第19話 名状しがたいお料理会
「……ご、ごめんなさい」
いつになく落ち込んだ様子の白石さんが、こちらをうかがうように見つめてくる。
一方の僕は、彼女ががんばっていたことはわかっているので責めるつもりはないものの、あまりにすさまじいものが出されてしまい、頬をヒクつかせることしかできない。
――僕たちの目の前にあるもの、それは「卵焼きのはずな黒い物体」である。
一体どうしてこうなった。
眼前に広がる冒涜的な物質を見つめながら、僕はただそう思うことしかできないのであった――
◇ ◇ ◇
事のはじまりは、昨日届いたメッセージだった。
『黒木くんと一緒に料理がしたい』
放課後、何気なく見たスマホにはそう書かれていた。
その時、僕の脳内を駆け巡るように喜びの感情があふれかえった。
実は、今まで白石さんから料理を作ってもらったことはない。
たまにお弁当を差し出してくれることはあるのだけど、それも基本的には店売りだ。もちろん僕たちが買っているようなのと比べて圧倒的に質も値段もお高いものなのだけれど。
もともとお金持ちでそういったことをする機会が少なかったうえに、アイドルになってからは忙しくて料理を学ぶ機会がなくて、料理に自信がないんだ。
白石さんはそう言っていた。
さて、そんな彼女が料理を作ってくれる。それどころか一緒に作ってほしいとお願いまでしてくれたのだ。
そんなもの、OK以外の選択肢はなかった。
……のちに、とんでもない地獄が待ち受けているとも知らずに。
そのまま学校は終わり、僕たちはいつものように家に帰っていった。
とはいえ今回はいつもと違い、向かった場所はキッチンだ。
今日のレシピは卵焼き。
帰り道に寄ったスーパーで買った食材を、次々とエコバッグから出していく。
卵焼きには必須の卵、味を調えるために買ったうま味調味料、そして薬味のねぎ。
調理の過程であまった時は、僕の家の冷蔵庫へと入れておくことにした。
どれもこれも色んな料理に使えるから、かなりありがたい。
「……さて、それじゃあ料理をはじめるよ。僕も得意な方じゃないから、うまくできなかったらごめんね?」
「ううん、大丈夫。黒木くんと一緒に作るだけでなんでもおいしくなるから!」
そう言った直後、あんまりにもキザなセリフだと気づいた白石さんが頬を赤らめる。
僕もつられて真っ赤になり、そそくさと料理をはじめるのだった。
……だったのだけど。
「――ご、ごめんなさい」
目の前で黒々と光る
――最初は、それなりにうまくいっていたのだ。
力加減をミスした白石さんが卵の殻ごとボウルに入れてしまうというアクシデントこそ発生したものの、それだってすぐ取り除いて続行できた。
かき混ぜ方は間違いなく上手だったし、そこまでだったら確実に僕が作るよりもおいしいものになりそうだった。
……そこで油断してしまったのがいけなかったのだろう。
きっと大丈夫だから、自由にやっていいよ。
確かそんなことを言った気がする。
そして彼女は、ボウルの中にうま味調味料を投入したのだ。
――全容量の半分を。
「……し、白黒だね」
黒い卵焼きの周りに、白いなにかが点々と存在しているのがわかる。
これはきっと溶け切らなかったうま味調味料の末路だろう。
――呆然とする僕をしり目に、彼女は料理を続けていた。
いや、それは料理というよりも、科学実験のような雰囲気だったけど。
彼女はあらかじめ用意しておいたフライパンを強火にかけ、卵を投入した。
一気に、しかも油をひかず。
案の定引っ付く卵たち、そして悪戦苦闘しながらもなんとか焼こうとする白石さん。
……最後に出来上がったのが、これだった。
「…………」
なんと形容すれば良いのだろうか。
まるでクトゥルフ神話に出てきそうな不気味な物体を前に、僕はとりあえずねぎを添えた。
白石さんが
……結果を言うと、焼け石に水ですらなかった。
ただでさえグロテスクだった卵焼きが、余計にグロくなったのだ。
本来ならさわやかさをますであろうねぎの緑色が、なにかが腐敗した後であるかのような、不気味な姿でそこにあった。
「ご、ごめん……」
白石さんが申し訳なさそうにこちらを見つめている。
これが出来上がってしまってから、彼女はずっと謝り通しだ。
「……い、いや。大丈夫だよ。誰でも最初は失敗するし」
そう、白石さんが特別悪いわけじゃない。
そりゃあ彼女は忙しい身だし、なかなか料理になんて手を出せないだろう。
……ただ、目の前にあらわれたもののインパクトがすごすぎただけで。
――さて、どうしようか。
焦げきって炭素の塊となってしまった卵。
その上を微生物のように彩る過剰なまでのうま味調味料。
最後に腐敗した哀れな死骸であるかのように見えるねぎ。
間違いなく、食べて良いものではない。
……一方で、白石さんががんばって作ったはじめて(かもしれない)料理だというのもまた事実である。
いくら白石さんも失敗に気づいているとはいえ、この頑張りをムダにしても良いんだろうか。
「……えっ」
黒木くん? と白石さんの困惑した声が聞こえた。
僕は覚悟を決めて箸を手に取り、目の前で鎮座する冒涜的な卵焼きへと近づけたのだ。
ねぎを上に添え、卵焼きを食べやすいサイズへと切る。
パリ、と、どこか硬質な感覚があった。
恐怖に染まる白石さんの瞳に申し訳なさを感じながら、それを口へと近づけていく。
――そして、その黒々とした欠片を口に入れた。
「――!」
――最初に感じたのは、苦みだった。
いや、もはや苦みと呼ぶのも適切ではないかもしれない。
とことん舌が飲み込むのを拒否する、そんな味だった。
続いて、苦みを追うように濃縮されたうま味が襲い掛かってくる。
味噌汁にも入っているおいしいものだが、こうもまとめて襲い掛かってくると気持ち悪い。
正直吐き出してしまいそうだ。
それでも、彼女の頑張りをこのままで終わらせたくはない。
えづきそうになる喉を必死で抑えながら、まるで舌を噛み切ってしまうような勇気とともに卵焼きを噛んだ。
――卵焼きにあってはならない食感がする。
まるでせんべいと鉄を足して2で割ったような。
間違えたら歯が欠けてしまいそうな恐怖と戦いながら、僕はなんとかそれを飲み込んだ。
喉から這い上がってくるように、あの苦みが後味として香り続ける。
――僕にできたのは、そこまでだった。
「……白石さん」
「……なに」
「……料理、教わろう」
「……うん」
なんとも気まずい沈黙が台所を支配する。
こうして僕らの料理会は、とんでもない結果とともに幕を閉じたのだった……。
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