第7章 この世界で

谷口先輩と一緒にお座敷へと戻ると、各々、好き勝手に飲んだり食べたりしていた。宴も佳境といったところだ。


「ここで、9月がお誕生日のみなさんにお祝いがありまーす!」


この会の幹事である男の先輩が、サプライズを用意していたらしく、そんなアナウンスがあった。


そういえば私、明日が誕生日だ。そこで、恵庭くんの相談のことが思い出された。なんて鈍感な私。少しくらい気付けよ。


「9月生まれの人、出てきてー!」


その呼びかけに、私は大きなケーキが用意されているところへと、向かう。圭吾さんにプロポーズしてから、舞い上がっちゃって、自分の誕生日のことなんて、すっかり忘れていた。


9月生まれで出てきたのは、私の他に3人の男の先輩だった。


「Happy birthday to you!」


みんなの歌の合図で、私達は4人でケーキを吹き消す。チラッと座っている圭吾さんを見やると、微笑ましそうに、こちらを見ていた。


「じゃあ、今月お誕生日を迎える方々。一言ずつお願いします。」


みんなに拍手喝采を受けたあと、一言発言を求められた。一人が話をするたびに、どっと笑いが起こったりブーイングが起こったりしている。


「じゃあ最後に、大島さん。お願いします。」


よし!私の番だ。なんだか、心臓がバクバクして、手に汗握っている。この場にいる全員が、私に注目している。圭吾さんと目を合わせると、ニコッと笑顔を送った。そして、ふう、と一息つく。


「みなさんにこの場をお借りして、ご報告をさせて頂きます。期日はまだ決まっておりませんが、私、大島ともみは、結婚することになりました。」


少し騒がしかった会場が、私の言葉によって、一瞬にして静まった。


だ、誰か何か言って欲しい!


その空気を払拭するかのように、圭吾さんがスッと私の隣に立った。


「また、詳しく決まれば皆さんにご報告させて頂きますが、とりあえずそういうことなので。頭の片隅にでも入れておいてください。」


圭吾さんがそう言った瞬間、ドッと拍手が起きた。


「よかったねぇ!」

「おめでとうございます!」


ひゅーだか、ピューだか、どこからともなくそんな口笛の音も聞こえてくる。


「2人は結婚すると思っていたよ。」


部長にもそんな温かいお言葉を頂いた。


本当は、部長とかに話を通してから、全体にお知らせしなきゃいけないんだけど、もう、言っちゃおうって思った。私はもう、心に決めた人が居るんだと宣言しておきたかった。


その後はもう、どんちゃん騒ぎで、私も圭吾さんもみんなから囲まれた。まるで、芸能人の結婚記者会見のようだ。


「おめでとう、ともみ。」


美香もお祝いの言葉をくれた。


「大島先輩ぃぃ。おめでとうございますぅぅぅ。」


柚ちゃんは、泣きながら抱きついてくれた。


まだ結婚したわけじゃないんだけどね。


チラッと恵庭くんを見ると、同期の子たちに励まされていた。ごめんね、恵庭くん。鈍感だから、鈍感なりに。せめてこの仕事場の雰囲気を壊さないように、恵庭くんに告白させちゃダメだって思った。






「随分と大胆なことしてくれたよな。」


家に帰ると、圭吾さんから窘められた。だけど、そんな言葉を吐く割に嬉しそうな顔をしてらっしゃる。


「ごめんなさい。」

「後から、俺が大変なんだぞ?色々と根回しとかあるんだから。」

「分かってるよ。私も一緒に謝るから。……だから、あの日もごめんね?鈍感すぎたね、私。」

「……なにか気付いたの?」

「……行ってくれてたんでしょ?私の実家に。」

「……三枝さんと佐々木さんか。」


はぁ、と溜め息を零して、ネクタイを外しながらソファに座る圭吾さん。


「黙ってろって言ったのにな。」

「見てられなかったんだよ。私を。友達思いの2人でしょ?」

「そうだな。でも、あの日は俺もごめん。怒鳴ったりして。」


圭吾さんの表情は、もう泣きそうなんかじゃなかった。


「私こそ。無神経だったね。圭吾さんにも……恵庭くんにも。」

「ともみが恵庭の気持ちに気付いてないことは、分ってたんだけどさ。だけど、納得できなくてさ。」

「うん。」


私は、圭吾さんの隣にちょこんと座った。


「俺、やっぱりともみのことになると、大人になれない。」


もう何回も聞いた圭吾さんのその言葉。


「今回は私が悪かったんだよ。人の気持ちに鈍感ってことは、人の痛みにも気付かないってことだから。だけどこれから先は、自分のためにも、圭吾さんのためにも。人の気持ちに敏感な私になっていきたい。」


誰の目にも明らかだった恵庭くんの気持ち。その気持ちに気付いて、それ相応の大人の態度をしなければならなかったのは、私だ。だって私には、圭吾さんが居て、恵庭くんの気持ちには応えられないのだから。


「ともみ……。」

「でも、それには時間が掛かっちゃうかもしれない。」


人はすぐには成長できない。だけど、少しずつ。一歩ずつ着実に。昨日の私よりも、今日の私が大きく成長できてればいいって思う。


「だからこれだけは信じていて欲しいの。」

「ん?」


きっと、成長してもしなくても、これだけは変わらない私の気持ち。


「私が愛してるのは、圭吾さん1人だけだよ。」

「……ああ。」

「だからね。私がまた鈍感になっちゃった時は、思い出して欲しいの。私も信じてるから。圭吾さんの愛を。」

「ともみ……。」


そして圭吾さんは、ぎゅうっと抱きしめてくれた。やっぱり私は、圭吾さんのこの温もりでなくちゃね。これからの私は、圭吾さんの隣で大きな自分へと成長していく。圭吾さんの隣だから、成長していける。


「ともみ、時計見て。」

「え?」


言われるままに、リビングの壁にかけてある時計を見ると。


「23時58分?」

「うん。あと2分で、ともみの25歳の誕生日。」

「あっ。」


それに気付くと、圭吾さんがカウントダウンを始めた。


「10,9,8,7,6、…。」


5秒前になった時だった。私はぐいっと圭吾さんに腕を引っ張られてバランスを崩しそうになる。だけど、それはすぐに圭吾さんの大きな腕によって支えられて、顎をクイッと持ち上げられる。そして。


「んんっ。」


9月2日になった瞬間、私は、圭吾さんに深いキスをプレゼントされていた。


「ふん…んっ。」


圭吾さんの舌と絡まりあって、もう何も考えられないくらいの濃厚なキスだ。そして、チュッとリップ音を立てて、私の唇から離れた圭吾さん。


「ともみ、誕生日おめでとう。」

「あ、ありがとう。」


圭吾さんの極上の笑みに、顔が熱くなる。慌てて両手で頬っぺたを押さえると、なんだか違和感がある。その違和感の元へと目を向けてみると、私は目を大きく見開いた。


「!!!」

「気付いてくれた?」

「圭吾さぁぁぁん。」


その瞬間、私は涙が溢れて止まらなかった。だって私の左の薬指に、ダイヤモンドの指輪が光っているんだもん。


「本当は、今日、この誕生日プレゼントを渡してプロポーズしようと思っていたんだ。まさか、ともみの方から先にプロポーズされるとは思わなくて、俺的にはフライングでしちゃった形になったけど。」

「だってぇ。」

「しかもそれ。三枝さんと佐々木さんにオススメのお店を教えてもらって、買ってきたんだよ。」


美香が言っていた“協力”って、指輪のことだったんだ。


「なにそれぇ。」

「なにそれって嬉しくないの?」

「嬉しすぎるのぉ。」


化粧はもう、涙でボロボロだ。だけど目に映るのは、最高のプレゼント。その後は、圭吾さんにお姫様抱っこされながら、寝室のベッドへと身体を鎮められた。






「ねぇ、圭吾さん。」

「なに?」


汗ばんだ体を布団にしのばせ、乱れた呼吸を整えながら圭吾さんに話しかける。


「圭吾さん、私に言ったでしょ?“俺だけに感じてればいいって言わなかった?”って。」

「あぁ。」

「私の心も体も感じさせてくれるのは、圭吾さん1人だけだよ。」

「なにそれ。また誘ってんの?」

「えええ?!」

「2ラウンド目、な。」


腕枕をしてくれていたはずの圭吾さんは、いつの間にか私をいとも簡単に組み敷く。


「そんな可愛いこと言ってると、いつやめていいか分からん。」

「んっ。」


本日二度目の圭吾さんの愛撫が始まり、私の体は再度、熱を帯びる。


「俺をこんな気持ちにさせんの、ともみだけだな。」


圭吾さんだって、私をこんな気持ちにさせるのは、圭吾さんだけだよ。私もそう言いたかったけれど、もう言葉にすることはできなかった。


「ともみ、生まれてきてくれて、ありがとう。」

「ひゃぁっ。」


ねぇ、圭吾さん。こんなにも愛おしくて、こんな自分さえも好きになれるのは、愛する圭吾さんが、私を愛してくれてるからだよね。


私の愛も心も体も。全部さらっていけるのは、この世界であなた1人だけ。


「あい、し、てる…っ。」

「聞こえないから、もう一回言って。」






1人だけのあなた 【完結】


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