第5章 恵庭くんの相談

月曜日。大嫌いな夏の日差しも、今日は清々しく思える。


「おはよう、ともみ。何かいいことでもあったの?」


ロッカールームへ行くと、土曜日に会ったばかりの美香が準備をしていた。ニヤニヤしながら、聞いてくる。おそらく、土曜日に買った水着のことを聞きたいのだろう。


「えへへっ。」

「げぇ。水着で盛り上がったんでしょ~。これだからリア充は!」


右肘で小突かれて、照れる。私の“いいこと”は水着の件だけじゃないんだけど、まだ正式にうちの親に報告したわけではないから、もう少し美香にも言えない。


「美香、ありがとね。」


水着の件も、いい勉強になった。2人ですることなんだから、私は受身のままでいちゃいけないんだ。


「いいえ。あ~あ~。あたしも彼氏欲しいなぁ。転がってないかなぁ~。」

「転がっては無いでしょ。」


私達は楽しくお喋りをしながら、フロアへと向かった。


「大島先輩!おはようございます!」


そしていつものように、恵庭くんに挨拶される。


「おはよう」


私はとびきりの笑顔で挨拶を返した。なんだか今日はすごく気分がいい!浮き足立っちゃう!そんな私を、横目でチラッと見る圭吾さん。……はい。バレないように、自重します。


「おはようございます!大島先輩!」

「おはよう。」


そして美香と同様、ニヤニヤしながら私に挨拶する柚ちゃん。そのニヤニヤに負けじと、ニヤニヤしながら挨拶を返す私。私って、こんなにテンション高い人間だったっけ?


「珈琲どうぞ。」


気分がすこぶる良すぎる私は、午後3時の時間に部の全員に珈琲を振舞った。


「今日の大島くんは、一味違うねぇ。」


私の淹れた珈琲を飲みながら、部長もそんなことを言う。


「はい。恵庭くんもどうぞ。」


最後に一番新人の恵庭くんにもあげる。


「えっ。俺にもですか?ありがとうございます。」


嬉しそうに受け取ってくれる恵庭くん。可愛いなぁ。


「あ。珈琲頂いたついでに申し訳ないんですけど。ここが分からなくて……。」

「ん?どこ?」


恵庭くんのパソコンの画面を見やすいように、椅子に座る恵庭くんの隣に中腰で屈む。


「ここなんですけど……。」

「あぁ、これはね。ここをこうすると、ほらっ。」

「あぁ、なるほど!ありがとうございます!」

「また分からないところがあったら、聞いてね。」

「はい。ありがとうございます。」


恵庭くんの問題も簡単に片付き、自分の珈琲を飲みながら仕事を再開させる。今日は気分がいいせいか、かなりのハイペースだ。

そんなテンションの日は、それから3日くらい続いた。


そんなある日、今日は何の夕食にしようかなって午後の仕事をしながら考えているときだった。


<今日帰ってくるのが遅くなるから。取引先と夕食も食べて帰ってくるから、先に食べてて。>


携帯電話に、圭吾さんからそんなメールが届いた。取引先とだったらそれも仕事のうちだからしょうがない。最近は不景気で、こういう接待みたいなことは少なくなったらしいんだけどたまにある。


う~ん。今夜は1人か。何を食べようかな。


いきなり今日の夜ご飯が1人だと宣告されると、高かったテンションも急降下した。いつも夜ご飯は大好きな人のために作るからこそ楽しいのだ。


「私、手伝いますよ。」


家に早く帰ると暇になっちゃうから、残業になってる人の仕事まで手伝って残業をした。


「ふう。」


人の仕事まで手伝い終えると、19時になっていた。私がこんな時間まで残っていることは、自分の仕事が片付かないときくらいのものだから非常に珍しい。ロッカールームで帰る支度をする。美香も柚ちゃんも、早々と帰って行ったから、きっと何か用事があるのだろう。


会社を出ると、もうすぐ9月を迎える空は、すっかり星を瞬かせていた。……まだまだ暑いけど、もうすぐ秋なんだなぁ。


「大島先輩!」


そこで、聞きなれた声が私を呼んだ。


「あ。恵庭くん、お疲れ様。」


息を切らせて、こちらへと走ってくる恵庭くん。残業していた恵庭くんも、仕事を終えて帰るところらしい。


「お疲れ様です。……大島先輩、これから時間ありますか?急いでます?」

「急いではないけど、どうしたの?」

「この間言っていた相談の件なんですが。もし今日お時間あったら、夜ご飯でも食べながら、聞いて頂きたくて。」


夜ご飯か。後輩の相談に乗るためだし、圭吾さんは遅いし……。ま、いっか。どうせ1人でご飯食べるつもりだったんだし。


「いいよ。」

「いいんですか?!」


パァッと表情を輝かせる恵庭くん。そんなに聞いて欲しいことがあったのかな?


「うん。どこに行こうか?」


ゆっくりと話せるところがいいよね、相談なんだから。


「あー。じゃあ、俺のオススメのところに行ってもいいですか?イタリアンなんですけど平日の夜だから、空いてると思うし。」

「いいよ。」


イタリアンか。パスタとかピザとか食べれるのかな。楽しみだな。


恵庭くんが連れて来てくれたのは、会社から15分ほど歩いたところにあるこじんまりとしたイタリアンのお店だった。お店に入ると、雰囲気のいい2人席に通された。


「すごく素敵なお店だね。よく来るの?」

「あ、あー……実は、俺イタリアン好きなんですけど、中々一人じゃ入り辛くて。妹と1回来たことがあるだけです。」


恵庭くんは照れくさそうにそう言った。後輩の男の子って初々しくて可愛いなぁ。


「そうなんだ。恵庭くんって、1人暮らしじゃないんだ?」

「はい。実家近いので。大島先輩は?」


やばい。墓穴を掘ってしまった。まさか恋人と同棲しているなんて、柚ちゃんのような後輩ならまだしも、恵庭くんに言うことじゃないよね。


「私は実家、遠いから……。」


明言するのを避けた。


「1人暮らしですか?羨ましいなぁ。」


私、“1人暮らし”とは言っていないしね。にこっと笑って頷きも首を横に振ることもしなかった。


「でも、実家の方がお金貯まるでしょ?」


生活費を家に入れるにしても、家賃代とは比べ物にならないと思うし。


「まぁ、そうですけどね。」

「お待たせしました。」


そんな話をしていると、注文した料理を店員さんが運んできてくれた。前菜のモッツァレラチーズとバジルのカプレーゼだ。


見た目も美しいそれに手を伸ばして口をつけると、一瞬でチーズとトマトそしてバジルのマリアージュが口の中に広がった。


すっごく美味しい!シンプルだけど、こんなに食べやすいんだ!オリーブオイルが効いている。今度圭吾さんに作ってあげたいなぁ。


「ふふっ。大島先輩って、美味しそうに食べられますね。」

「あっ。」


ちょっとがっつきすぎたかしら。後輩の恵庭くんに言われて恥ずかしくなって、少しフォークの速度が遅くなる。


「遠慮しないでください。たくさん食べる女の人って、すごく魅力的ですから。」


だけどお世辞が上手い恵庭くんに乗せられる。それならば、と遠慮なく頂くことにした。


妹さんがいるからなのかな。前から思ってるけど、恵庭くんって女の人の扱いが上手い。


「それで。相談って?」


メインディッシュの牛のビーンズ煮込みが来たところで、今日の本題に入る。前菜の後に来たミネストローネもマルゲリータも、すごく美味しい。


「あ、あぁ……。その、すごく個人的なことになってしまうんですけど……。」

「個人的なこと?」

「……実は、俺まだまだ新人で、こんなことにうつつを抜かしている暇じゃないと思うんですけど……。」


ん?なんだろう。歯切れの悪い恵庭くんの相談が見えてこないから、自然と私のナイフとフォークの動きは止まり、恵庭くんの話を真剣に聞く体制になった。


「……実は俺、社内に好きな人ができまして。」


私は大きく目を見開いた。え!相談って、そっち系の話?!


「……うちの会社って、社内恋愛禁止とかじゃ、ないですよね?」


顔を真っ赤にさせて、上目遣いをしてくる恵庭くん、かっわいい!!


「うん。禁止じゃないよ。」


私は、笑いを必死に堪えて、恵庭くんに受け答えをする。この恵庭くんに好かれる女の子って、どんな子なんだろう?


「……ほんとに、そんな恋愛とか余裕のある立場じゃないって分かってるんですけど……。」


しきりにそこを強調する恵庭くん。でも、恋愛ってそんなに悪いことじゃないよね。


「私は恋愛を“うつつ”だと思わないけど。」


圭吾さんとの恋愛を思い浮かべるけれど、全然“うつつ”なんかじゃない。きちんと誠実に真剣であれば、仕事に影響したりしない。


「え?」

「まぁ、恋愛って難しいよね。だけど、きちんと相手に誠実であれば、仕事にも影響出たりしないし、逆にパワーの源になると思うよ。」

「パワーの源ですか。大島先輩は社内恋愛の経験者ですか?」

「内緒だよ?」


田中くんとも社内恋愛で、別れ方はちょっとアレだったけど、付き合っていたこと自体は悪くはなかった。


「頑張ってみれば?仕事と分別を弁えればいいだけの話なんだし。」

「そうですかね?」

「そうだよ!」


新人だから恋愛しちゃいけないなんて、誰も言ってないしね。


「それで、ですね。もうすぐその人の誕生日でして……。」

「あれ。ほんとに。」

「はい。まだ付き合ってないんですけど、誕生日プレゼントあげたくて。何がいいと思いますか?」


付き合ってないうちの誕生日プレゼントは難しいなあ。一歩間違えれば、重くなっちゃうし。


「ん~。妹さんに聞いてみたりしなかったの?」

「うちの妹はまだ、高校生なんですよ。やっぱり社会人の先輩の意見を聞くのが、一番いいかなって。」

「そっかぁ。う~ん。」

「大島先輩だったら、付き合っていない男の子から何もらったら嬉しいですか?」

「私?」


私かぁ。う~ん。


「お菓子の詰め合わせ、かな?美味しいマカロンとか入ってたら、テンションあがるかも。」


女の子なら、可愛くて、甘くて、美味しいものが好きな人が多いだろうし。


「お菓子の詰め合わせですかぁ。参考になります。」

「あとは…。そうだなぁ…。」


恵庭くんにそんなアドバイスをしながら、楽しく夜ご飯を頂いた。好きな人のことで、こんなに一生懸命になる恵庭くんは、可愛いって思った。きっと恵庭くんなら、上手くいくよね。


帰りは、家まで送って行くと言われたけれど、タクシー呼ぶから大丈夫だと断っておいた。圭吾さんと同棲しているのがバレたら、危ないしね。部屋に入ると、圭吾さんはまだ帰って来てなくて、真っ暗だった。きっとまだ遅くなるだろうから、先にお風呂に入ることにした。



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