ウイルス
「うぅっ。」
「苦しい?」
「グスッ、ズズッ。」
さらさらと圭吾さんの髪を撫でる。ベッドの上に横たわる圭吾さんは、とても苦しそう。圭吾さんは昨日の晩から、高熱で寝込んでしまっている。昨晩、フラフラで帰ってきた圭吾さんを、夜間診察へと病院まで連れて行った。
幸いにもただの風邪だったのだけれど、普段しっかりしている圭吾さんのこんな状況を見るのは、初めてだ。だから、死んじゃうんじゃないかと大げさにも思ってしまった。
「じゃあ、圭吾さん。私、会社に行ってくるから。」
寝込んでいる圭吾さんを一人ぼっちにして会社に行くのは本当に心苦しいけれど、行かなければならない。
「……。」
「お昼はお粥を用意してるから、絶対に食べてね。薬もちゃんと飲んでね。」
「……。」
「あとは、なるべく早く帰ってくるから。しっかり寝てね。水分、たくさん採って。あとは……。」
私が言い終わらないうちに、圭吾さんが私の腕をぎゅうっと掴んだ。
「……会社、休めば。」
熱のせいで潤んだ瞳で、甘えた声をだす圭吾さん。
「なに言ってるの。」
危うく心がグラつくとこだった。そんな表情で言うのは、反則ですよ、圭吾さん。
「俺がこんな状況なのに、ともみは会社に行けるんだ。」
苦しそうなくせに、そんな言葉だけは吐けるんだから。
「なるべく早く帰ってくるから。ダメでしょ?課長がそんなこと言ったら。」
「……。」
ぷうっとほっぺたを膨らませた圭吾さん。高熱で人格変わっちゃったのかしら?
「それに。圭吾さんも私が風邪のとき、ちゃんと会社に行ったでしょ?私もあの時の圭吾さんと同じ気持ちだから。だから、なるべく早く帰ってくる。」
「……絶対?」
「絶対。だから、おとなしく寝てて。」
私は圭吾さんに向かって、小指を差し出した。
「指きりげんまん。」
私の小指に、圭吾さんも小指を絡ませた。
「ん。嘘ついたら、おしおき。」
「はいはい。」
指をきると、圭吾さんの頭をポンポンと撫でた。
「じゃあ、行ってくるね。」
「気をつけてな。」
後ろ髪をひかれながらも私は出社準備を整え、病人の圭吾さんが居る家を出た。圭吾さん、大丈夫かな。心配だけど、圭吾さんは小さな子供ではないし、ずっとついてあげることはできない。
仕事中は、ずっとそわそわして仕方がなかった。お昼休みは、圭吾さんがちゃんとお粥を食べて、薬を飲んだかどうかが心配だった。
「そんなに心配なら、早退させてもらったらどうですか?」
「柚ちゃん、それはマズイっしょ。」
ペシッと柚ちゃんのオデコをはたいた美香。
「どうしてですかぁ~。」
額を両手で抑える柚ちゃん。結構いい音したもんね。
「ばかね。結婚前の男女は結構デリケートなのよ。ともみがそんなことをしたなら、会社中で何言われるかたまったもんじゃないわよ。」
「えー。でも私と同期のみんなも、大島先輩と宮本課長はお似合いだって言ってますよぉ。」
「それとこれとは、話が別なの。お互い社会人なんだから。」
二人の話はいつも、当事者の私を置いて進む。漫才を見ているみたいで、面白いからいいんだけどね。
「二人共、ありがとう。心配だけど、きっと大丈夫。」
私はニコッと笑った。心配だけどこれから一緒に生きていくって決めたんだから、これくらいで狼狽えちゃ駄目だよね。
「私、デスクに冷えピタ買い置きしてるの。よかったら持って帰って。」
美香の差し入れはありがたかった。
「ありがとう。」
午後からは、早く帰るために、仕事を急いで終わらせた。定時になった瞬間、私はフロアを駆け出した。
「ただいまぁ。」
そっと入った家の中は真っ暗だった。これでもいつもより30分は早く帰ってきたんだけど、圭吾さんはきっと心細かったよね?電気をつけながら、圭吾さんが居るであろう寝室へと真っ先に足を向ける。
「圭吾さん、調子はどう?」
寝室の電気をつけると、ベッドに大きな塊があるのが確認できた。私は静かに、その塊へと近づく。
「圭吾さん。」
布団をはぐって、圭吾さんを確認しようとした瞬間だった。
「?!」
突然、視界が真っ暗になった。
「……遅い。」
目の前には、温かい圭吾さんの体がある。そこで私は、布団の中に引き込まれたんだと理解する。
「これでも早く帰ってきたんだよ。」
「普通、早退して帰ってくるだろ?」
圭吾さんはいとも簡単に、社会人らしからぬ発言をした。
「早退はできないでしょ。これでも30分早く帰ってきたんだよ?」
「……。」
目が慣れてきて、ムスッとした表情の圭吾さんを確認でした。
「それに、みんな圭吾さんのことを心配してたよ。」
私は持っていた自分のバッグをゴソゴソとまさぐった。
「色んな人に差し入れもらっちゃったよ。」
美香からは冷えピタに始まり、色んな人から圭吾さんへの差し入れとして栄養ドリンクだったり、バランス栄養食だったり。
私はガザガサと音を立てながら、みんなからの差し入れを入れた袋を、布団から起き上がって圭吾さんに見せた。その袋を受け取った圭吾さんも、布団から起き上がる。
「……これ、誰。」
圭吾さんが袋から取り出したのは、インスタントのお粥。
「なんでお粥を会社に持ってきてるやつがいるんだ。」
私も初めはそう思った。
「それ、恵庭くんから。」
「恵庭から?」
本人は、たまたまデスクに持ってたからって言っていた。だけど、多分。
「恵庭くん。わざわざ買いに行ったみたい。」
恵庭くんからの差し入れは、お粥とスポーツドリンクと冷えピタだった。それはもう、たまたまデスクに持っていたんだとしたら、誰かが風邪をひいているのを待っていたとしか思えない用意周到さである。
だから多分、わざわざ買いに行ってくれたんだと思う。
「そうか。こんなにたくさん。」
「でしょ?だから圭吾さんはわがままを言ってる場合じゃないんだよ。」
みんなが、圭吾さんの心配をしてくれていたことに、私はとても嬉しくなった。それとともに、圭吾さんを本当に尊敬した。だってそれは、普段から圭吾さんが、みんなに対してよくしてるってことだもんね。
「だから、早く治そうね。」
私は圭吾さんのオデコに、冷えピタを貼ってあげた。
「もう治った。」
「え?」
「治ったから、ともみにはご褒美をあげなくちゃいけないなぁ。」
ニヤッと口端をあげた圭吾さん。なんだかとっても嫌な予感。
「だ、だめだって……!」
「なにが?」
「なにが、じゃなくて!」
圭吾さんはあっという間に私の体を組み敷く。チュッと熱い唇が、私の首筋を撫でる。その体温は、まだ熱がある証明だ。
「圭吾さん、熱い。」
「熱いから脱ごうか。」
もう圭吾さんの熱にほだされて、体中が熱くなる。キスを繰り返されるたび、私の体が熱を帯びる。そうなると、もう何も考えられなくなる。圭吾さんで一杯になって、クラクラしてくる。
クラクラ……。クラクラ……。
「ん?ともみ?」
「なんだか、すごく、クラクラする。」
「………。」
圭吾さんはしばらく何かを考えた後、ガバッと起きた。ぴったりと圭吾さんにくっついていた部分が、ひんやりと感じる。
「熱、測ってみろ。」
「え?」
「いいから。」
言われたとおりに、体温計で熱を測る。そして体温計が示した私の体温を見ると愕然とする。
「38度5分……?」
「ともみ、風邪ひいてるじゃん。」
「え?!」
言われてみれば、すごく体がだるいかもしれない。自分が風邪をひいていることを知り、さっきよりも体調が悪くなってくる。頭もガンガンと痛くなってくる。そういえば、関節もちょっと痛いかも。
「……。」
「……。」
なんか私達って、まぬけ?
「今日はおとなしく二人で寝ようか。」
「そうだね。」
次の日、一人だけ出社した圭吾さんは、たくさんの栄養ドリンクと冷えピタを抱えて帰ってきた。
「みんな、ともみも風邪をひくことを予想済みだったみたいだぞ。」
「……。」
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