第20話 料理の先生
あの悪夢のお料理会から数日後。
いつものように帰り道を歩いていると、十字路である人とぶつかってしまった。
一瞬こけてしまいそうになりながらも、車道の側に後ずさってバランスをとった。
ぶつかってしまった向こうの人も、なんとかこけずに済んだみたいだ。
重心の移動が非常に見事だった。おそらくダンスか何かの仕事をしているんだろう。
車の気配はない。もともと人通りも少ない場所だから心配はあまりしていなかったけど、万が一がなくてよかった。
「すみません、大丈夫ですか?」
念のため歩道に戻って、ぶつかってしまった人に謝った。
寒がりなのか、まだ秋であるにも関わらずかぶっているニット帽が印象的な人物だ。
顔も黒いマスク、サングラスで隠されており、スタイルを見せないようなゆったりとしたファッションを身にまとっている。
全体的に黒一色でまとめたといったファッションで、少し怪しい人物であるようにも見えた。
「大丈夫です、こちらこそすみません」
少し油断していました、と真っ黒な彼女――かどうかはわからないけど、声は高いほうだ――が答える。
――ん?
ちょっと待て、この声、どこかで聞いたことがある。
とはいえ僕の周りにいる人でこんな服を着るようなのはいないし、たぶん知り合い以外なんだろう。
となると、例えばテレビとかで聞いた――
「――なななな?」
いつの間にか後ろへとやってきていた白石さんが、彼女を見て呆然とつぶやく。
その手にはこの前と同じようにレジ袋が。
白石さんが知っているということは、彼女の知り合いなんだろうか。
……となるともしかして、いや、まさか……!
「ごめんね、偶然この人とぶつかっちゃって」
申し訳なさそうに答えながら、目の前の女性がサングラスをとる。
サングラスの先にあった目は、ギャラクシーズ! に所属するアイドル、樹奈々そのものだった。
◇ ◇ ◇
「……えっ! じゃあこの人がうみうみが付き合っているって人だったの!?」
樹さんはまじまじと僕を見つめた。
画面越しに見るのと同じように穏やかな雰囲気で、僕はちょっと緊張してしまった。
樹さんは、ギャラクシーズ! の中でも独特の立ち位置を持つ存在だ。
白石さんのようにセンターを務めているわけでもなく、焔さんみたいに運動がものすごく得意というわけでもない。
でも、彼女のその穏やかな雰囲気がギャラクシーズ! の空気をうまく解きほぐしてくれる。
ともすれば近づきがたい印象のあるギャラクシーズ! のメンバーをぐっと近づけてくれる……。
樹さんは、そういう役割を持った人だった。
「なるほど……でも、確かにうみうみが好きになるのもわかる気がするな」
「私の彼氏だからね?」
「わかってるよ。そもそも、まだ私は恋愛とかする気はないからね」
樹さんはそう言うと、やわらかい笑みを浮かべた。
さて、今僕たちは白石さんの家にいる。
あの十字路でしばらく固まっていたあと、なぜか僕と樹さんが白石さんの家へと向かう流れになってしまっていたのだ。
いつもはちゃんと来てほしい理由を教えてくれる白石さんなのだけど、今日はまったくそういった理由がわからないので、本当によくわからない。
「あ……」
白石さんは「しまった」と言わんばかりの表情で僕を見つめた。
……これ、もしかして完全にノープランだったとか?
樹さんはというと、なにも言わず僕と白石さんを交互に見つめている。
その表情はなんとも不思議なものだ。
まるでなにかに気づいているけど、そのうえで言わないでいるような――
「……その、黒木くんごめん」
観念した様子で、白石さんが口を開いた。
「別に迷惑ってわけじゃないんだ。ただ、白石さんの家に連れてこられるだなんて、何か用事があるんじゃないかと思って」
「それはそれで……あー、今はいっか」
白石さんはため息をひとつ吐いて、話しはじめる。
「そのね、この前の料理会、すごかったでしょ?」
「ああ、その……まあ、うん」
「正直に言っていいから。……あの時、自分が思っていた以上に料理ができないってことに気づいちゃって。だから教えてもらうことにしたんだ」
「……それは、料理を?」
「うん。やっぱりおいしいものを食べているだけじゃダメだね。ちゃんと料理の仕方を知らないと」
まあ、それはさておいて、と白石さんは話を続ける。
「そこでさ、思ったんだ。料理が上手な人に、もっと言えば家庭料理とかが上手い人に教えてもらおうって」
白石さんが樹さんへと視線を移した。
「なななな……じゃなくて、樹さんはね、ものすごく料理がうまいんだよ」
「え、そうなの?」
意外、とまでは言わないけれど知らなかった。
なにせギャラクシーズ! が料理対決をしたような場面自体、今まで見たことがないからだ。
「そうなんだ。ななななのお母さまも料理上手でね、小さいころに教えてもらったんだって」
「え、そうなんですか?」
思わず視線を樹さんに向けると、うふふと微笑みながらうなずく。
どうやら本当みたいだ。
「お母さんが病院で管理栄養士をやっているんだけど、料理がとても上手でね。小さいころはお母さんみたいになりたい! って言ってたっけ」
樹さんが懐かしそうに遠くを見つめた。
管理栄養士をしている料理上手の母親。
そんな人に教えてもらったのなら、確かに樹さんが料理上手でもおかしくないような気がした。
……まあ、もしこんな考えを口にだしたら、僕がなにを知っているんだとファンに殴られてもおかしくないけど。
「さて、うみうみ!」
樹さんが珍しく声を張り上げながら、白石さんを見つめる。
白石さんは何を言いたいのかわかっているのか、体中からやる気をみなぎらせていた。
「それじゃあさっそく始めましょう!」
「うん! それじゃあ黒木くん、せっかくだからそこで見てて!」
「え? ……あ、うん」
エイエイオー! とふたりが拳を上げる。
そんなかわいらしいふたりの姿を、僕はどこか置いて行かれたような気持ちで眺めるのだった……。
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