第6章 山口出張
圭吾さんが山口出張に行く日。<今から新幹線に乗るよ。お土産期待してろ。>圭吾さんから、そんなメールを受信した。
嬉しくて思わず、勤務中なのに顔がニヤけてしまう。
「柚ちゃんも一緒だってこと、忘れてない?」
あまりにニヤニヤしていたらしく、美香に注意された。圭吾さんとのラブラブモードに浸りきっていたから、柚ちゃんにしてみれば絶好のチャンスだってこと、忘れてた!!
「美香ぁ~。どうしよう~。」
お昼休み、私は美香に泣きついた。
「どうしようったって。宮本課長を信じるしかないでしょ。」
美香は今日の定食についていたサラダを頬張りながら、アッサリそんなことを抜かす。私に嫌なことを思いださせたのは、美香なのに!!
「でも宮本課長って、浮気したとしても1回こっきりそうだし、ともみにもバレないようにしそうだからいいじゃん。」
「良くないよ?!」
「だけどさ。浮気ってされるんなら知らない方が良くない?」
まあ、それも一理あるけれども。
「落ち着いたら、電話入れてみようかな。」
「そうしな。毎晩決まった時間に電話しないようにしなよ?時間が決まってたら、浮気しやすいから。」
「もう!美香!!さっきから不吉なことばかり言わないでよね!」
美香は私をからかえて満足らしく、満面の笑みを浮かべていた。冗談と分かっているものの、それからは午後の業務もソワソワして、落ち着いて仕事ができなかった。
空席になっている宮本課長のデスクを除き見しては、みんなに分からないように溜め息を漏らす。
はぁ。圭吾さんは仕事で出張に行ってるんだから、しっかりしなくちゃ。そう分かってはいるものの気持ちの切り替えが上手くできない。
「先に帰るね。」
「うん。お疲れ。」
「お疲れ様。」
声をかけてくれた定時上がりの美香とは対照的に、私は残業コースになった。
もう、こんなんじゃダメだ。明日からはしっかりしなくちゃ。そうだ!夕飯はとっておきのご馳走にしよう。そうと決まれば、早く終わらせなくちゃ!!
自分で自分を鼓舞して、マッハで残業に取り掛かる。気持ちの切り替えをするには、やっぱり食べ物だよね!スーパーの割引が売り切れる前に、買いに行こう!
そう考え出したら、テンションも上がってパソコンを叩く指も軽やかになり、本当にマッハで終わった。
こんなにすぐ終わるんなら、午後に入ってすぐに本気出しとくんだった。自分のパソコンの電源を落とし、帰り支度をする。今日の夜ご飯は、私の大好きなチキンソテートマトソース和えに決定!
そしてバタバタとエレベーターに乗り込むと、私の一期後輩で柚ちゃんと同期の女の子達と一緒になった。
「「大島先輩、お疲れ様です。」」
「お疲れ様。」
後輩の可愛い挨拶に、私も笑顔で答える。後輩ってなんだか、むずがゆい感じ。
「大島先輩は柚…佐々木さんから聞いて知ってるって伺ったんですけど……。」
「ん?なに?」
「佐々木さんが宮本課長を好きな話。」
心臓がドクンと跳ねた。
「え、あ。あぁ。そういえば本人から聞いたよ。」
「やっぱり!佐々木さん、すごく積極的ですよねぇ!」
「そう、だね。」
「しかも、今2人で出張に行ってるじゃないですか。」
「う、うん。」
平静に平静に!頑張って私!本妻は私なの!!私は必死に満面の笑みを顔面に張り付けた。
「泊まるホテルって別々らしいんですけどね?」
あぁ、この子達もそこまで聞いてるんだ。
「宮本課長を自分の泊まってるホテルに誘い出すらしいですよ!」
「まぁ、佐々木さんならこの2週間の間にやれちゃいそうだよね!」
きゃっきゃはしゃぐ後輩を他所に、私の内心は穏やかではない。一瞬だけこめかみがぴくりと動いてしまった。
どうしよう!圭吾さんが柚ちゃんに食われちゃう!!
「ゆ、柚ちゃんって、そんなに積極的なタイプなんだね。」
きっと私の表情は、引きつっているだろう。
「やっぱり、社内恋愛ってあんまり良くないんですかね?」
だけど後輩の女の子は、私のその表情を違う意味に勘違いしたらしい。
「悪くはないけれど、おおっぴらにするのもどうなのかな。人の考えは様々だから……。」
「そうですよねぇ。佐々木さん、大丈夫かな?」
そこで、チーンとエレベーターが1階についた。
「「じゃあ、大島先輩、お疲れ様でしたぁ。」」
2人は一緒に帰るのだろう。エレベーターから出ると、元気よく2人で帰って行った。
私はというと……、なんかムカついていた。柚ちゃんにムカついていた。考えれば考えるほど、段々腹が立ってきた。
2週間の間に落とす?私の男をそんな簡単に見くびらないで欲しい!きっと圭吾さんだって、伊達に30年生きてないんだから!伊達にイケメンじゃないんだから!
私は地団駄を踏みながら、帰宅した。私の好きになった男を、なめられてもらっちゃ困る!
『……なんでそんなに鼻息荒いの。』
「えっ!」
すごく苛立ったせいで、ご飯もチキンソテーからレトルトのミートスパゲッティへと簡単なものに変化した。それでも怒りは収まらなかったようで、圭吾さんから掛かってきた電話では鼻息が荒かったらしい。
『会社でなにかあったの?』
「会社……。うーん、そうだなぁ。」
なんて説明すればいいんだろう。圭吾さんに勝手に柚ちゃんの気持ちをバラすわけにはいかないし。
『……なに。誰かに告白とかされたの?』
「えっ、違うよ。告白なんてされないよ!」
されそうなのは、圭吾さんだよ!
『じゃあ、どうしたの?』
「んー…。圭吾さんって、いい男じゃない?」
『うん。』
「だから、圭吾さんのことを好きな子が居てね。」
『うん。あ、ヤキモチ?心配しなくても、俺はともみだけだよ。』
「うーん。ヤキモチも心配もしたけど。それとはまた違う感情がね。」
『違う感情?』
「うん。」
私は今日後輩の女の子達から聞いた事を、圭吾さんに話した。もちろん、柚ちゃんってことと、2週間ってことを伏せて。
『ぶはっ。』
そしたら、圭吾さんに笑われた。電話越しでも、爆笑していると分かるくらいに。
「な、なんで笑うの?!」
私、ムカついてるんだから!
『いや、そこ?』
「そこって?」
『普通、そこじゃないだろ!』
「だって、圭吾さんがバカにされた気分だったんだもん。」
そうだよ。簡単に落とそうなんて、相手をバカにしてるとしか思えない。
『まぁ、あれだ。そんな風に俺の事を簡単に落とせると見くびっている奴に、俺は靡いたりしないから安心しろ。安心っていうか、怒りを収めろ。』
「圭吾さん……。うん、分かった。」
優しい圭吾さんの言葉に、私の心はほぐれた。この人ってもしかして魔法使いなのかなってくらい、すっと落ち着くことができた。
「それより、今日はどうだった?」
私の鼻息で話がずれたけど、山口の話を聞いているところだった。
『あぁ。みんないい人たちで、第一印象は悪くなかった。』
「そっか。事業展開、いけそう?」
『まだそこまではなー。色々みてみないと。』
「そっか。」
だけど、圭吾さんの楽しそうな口ぶりから、何か手ごたえがあったことを感じる。
「大変かもしれないけど、2週間頑張ってきてね!帰って来たら、ご馳走待ってるよ。」
『ああ。』
明日も朝が早いだろうってことで、早めに電話を切った。チーム長に抜擢された圭吾さん。きっと圭吾さん本人は大変なんだろうけど、私はそんな彼が誇らしい。
役職がついてる圭吾さんが誇らしいんじゃなくて、みんなに信頼される圭吾さんが誇らしい。圭吾さんを好きになれて良かった。今ではもう元彼の記憶は曖昧で、圭吾さんの温もりしか思い出せない。
それから毎日、圭吾さんから電話が掛かって来ていた。今日の報告をお互いにして、圭吾さんが頑張っているんだから、私も頑張ろうって思えた。
知らない土地で頑張っている圭吾さんを知っているのに、自分の業務を疎かにすることは絶対にできないと思った。
部長にも、最近よく頑張っていると褒められた。これって相乗効果っていうのかな。圭吾さんが居るから、頑張れるって感じ。私も圭吾さんにとってそんな存在になりたいなって思う。
そして、あと3日で圭吾さんが帰って来る。そんなある日のことだった。
「もしもし?」
いつものように、圭吾さんから電話が掛かってきた。
『……。』
だけど向こうは無言。どうしたんだろう?
「圭吾さん?」
私に電話をかけてきて無言だったことなど一度もないから、心配になって呼びかける。
『……。』
それでも無言。どうしたのかな?繋がってないのかな?すると。
『先にシャワー浴びたから、佐々木さんも早く浴びなさい。』
「っ!」
電話の向こうから、圭吾さんの声がした。だけど、その声は電話のこちら側に居る私に話しかけてる感じではない。
ナニコレ
『か、ちょお』
『ほら。さっさとしないと……ブチン。ツーツー。
……電話は、そこで切れた。
なんだったの?今のは。2人は一緒に居るってことだよね?しかも2人で居て、シャワーが必要なことってなに?電話を掛け直せば答えは分かるかもしれないけれど、手が震えてそれもできそうにない。
私の中のドス黒いものが、沸々と湧き上がってくる。私は足に力が入らなくて、自分の部屋の床にペタンとへたり込む。そして、ポツンポツンと床に雫が滴り落ちる。
なにこれ。なにこれ。なにこれ。
「うわぁぁぁぁぁん!!!」
もう何がなんなのか、全く考えられない。知らなかった。自分のこんな醜い感情なんて、知らなかった。
……そして、全部捨てたくなった。全部捨ててしまいたい。だって知りたくなかった。自分のこんな感情も、さっきの出来事も。だから全部捨ててしまいたい。
その夜、私は子供のように大声をあげて泣いた。
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