第6章 分からない

「遅いなぁ……。」


時計を見ると、もう夜の1時。たまにある接待みたいなのに行ったとしても、こんなに遅く帰ってくることは無かった。そもそも明日は仕事だしね。心配でさっきから圭吾さんの携帯に電話を掛けているけど、繋がらない。


なにか、あったのかな?部屋の中をうろうろしながら、更に待つ事30分。


ガチャンがチャン


玄関で激しい物音がした。きっと圭吾さんが帰ってきたんだと思って、私は慌てて玄関へと向かった。


「圭吾さん?」


そこには、玄関に入ったはいいものの、へべれけに酔っ払った圭吾さんがいた。あの圭吾さんが、靴も脱がずに廊下へと倒れこんでいる。


「ともみ~。ただいま~。」

「ど、どうしたの?こんなに酔っ払って。」


こんなに酔っ払った圭吾さんを、初めて見た。圭吾さんは、お酒には弱くはないけれど、強くも無い。だから、自分できちんとセーブして飲むタイプなのに、どうしてこんなに酔ってるの?私は慌てて、圭吾さんへと駆け寄った。


「ふう。」


お酒臭い体で、私に抱きついてくる圭吾さん。自分でも体重を支えきれてないから、完全に私に圭吾さんの体重が乗っかってくる。


お、重い!180cmもあるこの図体を、どう支えろというの?!


「ちょ、圭吾さん!とにかくソファまで頑張って!」


圭吾さんの靴を脱がせて肩を支えながら、必死に歩かせる。


「まじ、きっつ。」


相当きついらしく、フラフラの圭吾さん。一体どこでどんな、飲み方をしたらこうなるの?


なんとかソファに座らせて、お水をあげる。そしたらゴクゴクとお水は、あっと間に圭吾さんの喉へと吸い込まれていった。


「お水、まだいる?」

「あぁ、もう大丈夫。」


30分くらいもしたら、圭吾さんの顔色も段々と戻ってきた。私もやっと安心して圭吾さんの隣に腰を下ろす。


「あー。もう、俺も若くないな。こんな飲んだの久々。途中で駅のトイレで吐いてきたし。」

「うっそぉ。今は?吐きそう?」

「いや。もう大丈夫。」


一体どこの取引先なの?!圭吾さんをこんなにデロンデロンにさせて!!


「どこの取引先だったの?」


 私は鼻息荒く圭吾さんに問いかける。私の大事な圭吾さんをこんなになるまで飲ませてその挙句に遅くまで拘束するなんて許せません!


「あー、うん。新しく取引するかもしれないところだから、まだ言えない。」

「そうなんだ。じゃあ言えるようになったら教えてね。ともみブラックリストに載せておくから。」


課長クラスになると部下に言えないことも多々あるから、そこはあまり気にしない。


「ははっ。ともみブラックリストに載らないように頑張らないとな。ともみは?今日、なに食べたの?」

「私?私は恵庭くんとイタリアンに行って来たよ。」


私が“恵庭くん”っていうワードを出した途端、圭吾さんの顔色が変わった。


「は……?恵庭と2人でか?」

「うん。なんか、相談受けててね。」


後輩だし、相談受けただけだし、何もやましいことは無い。だから、圭吾さんが誤解しないように説明しようとした時だった。


「……は。なんだそれ。」


圭吾さんは吐き捨てるようにそう言った。そんな圭吾さんの態度に、私は思わずカチンときた。恵庭くんは、圭吾さんにとっても大切な後輩でしょう?


「“なんだそれ”って何?」

「いや、そのまんまの意味。なんで恵庭?」

「だから、相談受けたって言ったじゃん。」

「だから、何でともみが恵庭の相談に乗るわけ?」

「それは恵庭くんが後輩だからでしょ?」

「お前、ちゃんと分かってんの?」

「なにを?」


分かるってなにを?恵庭くんと食事に行ったことが、そんなに悪いことなの?でもこれって普通じゃないの?


「はー。……もう、いいよ。」

「もういいって何が?!」


私は何も分からないのに、もういいと投げやりになる圭吾さんの態度に、思わず強めの声が出てしまった。


「ともみが分かんないなら、もういい。」

「なにを?」

「だからもういいって、言ってんだろ!」


ビクッと両肩が震えた。


「……意味分かんない。分かろうとしてんのに。」

「……ごめん、つい。」

「ついってなに?もう圭吾さんなんて知らない!」


私は寝室に入って、バタンと強めにドアを閉めた。寝室の扉の向こうでは、圭吾さんが盛大についた溜め息が聞こえてきた。


私には、圭吾さんがあんな態度をする意味が分からない。だって恵庭くんはただの後輩じゃん。それは誰からの目でも明らかなのに、どうしてあんなに怒るのか分からない。


その夜、私は寝室で圭吾さんはリビングで、別々に寝た。同棲し始めてから、初めてのことだった。






次の日、朝ご飯を作ろうとリビングに行くと、<先に会社に行きます。>というメモだけがテーブルに置いてあった。私は目を丸くして、さらにカチンときた。


私の朝ご飯食べないなんて、なにごと!!美味しく朝ご飯を食べてくれたら、謝ろうと思っていたのに!!


圭吾さんのその態度に、私は収まっていた怒りが湧き出した。


後輩の男の子と食事に行ったくらいでなんなの!自分だって柚ちゃんと2人で出張に行ったことあるじゃない!






それからの圭吾さんと私は、険悪な関係が続いた。朝ご飯は一緒に食べないし、夜ご飯も一緒に食べても会話はない。ただお互いにひたすら黙々と食べるだけだ。


こんなんじゃ、ご飯も美味しくないよ!


「ともみと宮本課長、喧嘩してるでしょ。」


今日から9月という日の金曜日のランチで、美香にそう言われた。


「えっ。」

「やっぱりですか?」


柚ちゃんにもバレてたみたいだった。こうなると、私はもう白状モードに入るしかない。


「で?原因は?」


久しぶりに美香がランチは外に行こうって言っていたのは、このためだったんだ。


「原因、ね。私にもよく分からないんだけど……。」


3日前、恵庭くんと食事に行ったことが原因で喧嘩になってしまったことを話した。


「なにそれ……。」

「大島先輩、まじですか……。」


2人とも、唖然としていた。


「ね?よく分からないでしょ?」


だから私は、2人に同意を求めてたのだけれど、2人は顔を見合わせてさらに唖然とした。


「いや、あんたが悪い。」


そして、美香にビシッと言われてしまった。なんで?どうして私が悪いの?


「黙ってるように言われたんだけどさぁ。」

「え。言っちゃうんですか?」

「だってしょうがないでしょ。ともみがこの調子なんだもん。宮本課長がかわいそうでしょ。」


なに?2人は何かを知ってるの?


「私達も協力してたからさ、知ってるんだけどさ――……。」






「さぁ!ぱぁーっと行こうか!」


圭吾さんがチーム長をしている山口のプロジェクトが一段落ついたということで、第一営業部のみんなでお祝いも兼ねて、飲み会をすることになった。大きな飲み屋さんの座敷を貸切状態だ。金曜日の夜ということもあってか、他の団体さんたちも飲み会をしているため、店内は激しくうるさい。


「じゃあ、チーム長の宮本くんから乾杯の音頭を!」

「え?僕ですか?えー……この度は皆さんの様々なご尽力のお陰で、無事に山口プロジェクトを進めることができました。本当にありがとうございました。それでは今夜はその慰労ということで、皆で乾杯をしたいと思います。では乾杯!」

「「「「かんぱーいい!!!」」」」


圭吾さんの合図に、みんなカチンとグラスを重ねる。


部長の無茶振りにも、スマートにこなす圭吾さん。やっぱり、かっこよすぎるよ……。6キュンです!喧嘩してても圭吾さんに対する想いは、変わらない。


今日の私はウーロン茶だ。昼間に美香と柚ちゃんの話を聞いて、飲む気にはなれない。


「大島先輩、そんなに気を落とさないでください!」

「そうよ。帰ってから、謝ればいいだけの話でしょ?」


テーブルの端っこに座る私の右隣には柚ちゃん、正面には美香が座っている。


「んー。でも、圭吾さんは何であそこまで怒ったんだろう……。」


美香の話はこうだった。あの日、圭吾さんが何故デロンデロンに酔っ払って、あんなに遅い時間に帰って来たのか。


それは、私の実家に行っていたから、だったそうだ。車で一時間半の私の実家に、仕事が終わった後、わざわざ電車で行って、結婚の許しを乞いに行ったらしい。


どこまでも誠実な圭吾さんのことだから、真っ先に行ったのだろう。それで、うちのお父さんとお母さんのことだ。お酒をたっぷり圭吾さんに飲ませたのだろう。きっと圭吾さんとはいえ緊張もしただろう。


私のために行ってくれたのに、私が暢気に恵庭くんと食事に行ったら、圭吾さんが怒る気持ちも分からないではない。それであの日の圭吾さんの行動は分かったのだけど。


だけど、美香が言うには、圭吾さんが怒ったのはそれだけでは無くて、“恵庭くん”というところが、重要みたいなのだ。私は恵庭くんの相談に乗っただけなのに。しかも恵庭くんというヒントは出してくれたけど、後は自分で考えろと言われた。


ん~~~!!!すっごいモヤモヤする!!!


「だけど、大島先輩ってこんなに鈍感なんですね。」

「私実は、ともみよりも宮本課長の方が苦労するって思ってんのよ。」

「確かに。」


私が真剣に悩む隣で、美香と柚ちゃんがそんな話をする。鈍感って!ひどい言い草だな!


「大島先達、三枝先輩、佐々木先輩、飲んでます?」


そんな話をしていると、ちょうど私たちの会話のキーパーソンである恵庭くんが私達の近くにやってきた。美香と柚ちゃんは、しらーっとした態度をとる。


もう!頭が痛いなぁ。恵庭くんが何したって言うのよ!


「あれ?お三方、ウーロン茶じゃないですか!」

「まぁ、こういう時に女子社員はあんまりお酒を入れないのが常識なのよ。」

「お酒はお肌の大敵ですしね。」


美香と柚ちゃんがめちゃくちゃなことを言う。2人とも、あとから飲むつもりのくせに。


「私、お手洗い……。」


なんか料理も喉を通らないし、悩みの種となっている恵庭くんと、ちょっと離れたかった。


「よし!」


トイレで気分転換をすると、少し気合が入った。


いつまでも暗い顔してちゃ、楽しい空気も壊しかねないよね!美香と柚ちゃんにも申し訳ないし。


両頬をパンパンと軽く叩く。圭吾さんと初めての喧嘩で、こんなに心にダメージがくるなんて、自分でも吃驚だ。


勢いよくトイレのドアを開けると、驚愕した。


「っえ、け、宮本課長?!」


腕組をした圭吾さんが立っていた。眉間にしわを寄せている。でも、怒っているという空気でもない。


「恵庭と楽しそうだな。」

「……え?」


恵庭くん?恵庭くんとは、少ししか喋ってないのに。困惑していると、いきなり腕を引っ張られた。


「んうっ。」


気づいたときには、圭吾さんの唇で、唇を塞がれていた。


ま、待って!誰かに見られたら、どうするの?!


そんな思いを込めて圭吾さんの胸をタップするけど、聞き入れてもらえない。それどころか、さらに深いキスを落とされる。ガクンと私の腰が抜けたところで、ようやく唇を離してもらえた。


「俺だけに感じてればいいって、言わなかった?」


圭吾さんは、私の体を支えながら、耳元でそんな風に囁いた。


……なによ。どういう意味なのよ。恵庭くんと私が、何かあるって思ってるの?


「ごめん、ともみ。俺、前にも言ったけど。ともみのことになると、大人になれないから。」

「圭吾さん……。」


どうしてそんなに苦しい表情をするの?私の愛しているのは、圭吾さんだけなのに。


「この間も、ともみが悪いわけじゃないのに、ごめんな。」


泣きそうな表情の圭吾さん。そしてぽんぽんと私の頭を撫でると、男子トイレに入って行った。


圭吾さんは謝ってくれたけど、しっくりこなかった。だって圭吾さんにあんな表情をさせてしまったのは、私だから。


どうして?どうして圭吾さんはあんな表情をするの?圭吾さんの気持ちが分からない自分に、嫌気がさす。


こんなんで、本当に大丈夫なんだろうか。圭吾さんを分かってあげれない私で。結婚なんてできるんだろうか。


「あれ。ともみちゃん、戻らないの?」


その場に立ち尽くしていると、谷口先輩がやって来た。


「谷口先輩……。」


 私がなんとも言えない表情をしていると、谷口先輩は眉毛をハの字にしてにっこりと笑った。


「…ともみちゃん、ちょっと2人だけで飲んじゃおうか。」


そんな谷口先輩のお誘いに乗り、お座敷とは離れたカウンターで2人分のお酒を頼んだ。


カラン


私の手の中にあるグラスの氷が、寂しそうに響く。


「宮本課長と、喧嘩でもしたの?」


谷口先輩のその言葉に、私はお酒を吹き出すかと思った。


「え、えぇ?!な?!」

「なに今更驚いてるの?みんな知ってるわよ。」

「みんなってなんですか?!」

「みんなってみんなよ。随分前だけど、宮本課長がともみちゃんをお姫様抱っこして医務室に運んだことあったじゃない?」

「は、はぁ…。」


そういえばそんなこともあったなぁ。


「あの時の宮本課長を見た人なら、誰でも気付いてるわよ。それくらい、必死な宮本課長を見たの、みんな初めてだったし。」


そ、そうだったんだ……。それなのにみんな私に詮索してくるようなこともなかった。私は本当にいい人達に囲まれて、仕事をしているんだと再確認させられた。


「でもねぇ。恵庭くんは、知らないからね。まだ今年度に入る前だったから。」

「どうしてそこで、恵庭くんなんですか?」


やっぱり谷口先輩が口に出すのも、恵庭くんだった。


「そうかなぁとは思ってたけど。やっぱりともみちゃん、気付いてないのね。恵庭くんって、ともみちゃんのこと好きなのよ。先輩として、とかじゃなくて。」


「えっ。」


一瞬、私の喉の奥がひゅっと冷えた。


「だ、だって恵庭くん、好きな人居るって言ってましたよ?」

「これも部の誰もが気付いてることだけど。その恵庭くんの言っている好きな人って、ともみちゃんのことよ。」


はぁ、と谷口先輩が溜め息を漏らした。


「宮本課長も大変ね。」


なんか、美香と柚ちゃんにも似たようなこと言われたな。


「え。待ってください。部の誰もが気付いてるってことは、宮本課長も……。」

「そりゃ気付いてるでしょ。」


谷口先輩の言葉を聞いて、私はハッとさせられた。そして、圭吾さんの気持ちを考えた。


私、なんて無神経だったんだろう……。鈍感だから許されることじゃない。みんなが気付いていたくらいだから、気付こうと思えば気付けたってことだ。


鈍感のままじゃ、これから先、圭吾さんを傷付けてばかりになってしまう。だって私は、圭吾さんが私のために、私の実家にまで行ってくれていたその日に、気付かなかったからといって、私を好きな男の子と食事に行っていたんだから。


圭吾さんは怒ったんじゃない。傷ついたんだ。私の無神経な行動に。だからあんなに泣きそうな顔をしていたんだ。


「……私、自分の鈍感さが憎いです。」


私がちゃんと恵庭くんの気持ちに気付いていれば、圭吾さんのことだって思いやれたはずなんだ。


「そうね。その鈍感さは時に人を傷付けることもあるものね。」


恵庭くんだって、きっと期待してる。だって私は、どんな形であれ恵庭くんと食事に行ったのだから。


「だけど、これからをどうしていくかじゃ、ないのかな。」

「これから、ですか?」

「私もね。結婚してまだまだだけど。もう、色んなことがあったわ。」


完璧に見える谷口先輩。だけど、人には分からない苦労もきっとたくさんあるよね。


「ともみちゃん。完璧な人間なんて、どこにもいないのよ。だから、ぶつかりあって、そうやって2人の形を築いていくの。他人同士だからね。全部を分かり合えるなんてないわよ。だからと言って、歩み寄らなくていいわけじゃない。」

「歩み寄る……。」


私にできるだろうか……。ううん。違うね。できるかできないかじゃなくて、愛する圭吾さんと一緒にやらなきゃね。


「谷口先輩、ありがとうございました。」

「ふふっ。なんだか、スッキリしたみたいね。」

「はいっ。」


私はいつも、助けられる。それはもう、色んな人に。だから、鈍感のままでいちゃいけない。


成長するんだ。愛する圭吾さんと一緒に。まずは世界で一番愛している圭吾さんを笑顔にしなくちゃね。


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