第2章 再会

「新しく担当になりました。森口もりぐちと申します。」


取引先の担当の方がお見えになったというので、応接室にお茶を出しに行ったときのことだった。開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだった。


内心は動揺しつつも私は平静を装い、お茶を出すと静かに応接室を後にした。みんなに動揺がバレないように急いで給湯室へと向かう。


な、なんで?!こんなことってあるの?!


胸の動機を収めるために、深呼吸をする。


「ふぅ。」


こんな偶然ってあるんだぁ。私が銀行の担当じゃなかっただけマシだなぁと思いながら、心を落ち着かせる。


「どうかした?」


だけどその声に、せっかく収まり始めた動機が蒸し返された。


「け、宮本課長!」


圭吾さんが、給湯室へとやってきたのだ。


「お、お茶飲みますか?」

「いや。ともみの様子が変だったから。」


みんなには隠せても、圭吾さんは見逃さなかったらしい。


「……。」

「なにかあったんだろう?」


仕事中にこんな話、できっこない。


「大丈夫、です。」


 だから私は何でもないフリをする。


「俺が大丈夫じゃない。」

「仕事中に話すことじゃないので。」

「俺が気になって仕事に集中できない。」

「……。」

「ともみ。」


そんな言い方をされてしまうと、言わないわけにはいかなくなってくる。私はぐっと息を飲みこんで覚悟を決めた。


「……さっき、○×銀行の鮫島さめじまさんに同行して来られていた方なんですけど。」

「あぁ。鮫島さんに代わって、新しくコスモ商事担当になる人?」

「はい……。」

「その人が?」

「……その人、私の元彼なんです。」


圭吾さんは3番目に付き合った人で、田中くんは2番目に付き合った人。だから、森口さん…森口陽太ようたは、私が初めて付き合った人だ。


「元彼って……6年間付き合った?」

「はい。」

「初めての?」

「……はい。」

「そうか。彼が。」


圭吾さんはそれだけ言うと、そそくさと給湯室から出て行こうとした。


「ま、待って!」


圭吾さんに誤解して欲しくなくて、思わず呼び止めた。


「わ、私。まだ好きとかじゃなくて、いきなりの再会だったから……その、上手くいえないんだけど……。」


あぁもう。自分のボキャブラリーの少なさに、イライラする。


「うん。分かってるよ。」


だけど、私の心配をよそに圭吾さんはあっけらかんと答える。


え?分かってる?私が分からなさそうな顔をしていると、圭吾さんはふっと笑みを漏らした。


「ともみは驚いただけだろ?ちゃんと分かってる。ていうか、誰だって驚くよ。昔付き合ってた人に思ってもないところで再会したら。」


圭吾さんは優しくポンポンと私の頭を撫でた。


「だから、心配すんな。信じろって言ったのはともみだろ?」


圭吾さん……。


「それに。俺、ともみのただの彼氏じゃないし。婚約者だし。」


そして嬉しいことも言ってくれる。


「アイツとは立場が違うの。ともみの将来も俺のモノなんだから。な?」

「うんっ。」


圭吾さんの言葉で、心配なんてどっかにいっちゃう。圭吾さんの愛は、最強だね!


「あのー。お2人さん。ここ、仕事場なんで、帰ってからやってもらえますか?」


給湯室に入ってきた美香の声に、ここが会社だったことをはっと思い出す。そして、美香の視線が痛い。


「これだからリア充は!」


私は、美香にお昼ご飯を奢るハメになった。






そしてその日の夜。ちょうど圭吾さんが帰って来る前で、夜ご飯を作っている時だった。私の携帯電話が着信を知らせた。


「はい、もしもし?」


調理に忙しくて、誰からの着信なのかも確認せずに出たのが失敗だった。


『もしもし。ともみ?』

「よ、陽太……?」


まさかの、陽太からの連絡だった。


『久しぶり。元気してた?』

「うん。元気だよ。陽太は?」

『元気。いやぁ、今日は吃驚したよ。』

「私もだよ。まさか新しい担当の人が、陽太だったなんて。」


圭吾さんに給湯室で陽太のことを話したお陰だろう。自分でも思ってもみないくらいにすんなりと陽太と話すことができた。


『ともみ、綺麗になったよな。見違えた。一瞬ともみかどうか迷ったよ。』

「そ、そうかな?でも雰囲気は変わったかもね。」


陽太と別れて、もうすぐ2年経つ。だから、お互いに変わったところがあっても何も不思議じゃない。


だけど別れて何の連絡も取らなかった2年が嘘のように、私は陽太と他愛も無い話をすることができた。


『そういえばさ、ともみ。今、家にいる?』

「今?うん。いるよ。」

『今ともみの家の近くにいるんだけど、寄ってもいい?うちの女子社員に美味しいマカロンもらったんだよ。』


陽太は昔から甘いものが苦手だった。だからバレンタインに私以外の女の子からチョコをもらうと、いつも甘いものが好きな私にくれていた。


「え。ほんとに?」


大好きなマカロンに私はテンションがあがった。どんなマカロンなんだろうかとわくわくする。


だけど私はそこで、重大な落とし穴に気付いた。


「……あー。陽太、ごめん。」

『なに?』

「私、引越ししたんだよねぇ……。」


そう。きっと陽太が居るのは、私が1人暮らししていた頃の家の近くだ

陽太は高校時代から付き合っていたから私の実家も知っているけれど、まさか実家の近くにいるわけはない。


『え。まじで。……そっか。どこに引っ越したの?』

「あー……。会社の近く。」


私達の愛の棲家は、会社から徒歩10分。会社からほど近い。


『へぇ。珍しいな。会社の近くはあんなに嫌だって言ってたのに。さては、通勤が辛くなったんだろう。』

「まぁ、そんなところかな。だから、ごめんね?せっかくなのに。」

『気にすんなよ。たまたま近くに来ただけだから。これからコスモ商事に行くことが多くなるから、よろしくな。』

「うん。こちらこそ。」

『んじゃ、またな。』

「うん。」


それで、陽太との電話は終わった。


陽太には圭吾さんであることを伏せて、同棲してることを言ってもいいのかなって思ったけど、なんだかそれをわざわざ言うのもどうかと思ってやめた。


陽太もきっと新しいいい女の子がいるとは思うけど、ね。






「普通に言っていいんじゃないの?婚約してるわけだし。」


夜ご飯の時に圭吾さんにさっき陽太から電話があったことや、圭吾さんとのことを話してもいいのだろうかと相談してみた。


「まぁ、でも一応取引先だから、俺の名前は伏せてくれると助かるけど。」

「そっかぁ。なんだかやっぱりこういう時って、恋愛経験が浅いと分からないよね。」

「ともみの場合、恋愛経験が浅いっていうよりも、男の気持ちに鈍感って言った方が正しいよな。」

「なにそれ。」


 私が頬を膨らませると、圭吾さんは笑った。


「ハハッ。だってほんとだろ。」


圭吾さんが、そんな風に笑い話にしてくれるから、私も助かる。


「ていうか、後から冷静になって思ったんだけど、そもそも陽太は高校の同級生なんだから婚約したこと話しても問題ないよね。」

「そうだな。招待状は出すつもりなの?」

「んー……迷ってる。呼ぶとしたら二次会からだけど。」

「そっか。まだ時間はあるんだから、高校の友達とも相談したらいいよ。」

「そうだね。そうしよう。」

「でも、妬けるな。ともみの初めての男なんだって考えると。……ご馳走様。」


圭吾さんはボソッとそう言うと、そそくさとリビングのソファへと移動した。


ななな!なに今の!10キュンですけど!!!



「圭吾さんっ。」


私は我慢できなくて、圭吾さんに飛びつく。


「……なに。」


不機嫌そうな声を出す圭吾さん。だけど顔は真っ赤だから、説得力はない。


「だいすき!」

「……知ってる。」

「私も、妬くよ。圭吾さんの初めての人。」

「もう遠い昔だよ。」

「それでも。」


未来の圭吾さんは全部私だけが知ることになるって考えたら、嬉しくなっちゃうけどね。


そしてどちらからともなく、キスを交わす。


唇を離すと、へへっと2人で笑い合った。結婚しても、こうやって他愛もない話でも話し合って、たくさんの時間を一緒に過ごしていこうね。






次の日、いつも通り会社に行くと、私は目を丸くさせざるをえなかった。


「はよっ。」

「え?!陽太?!」


なんと、会社の前に陽太がいたのだ。


「え?!どうしたの?!会社は?!」


私は慌てて、陽太に駆け寄る。


「行くよ。でもその前にともみにあげようと思って。」


陽太はそう言うと、持っていた可愛い袋を、私に差し出した。


「え?なに?」

「昨日言ったじゃん。マカロン。俺、食べないから。」

「わざわざ?」

「うん。マカロンの話、ともみにしちゃったし。」

「……ありがとう。」


こんな風に朝イチで会社の前で待たれたら、受け取らないわけにもいかなくて、私は差し出されたマカロンの入った袋を受け取った。


「どういたしまして。」


陽太は、付き合っていた頃と変わらない笑顔で、私の頭をくしゃくしゃと撫でた。


「おや。大島くんは、こんなところで堂々と浮気かね。」


「そろそろ会社に行った方が良いよ。」と言おうとしたその時、空気の読めない部長が登場した。


「ぶ、部長!おはようございます。」

「あれ。君は確か。」

「はい。○×銀行の森口です。いつもお世話になっております。」


やばい!部長“浮気”とかいうワード出してたよね?


「あ。実は森口さんとは、高校の同級生でして。」


私は必死に陽太との関係を説明する。


「ははっ。そんなに慌てなくても、分かっているよ。宮本くんに言ったりしないから。始業には間に合うようにね。森口くん、今後ともコスモ商事のことよろしく頼みますよ。」

「はい。失礼します。」


部長は大きな爆弾を落としてから、颯爽と会社の中へと入って行った。


「……。」

「……。」


私達の間には、沈黙が流れる。陽太と出会ってから随分と経つけれど、一度も味わったことのない気まずい空気だ。


「“宮本くんに言わない”ってなに?宮本ってコスモ商事の営業部の宮本さんのことだろ?」


 先に口を開いたのは、陽太だった。


で、ですよね!気になりますよね!


「私、結婚するの。宮本課長と。」


 ここで嘘を言ったりあやふやにしたりしても意味がないから、聞かれたことに応えることにした。


「は、まじ?」

「うん。」

「いつ?」

「まだ期日は具体的には決まってないんだけど。」

「……そっか。」

「……うん。」


みんな、元彼とこうなっちゃった時って、どうしてるんだろう。


「そっかぁ。……あーあ。もう少し早くともみと再会できてればなぁ。」

「え?」

「俺。ともみのこと、今でも好きだよ。」

「えぇっ?!」

「鈍感さは相変わらずだよなぁ。好きじゃなきゃ、マカロンわざわざ持って来たりしないんだけど。」

「……。」


だけど私は、少し成長したんだよ。陽太の気持ち、もしかしてっていうのは、ちょっと考えていた。


「でもそっか。だけどあんなにデキる人、よくともみが捕まえたよな。」


ハハッと明るく笑う陽太。陽太の笑顔は、昔から変わらない。名前のように、太陽のような笑顔だ。


「捕まえたんじゃないよ。そういう縁だったの。」


陽太が笑ってくれるから、私も笑顔で答えることができた。


「モテそうな人だから泣かされないようにな。じゃあ、そろそろ会社行かなきゃだから、またな。」

「うん。ばいばい、気をつけてね。」


始業時間も近くなり、そこで私達は分かれた。


大好きだった陽太。今も変わらず、陽太のことは好き。嫌いになんて、なれるはずがない。


だけど、その気持ちは圭吾さんに対する気持ちと全然違う。陽太に恋をしていたのは、もう思い出の中の私。


6年間陽太に恋をしていなかったら、田中くんとあんな別れ方しなかっただろうし、田中くんとあんな別れ方しなかったら、圭吾さんに落ちなかった。だから陽太には感謝せずにはいられない。


全ては全部、今に繋がっていて、私が圭吾さんを愛したのは、必然。


きっとそうやって、愛を知る。愛を感じる。


田中くんにも新しい彼女ができたように、陽太にも世界で一番愛する人が現れるように、陽太の幸せを願わずにはいられない。


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