第7章 始まり

また今年もめでたい正月がきて、合同会議の時期へとなる。合同会議といくと、様々なことがフラッシュバックする。……合同会議、トラウマになりそうだ。しかも今年は同じ室内にいる大島さんと田中を、間近で見ることになる。


ただ、ここ最近、大島さんの元気がないように思える。


「はぁ。」


特に合同会議が行われる今日なんて、彼女の盛大なため息が半端ない。どうしたんだ?


「今日の大島くんはいつになく元気がないね。」


それは部長も心配するほどだった。


「そうですね。俺が後でフォロー入れてみます。」

「頼むよ。」


大島さんが好きとか以前に、一人の部下としても心配だ。大島さんの元気は、午後になるにつれて段々となくなっていった。もしかして、合同会議が嫌なのか?


午後になると予定時刻通り、合同会議が開かれた。チラッと大島さんの様子を伺うと、そわそわして落ち着かない感じだ。


初めは、田中が大島さんの正面に座っているからかな、とも思ったけれど上手く付き合っている二人だ。こんな場所でそわそわなんてするわけがない、と思い直して、別の理由を考える。


だけど、理由なんて思いつくはずもなく、それを考えているうちに、合同会議が終了した。ゾロソロと、吐き出されるように会議室から人が出て行く中、俺はその声を聞き漏らさなかった。


「大島っ。」


田中に呼ばれた大島さんは、複雑そうな顔をしながら、立ち止まった。大島さんと仲の良い三枝さんが、気を利かせたように先に戻っていく。


俺は、居ても立っても居られず、携帯を扱う振りをして、二人からは見えない、でも話し声が聞こえる壁際に隠れて、聞き耳を立てた。


「……ごめん、な。」


なかなか口を開かなかった二人の沈黙を先に破ったのは、田中だった。


「え?」

「なんか、気に病んでるみたいだから。こんなこと、俺の方からわざわざ言うのもどうかと思うけど、もう気にしないで欲しい。」

「……ううん。私の方こそ、ごめんね。」

「うん。お互い、新しい恋愛、頑張ろうぜ。」

「うん。そうだね。」

「じゃ、また。同期のみんなで飲みにでも行こう。」

「うん。」


それだけで、田中は自分のフロアへと戻って行った。この話から察するに、田中と大島さんは別れたのか?本当に?俺の早とちりじゃなくて?


思わずニヤけてしまいそうな自分を、必死になって抑える。まて、落ち着け。でも別れてなかったら、あんな会話しないだろ。新しい恋愛って言っていたし。


大島さんの様子を伺っていたら、大島さんは給湯室へと入って行った。……もう、チャンスは逃さない。俺は大島さんの後を追って、給湯室へと入った。


「はぁぁ。」


すると、今日一番くらいの大島さんのため息が聞こえてきた。一瞬、不安がかすめる。大島さんはまだ、田中に未練があるってことか?


「今日はものすごい溜め息だな。」


俯いていた彼女は肩をビクッと震わせ、俺の存在に気づいた。


「み、宮本課長!」


大きな瞳が、まっすぐ俺を見据える。


「田中と何かあったのか?」


俺は早くその答えが知りたくて、フライング気味にその内容を口にした。途端に、分かりやすく慌て始めた大島さん。そりゃあそうだろう。社内でも噂になっていなかったのに、俺が知っているんだもんな。


「な、何でそれを?!」

「部下の事を知っておくのも、上司の務めだ。」


もっともらしい答えを口にして、彼女の答えを促す。内心、心臓がバクバクだ。


「……もう、関係ないですから。」


そうボソッと応えた大島さんの答えが間違っていないかと、念のため確認する。


「別れたってこと?」

「……はい。」

「ふーん。」


やばい、俺。顔が半端なくニヤけそう。


「じゃ、今日の夜。俺とご飯でもどう?」


今度はもう、誰かに大島さんがあんな表情をするなんて御免だ。先手必勝。


「それも上司の務めですか?」


大島さんは、俺が君をずっと好きなんだってこと、少しでも分かってないんだろうな。


「うーん。そうだなぁ。男としての務め、かな?」


そう。これは男としての務め。好きな人にアプローチもできないんじゃ、男として廃るからな。


「男としてって、それは……。」

「これ、俺のでしょ?もらっていくね。」


少しだけ俺を男として意識してくれたのか、大島さんの頬が紅潮した。そんな彼女の言葉を遮って、俺は用意されたコーヒーを手にとった。


「じゃ。今日の19時に駅前集合ね。残業すんじゃねぇぞ。」


俺は大島さんの返事も聞かず、給湯室を後にした。そして、廊下で立ち止まってコーヒーがこぼれないようにしっかりとカップを握ったまま、もう片方の手で顔を覆う。


あっぶねー。大島さん、可愛すぎるだろ。男に誘われた時って、あんな表情をするんだな。可愛すぎる。うん。顔の火照りをひかせてから顔を上げ、フロアへと戻りデスクに着く。


さぁ。今日の夜が楽しみだ。






「宮本課長。」


午後の仕事を再開させたとほぼ同時くらいに、さきほどプレゼンをしてくれた新人の佐々木さんが話かけてきた。


「どうした?」

「今日のプレゼンの打ち上げなんですけど……。」


あ。すっかり忘れていた。だけど、この打ち上げは俺が居なくても成立するだろう。


「ごめん、佐々木さん。俺、急用が入って行けそうにないんだよ。」

「えっ。」


佐々木さんは残念そうな顔をした。佐々木さんは、入社一年目の社員の中でも仕事ができる方で、ヘタすれば、二年目の社員よりもできるんじゃないかっていうくらいだ。可愛いから入社一年目組の中でも非常に人気らしい。


「そうですか……。残念です。きっと、ほかの子たちも残念がります。」


眉をハの字にした佐々木さんは、すごく魅力的な女の子なんだろうなって思う。


「申し訳ないね。あ。キャンセル料とか発生する?お金、払っておくよ。」


俺はそう言って、適当なお金を渡した。


「えっ。こんなに。」

「多すぎるなら、他の奴でも誘って。部長の営業の話とかたくさん聞くといいよ。」


部長はなんだかんだいって腕がある人だ。営業のノウハウはピカイチだと感じている。


「分かりました。ではまたの機会に。」

「あぁ。本当に今日は申し訳ないね。みんなで楽しんで。」

「はい。」


それから午後の仕事は、いつもより猛スピードで終わらせた。大島さんとの食事に遅れていくわけにはいかない。






終業時刻になると、あともう少しで仕事が終わるというところまでできていた。


「お疲れ様でした。」


フロアでは、そんな声が響いている。ふと大島さんの方を見ると、彼女は仕事を終えたようで、同僚に声をかけてフロアを出て行っていた。


よし。俺も後もう少し。彼女を待たせないためにも頑張ろう。


30の大人が、女の子と食事に行くくらいで、胸が踊り始めた。


待ち合わせ場所に向かうと、コンビニで立ち読みする大島さんを見つけた。


待たせてしまったかな?


そんな一抹の不安を覚えたが、彼女は雑誌に集中して、俺が隣に来たことにも気づかない。どれくらいで俺に気づくか試してみよう。そうやって10分くらい経つと、大島さんは急にパッと顔をあげて時計を確認した。


「ぷ。」


慌てる大島さんを見て、俺は思わず吹き出してしまった。なんて可愛すぎるんだろう。


「そんなに慌てなくても、隣に居るよ。」

「み、宮本課長!!」


顔を真っ赤にさせた彼女は、さらに可愛い。それから二人でコンビニの外に出ると、大島さんは俺の急用がどうとか言い出した。


「大島さんと急に食事に行くことになったから、断ったんだよ。」


俺にとっては飲み会に行くことよりも、大島さんと食事に行くことの方が大事だから。


「じゃあ、行こうか。」

「……はい。」


俺は大島さんを連れて、いつも行く同級生の焼鳥屋へと向かった。佐々木さんに飲み会を断った後、俺は同級生に電話して個室を予約しておいたのだ。


「大島さんは、お酒飲める?」

「はい。少しだけなら。」

「そう。じゃあ、最初は何飲む?カクテルもあるけど。」


俺は少し砕けて話そうと、大島さんにもお酒を勧めた。大島さんに砕けてもらおうという魂胆だけじゃなくて、酒の力を借りないとダメなくらい、俺自身が緊張していた。すると、ソフトドリンクのところばかり目で追う大島さんに気づいた。


「酔っ払っても大丈夫だぞ。今日は、無礼講。」


いつも飲み会の席では酔わない大島さん。お酒にはそこそこ強いんだろうと思っていた。


「田中くんには、ひどいことしちゃったなって、思うんですぅ。」


だけどそれは俺の間違いだった。美味しいと言いながら食べてくれた焼鳥や、お酒はすごく嬉しかったのだが、大島さんはすぐに酔っ払い始めた。


その様子で、大島さんが普段の飲み会の席では全くお酒を飲んでいないことを知った。それはそうと、酔って田中の話ってどうなんだよ。


「ひどいことって、どんな?」


だけど貴重な話に、俺は続きを促す。


「私、高校2年の時に付き合い始めた彼が、初めての彼氏でした。」


田中の話をするのかと思ったら、いきなり高校時代にまで遡った。


やばい。この酔っ払い、ちょっと面白いかも。


「私、高校2年の時に付き合い始めた彼が、初めての彼氏でした。」

「うん。」

「その彼とは、去年までの6年間付き合っていたんですぅ。」

「うん。」

「だから、トーゼン、私の初体験もその人でぇ。その人以外、知らなかったんですぅ。」

「うん。」

「もぉ、すうっごい大好きだったんですぅ。……でも、お互いの気持ちが離れちゃって、別れることになりました。」

「うん。」

「その後にぃ付き合い始めたのが、田中くんだったんですぅ。」


去年までってことは、あのコンビニでの彼がそうだったのか。あの彼とそんなに長く付き合っていたなんてと、俺は少し驚かされた。


「それでぇ、やっぱ恋人同士だからぁ、そういう甘い感じになっちゃうじゃないですかぁ。」

「うん。」


ちょっと待て。これからもしかして、下の話?もしかして大島さんって、酔うと下ネタを話しちゃうタイプか?


「でも私ぃ。高校から付き合ってた彼に未練はなかったんですけどぉ。」

「うん。」

「比べちゃってたんですよ、夜のベッドでの方とかぁ。」


そこで彼女は少し、伏し目がちになって寂しそうな顔をした。


「うん。」


俺は真剣に、大島さんの話を聞く。


「うん。」

「だから、田中くんとのことに集中できなくてぇ。」

「あぁ。相手が集中してないと、分かるもんな。」

「やっぱ分かるんですか?それで、何でいつも集中してないのって聞かれたから、正直に言っちゃって。」


それから彼女は一瞬、口を閉ざした。きっと別れの原因がそこにあったのだろう。


「それから気まずくなって、別れたってとこか。」

「そうなんですぅ。」


俺はほんの少しだけ、田中に怒りがこみ上げてきた。俺がどうしても欲しかった大島さんの表情を、田中は独り占めしていたくせに、どうしてもっと彼女の気持ちを汲んであげなかったんだと。


「でもそれは、田中が悪いな。」


だから俺は、キッパリと言い切った。本当に好きなら、比べる暇もないくらい、愛してやれよ。


「え?」

「だってそうだろ。田中に大島さんを夢中にさせる技量があれば、問題なかったわけだ。」

「ち、違いますよぉ。私の恋愛経験と思慮が浅かっただけですぅ。」


なのに大島さんは、自分が悪かったんだと責める。もう、我慢ならない。


「ふぅん。じゃあ、大島さんが恋愛経験浅いだけか、俺で試してみる?」


大島さんは少し戸惑って、首を傾げた。その仕草、かなりやばいから。俺は大島さんの左の頬に触れて、囁くように言った。


「前の男と比べる気分にならないくらい、愛してやるよ。」


その瞬間。


俺は自分でも信じられなかった。感動して、涙が出ると思った。

真っ赤に染まった頬。俺をみつめて離さない瞳。何か言いたげな唇。


……やっと、やっと。大島さんはあの表情を、俺に向けてくれた。






酔った大島さんを連れて、俺は自分の家に帰った。大島さんは、俺に抱きついて離れない。少し俺も酔っているのか、気分が昂る。


「宮本課長~。」


ふにゃふにゃのその声も、全部が愛おしくて堪らない。ベッドに彼女を寝かせると、俺の理性は一気に飛んだ。


「んっ。」


優しく、でも激しく。俺は自分の感情を伝えるように、彼女にくちづけた。俺たちの初めてのキスは、酒の味。


「ん、ふっ。」


俺の愛撫に答えてくれる彼女。なんて可愛いんだろう。今までこんな感情になったことがあっただろうか。


「宮本課長……。」


意識がはっきりしているのか、していないのか。


「……好きになっても、いいですか?」


彼女はそんな可愛いことを言ってくる。これが無意識だとしたら、犯罪だ。


「たくさん愛して。」


俺は彼女の耳元で、そう囁いた。好きになってもいいなんてもんじゃないよ。離してなんか、やらないから。俺は全身で彼女を愛し、自分の思いを体で伝えた。一生懸命に、それに答えてくれる大島さん。


うん、違う。違うな。栗原さんの言ったとおり。本当に好きな人と抱き合えるって、こんなに違う。大島ともみという女性だけで、俺の心も体も満たされる。それに感動すら覚える。


俺の背中をしっかりと抱きとめて、俺に答えてくれる彼女。やっと彼女を手に入れた。






翌日の朝。寝顔の大島さんも可愛くて、つい見とれてしまう。すると、パチッと勢いよく彼女は目を覚ました。俺は慌てて寝たふりをして、薄目で彼女の様子を伺った。青い顔して慌てる彼女。きっと何があったか一生懸命思い出しているのだろう。


それから、青い顔をしていたかと思うと。すぐに彼女の顔は真っ赤になった。


「ぷ。百面相だな。青くなったかと思ったら、赤くなった。」


その仕草が可愛くて、俺はついに彼女に話しかける。


「み、見てたんですか!!」

「可愛いなと思って。」


さらに顔を赤くさせる彼女。慌てる彼女が可愛すぎて、少し苛めたくなった。


「んなっ。」

「俺とのセックス、どうだった?思い出したりした?元彼とのセックス。」


俺の言葉で、昨晩のことを思い出したのだろう。頭から湯気が出そうなほど、大島さん……。いや、違うな。ともみの顔は赤くなった。


「ぷ。ともみは、変態だな。俺とのセックスすら思い出せないって言うんなら、もう1回してあげるよ。」

「……っ!!」


俺はともみが可愛くて仕方がないんだ。


「ちょ、ちょ!待ってください!思い出せました!!思い出しましたから!!」


慌てるともみをよそに、俺は彼女の体を組み敷いた。酔ったともみも可愛かったけど、シラフで抱くのが一番だな。


「だから?そんなの関係なく、愛してやるよ。」


慌てまくっているともみだけど。もう、俺から逃げられないよ?


「ふうっ。」


深いキスを落として、ともみの体に手を這わせると、とんでもない色っぽい声が出る。


堪んないな。ともみの俺を好きだっていう表情が、こんなに堪んないとは思わなかった。


欲しくて欲しくて。その表情を俺に向けて欲しくて。それがやっと叶ったんだ。だから。


「ともみは、俺だけに感じてればいいんだよ。」


これからはもう。君を離さない。離せない。






世界で一つの宝物~3番目のあなたepisode0~【完結】


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