第3章 宣戦布告
「で。誰なの?」
お昼の社員食堂で、私は美香に問い詰められていた。大勢の人が行き交っていた今朝の会社前では、それはもう色んな人が、私と陽太を目撃したらしい。
……そして今日は何故か。美香と柚ちゃんだけじゃなく、田中くんも一緒に、ランチを食べていた。
「大島、早速浮気なの?」
どこか刺々しい田中くんの言葉。それでも、「田中くんと同じ立場の人だよ」なんて言えません。
「あの人、新しくコスモ商事の担当になった○×銀行の人、ですよね?」
さすが柚ちゃん。仕事ができる子は、人の顔を覚えるのも、早いらしい。
「えっ。そうなの?」
「はい。私、ちょっとタイプだったんで、覚えてたんです。」
「……高校の同級生だよ。」
柚ちゃんのタイプ発言にはスルーして、仕方が無く陽太の素性をバラす。高校の同級生ってところは、別に隠すことじゃないしね。
「それだけじゃなさそうな雰囲気だったわよね。」
美香は名探偵ばりの推理をみせる。
「そう?」
「俺もそれ思った。」
一体どんな雰囲気だったんだろう。田中くんまでも同じことを思うなんて。
「じゃあ、大島先輩の元彼ってとこですか?」
何気なく言った柚ちゃんの言葉に、ドキッと反応してしまう。
「そういうことかぁ。」
私の反応を見逃さなかった美香の瞳が怪しく光った。金輪際、美香には嘘つけないと思う。
「……まあ、そういう感じ、かな。」
私は観念してその事実を認めた。できれば言わなくてもいいかなとは思ったけれど、嘘をつくほどでもないからだ。それに、圭吾さんも知ってるしね。
「アイツが……。」
すると、田中くんは微妙な空気になった。でも、そりゃそうですよね!田中くんと別れたのは、陽太も関係してるもんね!
「でもあの人は、今でもともみを好きって感じよね。じゃないとわざわざ始業前に来たりしないでしょ。」
「私もそう思います。」
「……そうかなぁ?だとしても、大丈夫だよ。婚約者がいることも、伝えてあるし。」」
そこはとぼけるしかなかった。口が裂けても今日告白されたなぞと言えるはずがない。
「大島、用心しておけよ。彼は大島の性格を知っているんだろうから。」
そこは田中くんの言うとおりだと思った。陽太は私の性格を知っている。もしかしたら、私以上に私の基本的な性格を知っているかもしれない。
「ありがとう。肝に銘じておくよ。」
陽太には悪いけれど、少し距離をとらなくちゃね。しかも、仕事上では取引先なんだし。
「大島先輩。元彼さん、私に紹介してくださいよ~。失恋したばかりの男の人って、ぐらっとくるじゃないですか~。」
私と美香はそんな柚ちゃんを見ながら盛大な溜息をついた。私、柚ちゃんと姉妹になるなんて、嫌なんだけど。
午後からは、谷口先輩とアシナガオフィスに向かった。今日は、アシナガオフィスに使ってもらっている商品が製造中止になるため、そのお知らせと、その代わりの商品の紹介のためだ。
「こんにちは。ご無沙汰しております。」
応接室に通された私達は、担当の岩崎さんと挨拶をして、持ってきた資料をお渡しして話を進める。谷口先輩と、岩崎さんが主に話しを進めるけれど、資料の準備とかは私がやっているから、ところどころ詳しく説明を求められる部分もあったりする。3人で話をすると、仕事の話だけじゃなくて、世間話をすることも多い。
「ところで、大島さん。ご婚約されたそうですね。おめでとうございます。」
岩崎さんはその世間話の類で、私に話を振ってきた。
「え、あ。ありがとうございます。」
もう岩崎さんにまで話がいくなんて思ってもいなかったから、私は驚きながらも御礼を述べた。これって早いのかな?こんなものなのかな?
「宮本課長に直接お聞きしました。素敵な方を捕まえて妬けちゃう。」
私がなぜ知っているのかというような顔をしたからだろう。岩崎さんはニコッと微笑みながら、その疑問を解決してくれた。憧れちゃうなぁ。
「はぁ。」
圭吾さんが褒められて、思わず照れてしまう。ていうか、こんな時なんて返すのが正しいのか、分からない。
「あんな素敵な方を落とすテクニックがあるなら、教えて欲しいわ。」
普通の人が言うと嫌味に聞こえるんだろうけど、岩崎さんが言うと、ちゃんと冗談に聞こえるから不思議だ。
「……大島は人を気遣える子ですからね。一緒に居たら、大島の良さもすごく分かりますよ。」
私が回答に困っていると、助け舟を出してくれたのは谷口先輩だった。でもそんな風に褒められると、さらに何と言ったらよいのか分からなくなってしまう。
「た、谷口先輩。」
私はただただ、恐縮してしまう。だって自分はそんなに大それた人間じゃないことは、自分が一番分かっているからだ。
圭吾さんも私も、お互いの“どこが良かったから”とかじゃない。この人となら、人生を一緒に歩いていきたいと思ったんだ。
「羨ましい限りです。」
岩崎さんのその言葉で、私と圭吾さんの話は終わった。良かった。自分の目の前で、自分の話をされるのって、こんなに照れるんだね。
無事に、仕事の話も終わり、アシナガオフィスから帰る途中のことだった。
「岩崎さんに、気をつけなさいよ。」
谷口先輩から、忠告を受けた。
「え?なんでですか?」
「なんでって……。ともみちゃん、気付かなかったの?」
呆れる谷口先輩。な、何を?!
私が分からなさそうな顔をしていると、谷口先輩は「はあっ。」と溜息をついた。
「鈍感って、こういうときに幸せよね。」
「えぇっ?!」
「岩崎さん。宮本課長のこと、明らかに狙ってるじゃない。今日はともみちゃんに敵意むき出しだったでしょう。」
「えぇっ?!」
全然気付かなかった!!
「とにかく。気をつけた方がいいわよ。人間の嫉妬ほど、怖いものはないから。」
「はい。ありがとうございます。」
まさか、岩崎さんに敵意を持たれていたなんて。私は少し、ショックを受けた。
「あれ。」
「あら。」
ある日の会社帰りのことだった。いつものスーパーでいつものように買い物をしていると。
「こんばんは大島さん、お買い物?」
岩崎さんに遭遇した。
「こんばんは。はい、夜ご飯の買い物をちょっと。岩崎さんは?」
「私も、ね。たまには料理作ろうと思って。」
買い物籠を、ちょこんとあげる岩崎さん。そんな仕草は、大人の中に女の子らしさが垣間見える。敵意なんて、全然感じられないんだけどな。
「もし時間あるなら、近くの喫茶店で少しお茶しません?」
思いもよらない岩崎さんからのお誘いに、少しだけ身構えてしまうけど変に捉えるのも良くないよね。
「少しだけだったら。喜んで。」
私は快く岩崎さんのお誘いを承諾した。何にしても、ちゃんと話してみないと仕事以外の岩崎さんのことはよく分からない。
「じゃあ、向かいの喫茶店で。」
「はい。後ほど。」
私は手早く買い物を済ませると、先にスーパーを出て喫茶店に向かった岩崎さんの元へと急いだ。
「お待たせしてすみません。」
喫茶店に入ると、岩崎さんは、入り口から一番遠い奥のソファ席に座っていた。私は岩崎さんの対面へと座る。
「いいえ。随分本格的にお料理なさるんですか?」
私の買い物した荷物を一瞥しながら、岩崎さんはそう言った。誰から見ても、これからがっつり食事を作るという荷物だから、その質問に違和感はない。
「えぇ。料理は得意なので。」
私はニコッと笑顔を見せながら答えた。
「ふふっ。そんなところも、宮本課長……圭吾が大島さんを好きになる要素なんでしょね。」
岩崎さんもニコッと笑いながらそう言った。だけど1つだけ引っかかる。岩崎さん、今、“圭吾”って言わなかった?しかもわざわざ言い直して。
「そ、そうでしょうか?それは本人に聞いてみないと。」
私は、先ほどまでの笑顔とは裏腹に、冬が間近に迫ってもう防寒着も着るような季節になったというのに、私の背中を一筋の汗がつうっと伝った。
「それもそうですね。でも、圭吾が選んだ人が大島さんだなんて、意外です。」
また、だ。
「意外、ですか?」
「えぇ。6歳も年下の女の子を捕まえるなんて、思いませんでした。」
さっきまでは感じられなかった岩崎さんの敵意を、ひしひしと感じる。
「岩崎さんと宮本課長って、古くからのお知り合いなんですか?」
圭吾なんて呼び捨てされたままで、私だって黙っていられない。
「知り合いっていうか、付き合ってたのよ。今の大島さんと同じ年齢のときに。」
頭をガツンと殴られたようだった。
「25くらいの時でしょ?だから私が圭吾と結婚できるんだと思っていたんだけど。お互い仕事が忙しくなっちゃって、別れたの。だから意外なのよ。25歳の女の子と結婚するなんて。25歳の私でもダメだったのに。」
それまでの岩崎さんとは打って変わって、彼女は捲くし立てるように一気に喋った。笑顔で口調も強いわけではないけれど、それが逆に怖い。
「そうだったんですか。」
岩崎さん、圭吾さんの元彼女だったんだ。岩崎さんなら、お似合いだったんだろうなって、2人が立ち並んだ姿を頭の中で妄想してみる。
「大島さん、圭吾と結婚して耐えられるの?」
耐える?何に?
「圭吾、仕事一筋でお構いなしでしょ?帰ってくるのも遅いし。」
……はて。そうだろうか?付き合い始めてからの圭吾さんを考えてみる。
確かに、仕事が忙しい時もあるけれど、だからってほったらかしにされることはない。何より、お互いを労わりあうことの方が多い。
私には、岩崎さんの言うような圭吾さんが、想像できない。だから頭をひねらせて、考えていると、岩崎さんはその様子が気に食わなかったようだ。
「大島さんには、圭吾を支えるのは、無理だと思うの。だから、私に譲ってくれないかしら?」
開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだと思った。岩崎さんが、そんな低レベル発言をする人だとは思わなかった。
「大島さんはまだ若いんだから、他にいくらでもいるでしょ?だから。それに圭吾も、私がつつけば私を選んでくれると思うのよ。」
「宮本課長は、誰かを選んだりしません。」
私は毅然と言った。だって圭吾さんと私は、誰かと誰かを比べて選んで付き合っているわけじゃない。“圭吾さんと結婚する”という道は選んだけれど、圭吾さんを選んだわけじゃない。
「……言っておくけど。」
岩崎さんの表情が、今までで一番険しい表情になった。
「大島さん、圭吾より6歳も年下でしょ?大島さんも圭吾の生活に耐えられないと思うけど、圭吾も大変だと思うのよ。」
それは、心にズシンとくる言葉だった。
「大島さんが若いから、目移りしちゃうんじゃないかって心労になるだろうし。圭吾のこと考えたら、ねぇ?」
今までどれほど圭吾さんに心配をかけたか分からない。恵庭くんの時だって、私は圭吾さんを傷付けてしまった。
「……。」
だから私は、何も言えなくなってしまった。
「まぁ、いいわ。考えといてくださいね。圭吾だって後々のことを考えたら、私と結婚した方がプラスになると思うから。じゃあ、私はこれで。お代は払っておくから。」
岩崎さんは、自分の言いたいことだけ言うと、颯爽と席を立ってお店から出て行った。
なんかこのパターン。どっかで体験したことあるぞ。
「それは完全に柚ちゃんパターンね。」
次の日のランチにて、私は美香と柚ちゃんに昨日の岩崎さんとの出来事を話した。
「三枝先輩ひどいです!でも確かに、私と同じパターンだと思います。」
美香と柚ちゃんも同じことを感じてくれたらしい。昨日岩崎さんと分かれた後、どっかで体験したことあると思ったら、圭吾さんと付き合い始めたばっかりの頃、柚ちゃんにされたことだと思ったのだ。
「なんでちょっとプライド高い女って、そんなに高飛車なのかしら。」
「三枝先輩、それは私に対する悪口ですか。」
「まぁ、ともみはドンと構えてていいんじゃない?そんな高飛車な女に、宮本課長が靡くと思えないから。」
「だから三枝先輩。私に対する悪口ですか?」
「それにさ。ともみが6歳下なことは、初めから分かり切ってることでしょ?そんな心労よりも、ともみに傍にいてもらうことを選んだのは宮本課長だよ。だから、気にすることないって。」
美香の言葉で圭吾さんの言葉を思い出した。“ともみと結婚しなくてする後悔よりも、幸せな後悔なんだよ。”
……そうだったね。圭吾さんにとって結婚した後の後悔は、幸せな後悔だって言ってくれていた。
「ありがとう、美香。」
「ちょ!大島先輩も無視ですか?」
そうだよ。大事なことを忘れるところだった。私よりも先に覚悟を決めてくれていたのは、圭吾さん。私と歩く人生を、選んだのも圭吾さん。
「しかし。モテる2人が結婚するって大変なのね。」
「私もそう思います。」
「え?圭吾さんはすごくモテるけど、私はそんなことないよね?」
美香も柚ちゃんも、「どの口が言うか」というような顔をしていた。
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