第6章 絆
「ただいま……。」
家に帰ると、電気が付いていた。
「お帰り。」
リビングの扉から、ひょこっと顔を出したのは圭吾さんだ。さっきまでとは違って、もう部屋着に着替えていた。
「遅くなってごめんね。なにか食べた?」
「まだ。俺も今さっき帰ってきたところ。」
「そっか。じゃあ、インスタントラーメンでもいい?」
「いいよ。」
今日はもう何も作れる気がしない。だからお湯を沸かせばすぐに出来るインスタントラーメンに頼ることにした。
私は着替えずにそのままキッチンに立った。仕事着の上からエプロンを着ける。そして2人分のインスタントラーメンを作って、ダイニングに運ぶ。所要時間5分だ。
「圭吾さん。できたよ。」
「ん。」
ソファに座ってテレビを見ていた圭吾さんに声をかけると、テレビのスイッチを切ってダイニングへと向かってくる。なんだか、空気が重たい。
「いただきます。」
「いただきます。」
シーンとしたダイニングに、2人分のラーメンを啜る音だけが、響いている。
「ご馳走様。風呂入ってくる。」
圭吾さんは早々とラーメンを食べ終わると、席を立ってお風呂へと向かった。私も早々に食べ終わると、キッチンで後片付けを始める。
「はぁ……。」
私、どうしてあんなことしちゃったんだろう……。今更になって罪悪感が込み上げてくる。こんなにもやもやするならやんなきゃ良かった。
圭吾さんの顔を見て、やっぱり思った。私には割り切るなんて、絶対に無理なんだ。
圭吾さんがお風呂からあがると、私もすぐにお風呂に入った。
「はぁ……。」
やっぱり溜め息が出ちゃう。シャワーで全部洗い流せればいいのに。湯船には浸かる気になれず、シャワーだけ済ませてお風呂をあがると、圭吾さんがリビングで何か考え事しているようだった。
「圭吾、さん。」
私は遠慮がちに愛しいその人の名前を呼ぶ。
「ん?」
すると、私の呼びかけに顔を上げた圭吾さんは、優しい眼差しでこちらを向いた。その姿を見て、たまらなく愛しく思える。衝動的な感情が、湧き上がる。それを止めることはできず、私は圭吾さんの胸の中へと突進した。そして、ぎゅうっと抱きしめる。
「ぐはっ。」
でもそれが圭吾さんの鳩尾にヒットしてしまったみたいで、圭吾さんは苦しそうな声をあげた。だけど、今の私にはそれを気にする余裕がない。
「圭吾さぁん。」
圭吾さんの匂いを感じた瞬間、私の瞳から涙が溢れた。
「……ともみ、どうした?」
優しく背中を撫でながら聞いてくれる圭吾さん。だけど私は、ただただ涙を流すばかりだ。
「……森口くんとは、偶然一緒になってしまったんだと、ちゃんと分かってるよ。」
私の口からは嗚咽しか漏れないことを見計らって、圭吾さんの方から話を切り出してくれた。そして私が無理矢理抱きついているせいで上半身だけ圭吾さんに乗っかってる状態から、脇を抱えられて圭吾さんの膝の上に向き合う形で座らされた。
「ぐすっ。」
「だから、どうしたの?」
涙でぐちゃぐちゃの私の顔を覗き込みながら、圭吾さんは優しく微笑む。
「私も、ちゃんと分かってるの。圭吾さんと岩崎さんも偶然一緒になったって。」
「うん。」
圭吾さんはきっと、私と同じことをしていたんだと思う。リビングのローテーブルに置いてあるたくさんのウェディング関連のパンフレットを見れば、一目瞭然だ。これは今日、色々なショップに行って、圭吾さんがもらってきたものだと思う。
「圭吾さん。大人の恋愛って、なんだと思う?」
「大人の恋愛?」
「うん。」
圭吾さんは腕組みをして暫く考えた。
「相手と誠実に向き合うことだと思う。そして、お互い思いやりを持つこと。」
そして、圭吾さんは真っ直ぐ私の目を見て答えた。
「誰にも恥ずかしくない。誇れる。それが大人の恋愛だと思う。」
……あぁ、もう。圭吾さんはいつも、私の欲しい答えをくれる。
「私も、そう思う。」
私はゆっくりと、圭吾さんの胸に頭をコテンと乗せた。
「森口くんから何か言われたのか?」
「私、陽太にひどいことしちゃった。」
「ひどいこと?」
「うん。」
陽太に“それに俺達、知らない仲じゃないだろ?”って言われた後のことだった。私は陽太に手を差し出した。陽太は笑顔で私のその手を握ってくれたけど、私は握った手で力一杯陽太の体を引き寄せて股間を蹴り上げたのだ。そして。
「バカにしないでよ!!!私と陽太の6年間を汚さないで!!!」
私はそんな捨て台詞を吐いて、駅の改札前で悶える陽太を置き去りにし、タクシーで帰って来た。
「……それは、むごいな。」
「……だよね?」
私の話を聞いた圭吾さんは、笑顔ながらもこめかみと口端を引きつらせた。想像するだけで居たいらしい。
私もいくらなんでも、やりすぎちゃったかなって反省している。帰りのタクシーの中で段々と冷静になってくると、罪悪感に襲われ始めた。
「でも、どうしても許せなかったの。」
「どうして?」
「だって……。」
私は圭吾さんに、圭吾さん達と別れた後に陽太から言われたことを話した。
「私は私なりに、6年間真剣に陽太と付き合った。だから思い出は輝いているし、圭吾さんともこうして出会えたと思うの。」
「うん。」
「私の思い出まで、汚された気分だった。」
私は6年間、こんな男と付き合ってたの?って。陽太は、こんな男だったの?って。
「森口くんを擁護する気はないけれど……。でもそれは多分、森口くんも必死だったからじゃないかな。」
「え?」
「森口くんだって、ともみのこと大切だったから6年間付き合ったんだろ?」
「そうだと思うけど……。」
だけど陽太は、割り切れって言ったんだよ?一晩だけでいいって言ったんだよ?
「やり切れなかったんじゃないかな。ともみを送り出してやりたい気持ちの狭間にいるときに、俺と他の女の人が一緒に居るのを見て。」
「私はちゃんと分かってたよ?岩崎さんが勝手にくっ付いてきてるって。」
「それは、ともみが俺を信じてくれてるからだろ?それに、ともみは俺のことをよく分かってくれている。だけど、森口くんの立場になって考えたら、どうかな?ともみ達と分かれた後の岩崎もそうだったけど。」
陽太や岩崎さんの立場?私は、自分がフラれた側になって想像してみる。
「……すごく、やりきれない。というか、何であんな人のために諦めなくちゃいけないんだろうって思う。」
「だろ?だけど、それでいいと思うんだよ。」
「それでいい?」
「うん。俺とともみさえ、信じあっていれば。」
「俺達さえ信じあっていれば、こうやって真実の確認をすることができるだろ?」
「圭吾さん……。」
私達のことは、私達の問題。どんなに陽太と岩崎さんがやり切れなくったって、私と圭吾さんが分かっていれば、こうやって愛の棲家に帰ってくることができる。これが、絆っていうものなのかもしれない。
「まぁ、森口くんは悲惨だけどな。大体男の大事な部分をそんな風にするなんて、恐ろしすぎるよ。」
肩をすくめる圭吾さんに私はぷうっと頬を膨らませた。
「だから私も、やりすぎたかなってすごく反省してるんだよ?」
「後でちゃんと森口くんに謝るんだよ。」
「うん。」
圭吾さんは、優しく私の頭を撫でてくれる。それに満足して、圭吾さんをぎゅうっと抱きしめる。
「俺達、成長してると思わない?」
考えてみると、この一年間で私はすごく成長したと思う。私は初め、圭吾さんを信じられなくて圭吾さんから離れようとした。そして圭吾さんは大人になれなくて、私は知らないうちに圭吾さんを傷付けていた。
だけどその度に、私達は絆を深めてきた。
「うん。すごく、成長したと思う。」
「これからもさ。色々あると思うんだ。」
「うん。」
陽太が言ったことは、間違いじゃない。これまでの人生ですら、色んな人を好きになってきて、これからの人生の方が長いのに結婚相手だけをずっと好きで居られるのかという話。
だけど、だから割り切るんじゃなくて。だからこそ、誰に対しても誠実で居るべきなんだと思う。それは人からどう思われようとかじゃなくて、自分が人生を振り返ったときにこれで良かったと誇れるように。
「だけどだからこそ、その色々なことを含めてともみと一緒に生きていきたいと思えるんだよ。」
「うん。私もそうだよ。」
「陽太や岩崎さんにも、そんな人が現れるかな?」
「どうだろうな。こればっかりは縁だから。でもきっと、そういうことだって分かる日は来ると思うよ。」
「うん。きっとそうだね。」
人と人の出会いは、不思議な歯車でできている。きっとそれが縁というものだ。
私は陽太と付き合わなければ、圭吾さんを好きにならなかったかもしれない。圭吾さんは岩崎さんと付き合わなければ、私と出会わなかったかもしれない。
そんな不思議なもの。だから全ての人との出会いに、感謝せずにはいられない。
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