第8章 大人になれない
次の日、だるい体に鞭を打ち、会社へと足を運んだ。昨日圭吾さんが帰った後、私は寒空の下3時間もぼーっとその場に突っ立っていた。それくらい衝撃がでかかった。せっかく体だけでも健康になろうと思ったのに、風邪気味だ。
「大島くん、ここ間違ってるよ。やり直し。」
体中がぼーっとしているせいか、ミスも連発してしまう。
「大島くん、どうしたんだ?体調でも悪い?」
普段の私からは考えられないミスに、部長が心配してくれた。
「すみません……。大丈夫です……。」
それでもミス連発は直らなかった。しかも、座ったり立ったりが多くなってしまったせいか、頭が段々くらくらしてきた。
「宮本課長、これ、確認お願いします……。」
「あ、あぁ。」
宮本課長に書類を提出に行ったときには、もうほとんど何も考えられなくなっていた。
あぁ、大好きな圭吾さんだ。そう考えたのを最後に、私の意識はストップした。
誰かにさわさわと頭を撫でられる。その感触をリアルに感じて目が覚めた。
「あ。起きたか?」
目の前には、元気の無い宮本課長の顔。
「けいご、さん。」
「気分はどうだ?」
「私……?」
「熱で倒れたんだよ。」
え……。
辺りを見渡すと、入社以来一度しか入ったことのなかった救護室だと分かった。
「まだ少し寝てていいぞ。」
ベッドで横になっている私の頭を、優しく撫でてくれる圭吾さん。
「ごめんな。」
圭吾さん、何に対して謝ってるの?
コンコン
そこで、救護室のドアをノックする音が聞こえた。
「失礼します。」
ドアを開けて入って来た人物は柚ちゃんで、私の体は、ビクッと震えた。
「大島先輩はどんなですか……?」
遠慮がちにこちらに近付いてくる。こんなに体調が悪いときに、柚ちゃんの顔なんて見たくなかった。
「悪いけど佐々木さん。」
私の黒い感情が胸の中で渦巻いたとき、圭吾さんが言葉を発した。
「今大島さんは、俺以外の誰とも会いたくないんだ。だから出て行ってくれないか?」
その言葉は、柚ちゃんを拒絶するものだった。
「え……。」
意外な圭吾さんの言葉に、柚ちゃんも戸惑う。
「大体今はまだ、就業時間だろう。自分のデスクに戻りなさい。」
そして更に、厳しく言った。
「はい……。」
柚ちゃんは反論できるはずもなく、救護室から出て行った。
「心配して来てくれたかもしれないのに……。」
圭吾さんの厳しい口調に思わず柚ちゃんが不憫に思えて、そんな事を思ってしまった。
「どうしてせっかくの2人きりのチャンスを、佐々木さんに邪魔されなきゃいけないんだ。」
だけど圭吾さんは、そんな事を言ってのける。
「さっき三枝さんから全部聞いた。それで、すごく怒られたよ。」
「美香が?」
全部って、全部?
「佐々木さんの気持ちには気付いていたのに、完全にフォローできてなくて、すまなかった。俺、なんのために30年間もお前より長く生きていたんだろうな。」
圭吾さんは自嘲した。
「え。圭吾さん、柚ちゃんと付き合ってるんじゃないんですか?」
「…何で信じないんだよって言っても、あんなの聞いたら、信じていたものも信じれなくなるよな。」
「あんなの?」
「佐々木さんが勝手に俺の携帯電話を使って、ともみに電話したこと。」
ズキン
あの時のことを思い出すと、胸が痛む。
「わ、分かってますから!一夜限りの関係だって!」
救護室で寝てだいぶ体力も回復したせいか、大きい声が出た。
「うん、分かってない。一夜限りも何も、関係すら持ってないから。」
「へっ?」
私の口からは、マヌケな音が出る。
だって聞いたよ?シャワーがどうとかって。しかも山口から帰って来た柚ちゃん本人からも!
「あの日、大雨が降ってさ。2人とも傘持ってなくて、びしょ濡れになったんだよ。びしょ濡れのまま佐々木さんをホテルに帰すわけにはいかないだろうって事になって、俺が泊まらせてもらっていた支社長の家でシャワーを借りたんだよ。」
「それって?」
「単純に俺が先にシャワー浴びたから、その後佐々木さんに譲っただけ。その場には支社長も支社長の奥さんも居たから。」
「……な!じゃあ、私の勘違いだったの?」
「まぁ、佐々木さんは意図的にともみが勘違いするようにやったんだろうから、ともみは悪くないよ。」
「で、でも。」
私、勘違いで圭吾さんのこと、避けてたの?
「三枝は、分かってたみたいだけどね。」
「美香が?」
なにを?私が分からなさそうな顔をしていると、圭吾さんはふっと口元を緩めた。
「三枝は、俺と佐々木が一夜すら共にしていないこと、分かってたみたいだ。佐々木が意図的に勝手に俺の携帯電話を扱ったことも。」
「なっ!」
美香、何も言ってなかったのに!
「それで怒られたよ。宮本課長がモテるのは自分ではどうにもできないことですけど、隙を与えてともみを傷付ける事、しないでくださいってね。」
「美香……。」
思わずうるっと涙ぐんでしまう。
「いい友達、持ったな。俺は怖いけど。」
ハハッと今度は楽しそうに圭吾さんは笑った。
「ごめんな。ともみの気持ちも分からずに、昨日はあんなに冷たい事を言って……。」
眉毛をハの字にした圭吾さん。今の今まで笑っていたのに、本当に悪かったって顔をしている。
「分かってくれたならいいです。私も、ごめんなさい。圭吾さんに確かめようとせずに怖がって、避けて。」
「そうだぞ。ともみ、携帯電話は箪笥に入れておくものじゃないからな!」
げ!!美香、そんなことまで圭吾さんに言っちゃったの?!
「別れの言葉なんて、吐いたりしないから。」
「うん。」
「はぁ。なんか俺もまだまだだな。」
「なにが?」
「何のためにともみより年上なんだよって思う。」
それ、さっきも言ってたよね?
「俺、ともみのこととなると、大人になれないみたいだ。」
「え?」
「ともみに何年も片思いして、純情かよって何度自分に突っ込みたくなったか。」
「え、何年もって?」
「ともみが入社し立ての頃から、ずっと見てたよ。」
耳まで真っ赤な圭吾さん!胸が10キュン!一緒に居るようになって気付いたけれど、照れ屋さんみたい。
「……はぁ。まだ時間はあるから、寝てろよ。俺の仕事終わらせたら、俺の家に帰るから。」
「はい。」
「んで、明日は会社を休むこと。そして俺の家でゆっくり寝ておくこと。これは決定事項だから。」
「はい。」
私は素直に頷いた。だってこんなに体調悪かったら、自分1人じゃとても心細い。
「じゃ。ちょっと業務に戻るから。」
「はい。」
圭吾さんは、自分の業務を止めて私のところに駆けつけて来てくれたんだろう。きっと残業になっちゃうだろうから、爆睡してよう。圭吾さんが救護室を出て行くとすぐに睡魔が襲って来て、ここ最近の眠れなかった分の睡眠時間を貪るように私は眠りについた。
次に目が覚めると、私は圭吾さんの家のベッドの中に居た。
え!私、どうやってここまで来たんだろう!
自分の着衣を確認すると、以前ここに泊まった時に置いておいた、自分のパジャマを着ていた。
も、もしかしなくても、圭吾さんが私を着替えさせたってことだよね?や、やだ!恥ずかしい!
寝室に圭吾さんは居なかったけれど、慌てて布団に潜り込んだ。
というか、今何時なんだろう。ベッドのサイドテーブルに置いてある時計をチラッと確認すると、時刻は朝の7時を指していた。
……ん?私の見間違い?
もう一度、時計を確認してみるけど、変わらない。驚いてガバッと飛び起きると、頭がクラクラした。まだ少し熱が下がっていないのかもしれない。閉められたカーテンの向こうには、明らかに日が差していた。
私、どれだけ寝ていたの?!
だるい体をベッドから下ろすと、寝室のドアを開けた。
「あれ。おはよう。」
寝室のドアの音に気付いたのか、圭吾さんはこちらに目線を向けた。
「おは、よう。」
少し気恥ずかしい。
「俺、仕事に行くから、ともみは大人しく寝てるんだぞ。」
昨日約束したことを、圭吾さんはもう一度繰り返す。
「はい。あ、あの。その。私、どうやってここまで?」
だって救護室からの記憶がない。
「あぁ。起こしても起きないから、タクシー呼んで俺が抱えて帰って来た。」
「お、重かったよね?」
いくら体格のいい圭吾さんでも、人1人抱えるのって大変だと思う。
「まぁでも、フロアで倒れて救護室まで抱えて運んだの俺だし。どうってことない。」
「え?!」
ここでまた新たな事実発覚!!
「そうだったの?!ごめんなさい!ありがとう!」
今考えたら、フロアで倒れるなんてなんたる失態。
「部長に連絡入れとけよ。かなり心配してたから。」
「うん。」
「さ。できた。おかゆは作っておいたから、食べろよ。んで、薬はそこに置いてあるから、おかゆ食べたら飲んでおきなさい。」
圭吾さんが指差したダイニングテーブルの上には、薬が置いてあった。しかもキッチンで何かしてると思ったら、おかゆ作ってくれてたんだね。
「はい。ありがとう。」
「じゃあ、俺はそろそろ出掛けるよ。」
キッチンから出てきた圭吾さんは、シャツの腕まくりを直して、ソファに掛けてあった上着を取って羽織った。
「行って来ます。」
「行ってらっしゃい。」
なんか、こんな風に見送るのって、いいなぁ。
シチュエーションに4キュン。圭吾さんと一緒に住めたら、こんなのが毎日続くんだぁ。予定もないのに、圭吾さんとの同棲を妄想しながら、またベッドへと潜り込む。
まだ先のことは分からないけど、いつか圭吾さんと同棲できる日が来たらいいな。そんな事を夢見ながら、私はもう一度眠りについた。
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