第18話 罪を憎んで

 アブラゼミの声もすっかり聞こえなくなって季節は秋。

 結局夏休みの間はさっぱり会うことができず、白石さんとはメッセージや電話でのやり取りだけだった。

 たまにマネージャーの人が僕の部屋へと連れてきてくれたものの、それも1時間もあれば良いほうだった。

 「この機会なんですし、お泊りとかどうですか?」とマネージャーさんは聞いてきたのだけれど、お互いにまだまだ勇気が足りなかったのだ。

 そんなこんなで始業式も終わり、今はだんだんと学校も通常営業へと戻りつつあるころ。

 白石さんは、今日もまた僕の部屋へと遊びに来ているのだった。


「そういえば、明日って予定とかある?」


 なにをするともなくふたりでくっついていると、白石さんが話しかけてきた。


「いや、特にないけど……急用?」

「そういうわけじゃないんだけどね、新しい友達が黒木くんと会いたいって」


 新しい友達。

 本来なんてことないはずのその単語に過剰反応してしまったのは、きっと僕のせいじゃない。

 妙な本の購入履歴がバレて家族会議になった父親のせいだ。そうに違いない。


「そ、それで、いつ……?」

「放課後、屋上でだってさ」


 屋上か……。

 さっきは少し戸惑ってしまったけど、白石さんの新しい友達には興味がある。

 それに彼女がわざわざ会ってほしいって言うんだ、なにか理由があるのだろう。


「……うん、いいよ」


 だから、僕は彼女のお願いにOKを出した。


「本当に?」


 念押しをするように、白石さんが聞いてくる。


「うん、大丈夫だよ」

「……それならよかった。それじゃあ、明日の放課後ね」

「了解」


 その日はそのまま、ただふたりでくっつきあいながら過ごした。


◇ ◇ ◇


 放課後、白石さんから新しい友達を教えてもらう時間だ。

 授業が少し早く終わったので、僕は一足早く屋上について、彼女たちが来るのを待っていた。

 ヒグラシの声がけだるいような、さわやかなような残暑の時期を彩る。

 ――そういえば、最近はだんだんと夜が寒くなりはじめた。

 今のところは夏用に整えたベッドのまま寝ているけれど、そろそろ暖かい毛布も検討したほうが良いだろうか。

 ――ぼんやりと運動場を眺めていた僕は、ガチャリという金属音によって現実へと引き戻された。

 たぶん、白石さんたちだろう。

 とはいえ、もしかしたら先生たちかもしれない。

 万が一のためと、人違いだと恥ずかしいからという理由で、僕は何も言わず振り向いて――


「……え」


 ――そして、そこに居た人影にひどく驚いた。

 そこにいたのは白石さんともうひとり。

 ……あの、爐さんだったからだ。


「……その」


 なにを言えばいいのかわからず、僕は口ごもってしまう。

 わからない。白石さんが彼女と友達になって経緯も、僕と会わせようとした意味も。

 彼女は爐さんの言葉に本気で怒っていたし、僕の手伝いだってしてくれていた。

 そんな彼女が、なんで爐さんを……!?


「ねえ、白石さ――」

「――ごめんなさい!」


 爐さんが、僕に向かって頭を下げた。

 あまりにも突然の出来事に、僕はどう反応すればいいのかわからなくなってしまう。


「……私は」


 爐さんが、ゆっくりと口を開いた。

 そこからぽつぽつと、彼女の言葉が紡がれる。


「私はずっと、あなたに嫉妬していました。……いえ、そうだと思い込んでいた。と表現した方が正しいのでしょう」

「嫉妬……?」

「はい」


 頭を上げた爐さんが、僕の目を見てうなずく。

 普段の見下したようなものとは違う、ひどく真剣なものだった。


「私はずっと努力してきました。学力も運動もマナーも教養も、すべて一流になるべくがむしゃらに走ってきた」


 しかし、と彼女は目をふせた。


「本当にあこがれていたものだけは、どうしてもできなかったのです」


 爐さんの口元に、自嘲の笑みが浮かぶ。


「いえ、手を伸ばそうともしませんでした。……だからでしょうか。黒木様を見るたび、胸に醜い嫉妬の炎が燃え盛ったのです」

「その、嫉妬の炎って……?」

「……黒木様は、周囲を気にしてはいなかった。いえ、これはあくまで私の勝手な勘違いであり、実際は黒木様なりの考えや悩みもあったのでしょう。しかし、当時の私にとって、あなたは自分のやりたいことを貫き通す、私の理想とも言って良い存在だった」

「そんな……」


 あんな優等生の爐さんに、そんな気持ちがあったとは。


「家に帰るたび、やってしまった、何も悪くない彼を傷つけてしまった、そう思って謝罪しなければと思うものの、結局は私の安っぽいプライドのせいでできませんでした……」


 ――ちょっと待て。

 爐さんのその理由を、僕はどこかで聞いたことがある。

 もしかして……。


「……ロリィ、さん?」

「ええ、あなたとインターネットでチャットを行っていたロリィ・ロリィは、私です」


 本当にごめんなさい、と彼女は再び頭を下げた。


「私が謝罪したいというだけの理由で、あなたにあのようなことを言ってしまった……!」

「いや、でもあのおかげで僕は救われたし……」

「だとしても、です。……それに、あの時私の心に訪れたのは、安堵や喜びといった、正の勘定ではありませんでした」


 爐さんが、再び口を開く。


「あの時、黒木様が3位をとったとき、……正直に言いますと、私は、やはり嫉妬したのです。あなたのことを思って発言したつもりだっただけで、実際は見下しているだけだった」


 笑っちゃいますよね、と彼女は言った。

 自己嫌悪の染みついた、ひどく悲しげな声だった。


「……謝って許してもらおうなどとは思いません。このような醜い女、むしろ嫌われて当然でしょう。……それでも、せめてあなたに謝りたかった」


 三度みたび、彼女が頭を下げた。

 確かに、爐さんはとてもいやな人だった。

 彼女の語った嫉妬だとか、見下しの感情といったものも、まぎれもなく本物なのだろう。

 ……それでも。


「……どんな気持ちだったとしても、ロリィさんの、爐さんのおかげで楽しい気持ちになれたこともいっぱいある。……だから、許すよ」

「え……」

「ただし!」


 パン、と僕は手を叩いた。

 乾いた音が夕焼け空に溶けていく。


「今までやってきたことは許さないよ」

「あの、それはどういう……」

「今まで爐さんがやってきたことは許さないし、許すつもりもない。けど爐さんという人間のことは許す。……これじゃだめかな?」


 彼女の瞳がぱあと華やいだ。

 ……大丈夫だったみたいだ。


「いえ、大丈夫です!」

「それならよかった。……それじゃあ、改めてよろしくね、爐さん」

「はい!」


 僕はさっと右手を差し出す。

 爐さんも左手を前に差し出し、ふたりはぐっと硬い握手を交わしたのだった。

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