圭吾さんのつぶやき2

いつまでたっても、ともみは警戒心が薄い。


「圭吾さん。今度、友だちの結婚式があるんだけど、行ってきてもいいかな?」


秋も深まるある日、ともみからそんな話が飛び出した。


「友だち?」

「うん。高校時代の。」


ともみは、今日届いたらしい招待状をひらひらさせながら、ソファに座る俺の膝の上に俺と対面する形で座ってきた。彼女の身体は付き合い始めた頃よりもずっしり感じる。最近、食欲があるせいか、ともみは少しだけ太った。


本人は言わないが、ともみの体の変化にはすぐに気づいてしまう。柔らかいともみの太ももの温かさが、布越しに伝わってくる。


「女の子?」

「女の子に決まってるじゃない。陽太は二次会で招待されてるって言ってた。」


“陽太”こと、森口陽太はともみの元彼だ。俺たちが結婚する前にちょっとだけ茶々を入れられたが、彼は今、結婚前提に付き合っている女性がいる。


そしてうちの取引先で働いていることと、そんなに悪いやつでもないこともあって、俺とはごくたまに飲みに行くことのある仲だ。


「へえ……。森口以外にも男は来るのか?」

「うーん。陽太が呼ばれてるってことは、新婦側は、仲が良かったグループの男の子は来ると思う。新郎側は男の子ばかりなんじゃない?当たり前だけど。」


ともみは俺と結婚していて、ともみが俺を世界で一番愛してくれていることは分かっている。それに、ともみが浮気をするようなことはないと分かっているし、信じている。だけど一番問題なのは、ともみの警戒心の薄さなのだ。


「高校ってことは三枝さんや佐々木さんは一緒じゃないしなあ。」

「なに言ってるの、圭吾さん。そんなの当たり前じゃない。」


同僚で部下の三枝さんや佐々木さんが一緒であればフォローをお願いできるが、二人ともともみと高校の同級生ではないため頼むことができない。……しょうがない。ここは、森口に頼むしかないか。


「ねえ。結局行っていいの?」

「ん?ああ、行っておいで。友だちとの交流は大事だよ。」

「よかった。久しぶりにみんなに会うから、楽しみだったの。」


上目遣いで笑顔を向けてくるともみ。その顔は反則だからやめなさい。


「どんな洋服を着て行こうかな。今度一緒にお買い物に行ってくれる?」


なおもともみの上目遣い攻撃は止まらない。俺はその誘惑に耐えきれず、ともみの柔らかくて可愛い唇に自分の唇を押し当てる。


「?!」


突然のキスに、ともみは吃驚している。その反応すらも可愛い。


「今度の日曜日に一緒に買いに行こうか。」


俺は口端をあげながら、ともみの体をソファに組み敷いた。


「え、ちょ、圭吾さん。」


ともみは恥ずかしいのか、軽い抵抗をしてくる。


「うん?」

「どうしてこんな展開に?」


前髪が肌蹴て露わになったおでこに、優しくキスを落とす。


「ともみが誘うから。」

「誘ってないよ。」


「膝の上に座ってきたらOKのサインでしょ?」

「そんなお約束したっけ?」


ともみはクスクスと楽しそうに笑った。OKのサインというのは、強ち間違いじゃないらしい。


「ダメ?」


俺は彼女の耳元で甘く囁いた。


「……ダメ、じゃないけど……。ベッドがいいな。」


真っ赤になりながら答えるともみ。もう、その期待に応えないわけにはいかない。


「それではお姫様の仰せのままに。」


俺は軽々とともみのからだをお姫様抱っこすると、寝室へと向かった。落ちないように俺の首に腕を回すともみの仕草が、俺の男心を擽る。優しくベッドに下ろすと、頬を紅潮させたともみの顔がよく見える。


「明日、仕事なんだからね。」

「分かってる。ちゃんと加減するから。」


そう言いながら、いつも加減することができない。この胸いっぱいの愛を、伝えたくても伝えきれないから。


「愛してるよ。」

「私も。」


深いキスを落としながら、俺はともみの体を優しく抱いた。






「じゃあ、行ってきます。」

「ああ。気をつけてな。」


俺はともみを天神駅まで車で送った。同じように結婚式に参加する友だちと、天神駅の大画面前で待ち合わせしているらしい。帰りは二次会のお店に迎えに行くようにしている。そんなことはないと思うが、他所の男にともみを送らせるわけにはいかない。


昨日、二次会に参加するらしい森口に電話をしてともみの見張りを頼んだら、終始笑っていた。


「さ。今日は何をするかな。」


俺は車を自宅へと走らせる。とりあえず、買っておいてまだ読めていない本を読むことにしよう。


家に帰ると、ガランとした室内に少しだけ寂しさを覚える。ともみと一緒に暮らすようになってから、一人でいる時間が少なくなった。平日は会社に行けば色んな人と会うし、家に帰ってきてからもともみが居る。


一人暮らしをしている時は分からなかったけど、1人ってこんなに寂しいもんなんだな。


「昼飯と夜飯はどうしようかな。」


ここのところ、料理はともみにすべて任せていたから、一人暮らしの時になにを食べていたのかあまり思い出せない。


「まあ、なにかあるか。」


料理上手なともみは、冷蔵庫になにかしらストックしている。食べるものはあるはずだ。


「今日はうんと一人の時間を満喫しよう。」


手始めに、まだ読んでいない本を手にとる。芥川賞受賞作品で読んでみたいと思って買ったものの、読む時間がとれなかったのだ。


ソファに腰かけ、ページをめくる。カチカチと時計の音が鳴るだけで、静寂な時間が流れる。


「……。」


時間を確認するために、時計を一瞥する。11時半。ともみを天神に送ったのが11時だったから、ともみと離れてからまだ30分しか経っていない。


時間が過ぎるのが遅いなあなんて思いながら、もう一度本に目をやるけど、中々集中できない。機械的にページを捲るだけで、内容が頭に入ってこない。


……だめだ。集中できない。


「どうやって時間を潰そう。」


休日はいつも時間の流れが速く感じるのに、今日はやけに遅い。その理由は分かっている。ともみが居ないからだ。


「DVDでも見るか。」


俺は本棚に本を戻すと、DVDが並んでいる棚へと目を向けた。


「洋画でも観るか。」


ともみと同棲を始める前は、よく一人で観ていた。ラブストーリーも結構好きで、色々な種類を揃えている。


「なににしようか。」


久しぶりにスパイものを観るのもいいし、アクションものを観るのもいいな。う~んと唸りながら腕を組んで棚と睨めっこしていると、壁掛けの時計がお昼の音楽を奏でた。


「とりあえず、昼飯を食べるか。」


軽くため息をつくと、俺はキッチンでラーメンとチャーハンという簡単なものを作り、それを食べた。


それからずっと、ともみがいない休日は、時間が流れるのが遅かった。ふて寝をしてみたけれど、中々寝付けなくて、困るばかりだった。


「よし。そろそろ迎えに行くか。」


ともみが冷蔵庫に用意してくれていた夜飯を食べ終え、時刻を確認すると、もうすぐ20時だった。そろそろ二次会が終わる時間だ。


「二次会は確か、薬院だったな。」


ともみが置いて行ったメモを確認すると、うちから歩いても行けそうな距離だった。だけど、もし、酔っぱらったともみを連れて帰ってくるとなると、歩きは大変だからと車のキーを手にする。


店の前に行くと、まだ誰も出てきていない様子だったため、車を停めるために店の前を離れた。徒歩で店の方に向かうと、結婚式終わりのような若者たちがぞろぞろと店から出てきているところだった。


ああ、あれがともみの集団かな、と思い、少しだけ距離をとってともみを待つことにする。ともみの旦那だとバレて騒ぎになっても、今日の主役である新郎新婦に申し訳ない。


煙草をふかせながら様子を伺っていると、今日ずっと会いたくて仕方なかったその姿が目に飛び込んできた。


「ええええ。ともみちゃん、三次会行かないの?!」


なんと、悪い虫一匹がともみの傍についていた。こうならないように森口に頼んだはずだったんだが。俺は慌てて携帯灰皿に吸っていた煙草を入れた。


「す、すみません。二次会なので。」


悪い虫に腕を掴まれているともみは、なんとか素面に近い状態のようだった。それだけが唯一の救いだ。酔っぱらった可愛いともみなんて、誰にも見せられない。


「えええ。せっかく俺とここで出会えたのも、運命だと思わないの?いいでしょ?さっきはともみちゃんの同級生の森口とかいうやつに邪魔されちゃったし。なあ、ともみちゃあん。」


悪い虫は、結婚式用のドレスを身に纏ったともみの体に抱き付こうとしていた。必死に抵抗するともみ。視界の端に、慌ててそれを止めに入ろうとした森口が見えたが、俺の方が早かった。


「悪いが。俺の奥さんに触らないでくれる?」


俺は、悪い虫の腕をつかむと、ともみから引きはがした。


「け、圭吾さん。」


吃驚した表情をしているともみ。


「迎えに来るって言ってただろ。」

「え、あ。うん。」

「じゃあ、新郎新婦に挨拶して帰ろうか。」

「うん。」


嫌悪感で表情が強張っていたともみは俺の姿を見て安心したのか、顔を綻ばせた。ともみの腰に手をまわし、新郎新婦のところまで案内するよう促す。悪い虫はその場に呆然と立ち尽くしていた。


「こちらが、私の高校時代の友人で、新婦の静。で、こちらが新郎の正さん。」

「この度はご結婚おめでとうございます。」


新郎新婦どちらとも俺より年下だけど、丁重に挨拶をした。


「ありがとうございます。ともみには学生時代から本当にお世話になっていて。お二人の結婚式にも、出席させていただいていました。」


静と紹介されたともみの友人にどこか見覚えがあると思っていたら、俺たちの結婚式に来てくれていたのか。


「これから二人力を合わせて頑張っていく所存ですので、静がともみさんのお力をお借りすることもあるかと思いますが、どうぞよろしくお願いします。」


新郎は若いわりにしっかりしており、好感がもてた。これくらいの年齢の時の俺とは、大違いだ。


「では、今日はこれくらいで、私たちは失礼するね。またね、静。」

「ありがとう、ともみ。ご主人も、ありがとうございました。」


幸せそうな新郎新婦に見送られながら帰ろうとしたとき、さっきの悪い虫が俺たちの前に立ちはだかった。


「……なにか?」


自慢じゃないが、親にもらった180cm以上の図体は、悪い虫を見下ろすには十分だった。


「ともみちゃん。人妻なんか言わなかったじゃん。俺、騙されたよ。旦那さんも大変ですね、浮気っぽい人が奥さんで。」


残念ながら、ともみに悪い虫がついてしまうことを心配するが、ともみの浮気を心配したことは一度もない。ともみの表情を確認すると、大切な友だちの門出だから、自分のせいで台無しにならないように我慢していると言った感じだった。


「そうですか。それはお気の毒に。うちの奥さんは可愛すぎるので、知らないうちにあなたを誘惑してしまったわけですね。私の不行き届きですので、帰ってから体で教えようと思います。それでは、失礼します。行こう、ともみ。」

「え。あ、うん。」


ともみの背中を押して、俺たちはその場を後にした。悪い虫が俺たちを追ってくることはなかった。


「圭吾さん。なんでみんなの前であんなにエッチなこと言っちゃうの。」


車の中では、ともみが可愛く頬を膨らませた。


「え?どこがエッチだった?」


そんなともみが可愛すぎて、俺はとぼけた声を出した。


「だって“からだで”って……。」

「“からだで”って言っただけで、エッチなこととは一言も言ってないよ。」

「!」


ともみは真っ赤な顔をさせてこちらを見た。


「もう!圭吾さんは!屁理屈なんだから!」

「屁理屈?事実だよ。それよりともみの方がいけないなあ。他の男に絡まれるなんて。」

「あれは、その。陽太がずっと付いていてくれたんだけど、陽太とちょっと離れちゃった隙にって感じだったの。」


なんとなくそうだろうなとは思っていたけど。


「だから。たっぷり刻んでやるからな。」


信号待ちを確認すると、ドライブをパーキングに入れ、サイドブレーキをあげる。そして、ともみに熱い口づけを落とす。


「ふ、ん……。」


甘い吐息を漏らすともみの唇は、なんていやらしいのだろう。いとも簡単に俺にキスをされてしまうあたり、やっぱり警戒心が薄くて心配だ。


「続きは帰ってからな。」

「……もうっ!」


甘ったるい表情をしたともみを横に乗せたまま、俺は超特急で車を家へと走らせた。

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