラジオのスタジオとMVを収録するスタジオが近いんだよ」
「……大体、どれくらい?」
「徒歩で10分もかからないんじゃないかな」
なるほど。それなら大丈夫だ。
今流れているラジオの終了時刻が午前8時頃、そしてMVの収録時刻が午前8時半だ。
もし終了が遅れたとして、遅刻はまずありえないだろう。
「……それで、白石ちゃんは眠らなくて大丈夫?」
「……だ、大丈夫……」
「本当? あんなに真っ赤になってたのに」
彼氏と進展あったんでしょ? とのマネージャーの言葉に、私は頬がひくつくのを抑えきれなかった。
なるほど。今日のメッセージは心配してのものではなく、からかうためのものだったらしい。
「……そ、そんなこと――」
「あるでしょ。もしかして、彼氏からキスしてもらえたとか?」
「なっ……!」
「図星みたいね。白石ちゃんの彼氏、いかにも草食系って感じだったから」
「それは……」
ぐうの根も出ない。
……これは、最終手段に出るしかないだろう。
「……やっぱり寝るのかい?」
「……うん、おやすみ……」
「はいはい、おやすみ」
今のマネージャーを相手するのは癪だが悪手だ。
私は恥ずかしさですっかり冴えてしまった目を必死に閉じながら、目的地につくまで狸寝入りを決め込むことにしたのだった。
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