第4章 うかうか

1月の半ばを迎えると、入社3年目までの社員と役職に長がつく社員とで第一第二営業部合同会議が近づいてきた。合同会議といっても、大それたものじゃない。


毎年恒例のもので、第一第二、お互いの今後の活動大綱を、新入社員がチームを組んで発表し合う場だ。つまり、若い社員たちが、活動大綱を理解しているかどうか、確認するための会議である。


「あれ。大島さん、どうしたんだ?」


会議の前にコーヒーでも飲もうと給湯室に向かうと、ボーッとつっ立っている大島さんが居た。


「え、あ。宮本係長。」

「今からプレゼンだろ?準備に行かなくていいのか?」


新入社員の大島さんは、会議でプレゼンをする側のはずだ。


「そうなんですけど……。緊張しちゃって。」


大島さんの笑顔は、引きつっていた。こんなに弱弱しい彼女を見るのは初めてた。そこに彼女の初々しさを感じ、思わず笑みが漏れる。


「大丈夫だよ。気楽にいけ。それにこのプレゼンは、確認し合う場だ。4月から入ってくる新入社員に戸惑い無く、教える事ができるように設けられた場だから。」


ポンポンと大島さんの頭を撫でた。


「だから、大丈夫だ。」

「宮本係長……。」


思ったより近い距離での彼女の上目遣いに不覚にもドキッとする。


「そうですね。ありがとうございます!」


大島さんは花が咲いたように、ぱっと笑顔になった。そして、元気よく給湯室を出て行った。


励ますことができてよかった。……だけど。笑顔もいいけれど。俺はやっぱり、あの時のコンビニのような表情を俺に向けて欲しいと思った。いつか、向けてもらえるようになる日は、くるのだろうか。






その後の大島さんたちのプレゼンは、非常にいいものだった。今年の新入社員は、みんな仲がいいようで、和気あいあいとしたプレゼンをしてくれた。


「じゃあ、今日は飲みに行こうか。」


プレゼンの打ち上げに飲みに行くというのは毎年恒例で、部長が新入社員を引き連れて飲みに行く。


「宮本くんもどうだい?今日のプレゼンの評価なんか、してやったらいいじゃないか。」


そして、会議に参加した人には、必ず声がかかるようになっている。


「喜んで行かせていただきます。」


大島さんにも近づくチャンスだ。終業時刻になると、打ち上げに行く人は一緒に退社した。


「宮本くん。今日の打ち上げ、第二も一緒にやることになったから。」

「あ。そうなんですか。じゃあ、大所帯で楽しい会になりますね。」


店に向かう途中。何故か俺の隣には、部長が居た。まぁ、他は課長とか係長以外は、新入社員だけだし、しょうがないっちゃしょうがない。


打ち上げをやるときの店は、決まって会社から徒歩5分のところにある居酒屋だ。広いお座敷があるため、いつもお世話になっている。


座敷に座ってからも、俺の隣に部長がいるのは、変わらなかった。……なんだか、マズイ気配がする。


「では、今日の会議の成功を祝して、乾杯!」

「「「「乾杯!」」」」


会が始まってからも、俺はずっと部長の隣から動けずにいた。しかもそれに加えて。


「宮本係長、お話聞かせていただいてもいいですか?」

「あ!私も聞きたい~!」


今まで交流をもてなかった新入社員の女の子たちが、俺のまわりに集まりだした。話を聞きたいと言っている子達を、無下に扱うこともできない。それに、中には本気で仕事の質問をしてきている子もいた。


そんな中で時折チラッと大島さんの方に目を向けると、常に男に囲まれていた。大島さんの同期の三枝さんも一緒だけど、あの二人はどちらも男に人気があるから心配でただならない。


「宮本くんは私にとって自慢の部下だよ。」


酔っ払った部長は、なぜか俺の自慢話を始めだした。今日は俺の隣に座って居ることで新入社員が集まってきており、それが嬉しいようだ。


「宮本くんが入社してきたばかりの頃は……。」


俺が新入社員だった頃の話を始めるから、周りに居た人たちが「もっと聞きたい!」となってしまい、収拾をつけるのに大変だった。


そのせいだろうか。


「さぁ、部長。帰りますよ。」


俺は部長を抱えて、タクシーを拾う。俺はもう大島さんとお近づきになるどころではなく、部長の介抱でいっぱいいっぱいだった。


仕方ない。また次の機会にチャレンジするしかない。そう、思ったのが間違いだったのかもしれない。


「じゃあ、みんな。お疲れ。」

「お疲れ様でしたぁ!」


若い社員に元気よく見送られ、タクシーに乗り込む。俺の家は近いからタクシーなど必要ないけれど、この状態の部長を一人で帰らせる訳にはいかない。


「姪浜まで。」


部長の自宅のある場所を告げると、タクシーが発進する。その時俺は、何故か知らないけど、ふと窓の外に目を向けた。


そこには、男と二人で歩く大島さんの姿が見えた。


え、は?


俺は一瞬で目を大きく見開いて、そこから目を離せなかった。


男の方は、今日の飲み会に参加していた第二営業部の新入社員だった。家まで送ってもらうことになったのだろうか。


タクシーは二人の姿と俺を引き離して、グングンと進んでいく。酒も少し入っているせいか、胸がドクンドクンとざわめく。


まさか、な。10月に別れたばかりだって聞いた。でももう、それから3ヶ月も経っている。大島さんに新しい彼氏ができていたって、不思議じゃない。


それに、飲み会の帰りに送ってもらうなんて、よくあることだ。深く気にしすぎない方が、いいのかもしれない。そう考えてみるものの。俺はその晩、胸がざわめいてよく眠ることができなかった。


2月に入ると、部長から内示を受けた。


「おめでとう、宮本くん。」

「ありがとうございます。」


3月から、課長に昇進だそうだ。


「安田くんが辞めてしまうのも勿体ないけれど、彼の分まで宮本くんには頑張ってもらいたいからね。期待を込めての昇進だ。」


係長になって、まだ1年。そんな俺が課長、か。


「正式な辞令は2月下旬だから。引き継ぎもしっかり頼むよ。」

「はい。」






それからはとても忙しくなって、あっという間に時間がすぎた。というか、時間があっても足りないという忙しさ。


特に、2月下旬の忙しさったらなかった。係長の仕事をやりながらの、課長の引き継ぎは死んだかと思った。安田の送別会も残業で参加してやることができなかった。


「悪いな、餞別くらいしか渡せなくて。」

「気にすんな。お互い、落ち着いたら飲みに行こうぜ。」

「絶対成功しろよ。」

「あぁ。」


俺は、餞別にと万年筆を渡した。安田は女子社員に惜しまれながら、でも後ろ髪を引かれることなく会社を辞めていった。


3月になってからも、俺の忙しさは変わらなかった。正式に課長になったことで、目を通す書類も係長の頃よりも数段に増えた。自分で自分が心配になるほど、忙しく感じた。


そんな日々を過ごしていると、あっという間に4月になり新入社員が入社してきた。この前まで、大島さんが新入社員だったのにな、なんて思う。2月からずっと忙しい俺は、全然大島さんにアプローチができていない。


そして、そのチャンスも生まれない。チャンスは自分で作るものなのかもしれないが、今の俺にはその余裕がない。それに、臆病になっている気がする。


目を閉じればいつでも、大島さんが、第二営業部のアイツと二人で歩く光景が鮮明に思い出せる。






「宮本課長、おはようございます。今日も暑いですね。」


夏のある日。偶然にも、大島さんと出社時間が一緒になった。


「おはよう。今日も35度を超すらしいよ。それより、早い出社だな。」

「はい。早起きしちゃったんで。」

「そうか。いいことだ。」

「宮本課長はいつもこの時間なんですか?」

「あぁ、まぁな。」


そんな会話をしながら人がまばらな社内を歩き、一緒にフロアへと向かった。


あれ?ひょっとしてこれってチャンスか?


「では。私、ロッカールームに寄っていきますので。」

「あ、あぁ。じゃあ、また後でな。」

「はい。」


今日の夜、飯でも誘おうかと思ったときにサラッと逃げられてしまった。いや、逃げたわけではないだろうが。


なんか、朝からドキドキしたり、落ち込んだり気持ちが忙しいな。ちょっと気分転換しよう。俺はコーヒーでも飲もうと、給湯室へと向かった。


やかんが沸騰するのを待つ間、カップにインスタントコーヒーの粉を入れる。


しっかりしろ、俺。6つも年下の女性に振り回されるほど、人生経験が少ないわけじゃないだろ。そんなことを考えているときだった。


「田中くん、こっちこっち!」


大島さんの声らしきものが聞こえてきた。しかも“田中くん”だと?


俺は一旦やかんの火を止め、給湯室からこっそり廊下を覗いてみた。すると、すぐそこに、田中と呼ばれた男と大島さんが立っていた。


「もう、お弁当なんて今日限りだからね!早起きするの大変なんだから。」


お弁当?


「ごめん、ごめん。でもともみの作ってくれたお弁当が食べたかったから。ありがとう。」


“ともみ”?


相手の男は俺の方に背中を向けて立っているため顔を確認することはできないが、大島さんの顔が男の背中越しに少しだけ見える。


「もう!本当に今回限りだからね。」


そう言った大島さんの表情を見て、俺の心臓はドクンと波打った。


大島さんは、あのコンビニの時と、同じ表情をしていた。俺はそれ以上二人を見ることができなくて、やかんを火にかけに戻る。お弁当と、大島さんのあの表情で決定だ。大島さんは、あの男と付き合ってるんだ。


俺がどうしても俺に向けて欲しかったあの顔を、大島さんは他の男に向けているんだ。そう考えれば考えるほど、胸がグチャグチャになりそうだった。


「まじかよ……。」


給湯室にポツンと放たれた俺の言葉だけが、行き場を見失っていた。

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