第3章 真っ白な背中

黒い袖に手を通し、背筋をぴしゃっと伸ばす。まさか自分がこれを着る日がこようとは。


「お母様、お綺麗ですね。」


黒留袖を着つけてくれた式場のスタッフが、お世辞をこぼす。お世辞と分かってはいても、初めて着るものだから、少し安心した。姿見で自分の全身を確認すると、中々悪くない感じだけど、少々旅館のおかみさん感があって笑える。


「ありがとうございました。」


深々と式場のスタッフにお辞儀をして着付け部屋を出ると、案内スタッフの方がこちらにやってきた。


「よくお似合いですね。花嫁様の控室にご案内いたします。」


えくぼの可愛らしい綺麗な女性スタッフだった。ネームプレートには「浜崎」と書かれている。浜崎さんに案内されて、あやの控室に入った。控室に入ると、すでに圭吾さんがモーニングに身を包んで、ソファに腰をおろしていた。


「お母さん。どうかな。」


真っ白なウエディングドレスをまとったあや。あやの周りの空気が、きらきらと眩しくみえる。


「とても綺麗だよ。」


花嫁さんの中で、世界で一番あやが綺麗だ。可愛い顔立ちのあやによく似合ったプリンセスラインのドレス。トップレスではなく、レースの七分袖だ。可愛らしいだけではなく、袖があることで大人っぽさも出ている。


「お母さん。ネックレスをつけてくれる?」

「うん。」


鏡台の前に座るあやの背中側にまわり、パールのネックレスを受け取る。これは、一光くんのお母様から譲り受けたネックレスだと、あやから聞いている。


「はい、できた。」


鏡越しにあやを見ると、とても満足そうな笑みを漏らしていた。いよいよ、私たちのところから飛び立つ日がきたのだと実感する。


「では、リハーサルにまいりましょうか。」


浜崎さんに案内されて、3人で挙式の会場へと向かう。挙式のときのリハーサルをするためだ。挙式の会場に着くと、一光くんがすでに待ってくれていた。


身長が圭吾さんと同じくらいで、モデルさんみたいにスラッとしている。あやの高校時代の同級生だ。付き合ったのは1年くらいで、高校の時もただの友達だったそうだけれど、縁あって二人で一緒に歩いていく決意をしたそうだ。


一光くんは、あやと付き合うときに「結婚前提にお付き合いさせて欲しい」と我が家に挨拶にやってきてくれた。その誠実な姿勢に、圭吾さんも私も「一光くんなら」と喜んだ。


白いタキシードに身を包んだ一光くんは、いつもより緊張した面持ちだけれど、どこか凛々しい。


「お義父さん、お義母さん。今日はありがとうございます。お世話になります。」

「一光くん。こちらこそ、お世話になるね。」


圭吾さんは右手を差し出して、一光くんと握手をした。


「では、リハーサルを始めましょうか。お母様はこちらにお座りいただいてもよろしいですか。本番でもこの席になります。」


左側の一番前の席に案内され、厳かな気持ちでそこに座る。私のときも、お母さんがここに座ってくれていたな。


「新郎様はこの位置にお立ちください。新婦様とお父様は入場の位置になります。」


浜崎さんが一通り説明してくれた後、それに沿ってリハーサルを行った。特に難しいことは何もないので、2回ほどでリハーサルは終わった。


その後、私と圭吾さんは一旦、新婦親族控室に行き、私と圭吾さんの親族に列席のお礼をした。しばらく談笑していると、私たち2人を浜崎さんが呼びに来てくれ、またあやの控室に行った。


「では、ベールダウンをお母様、お願いできますでしょうか。」


私があやにしてあげられる最後の仕事、ベールダウン。


もちろん、遠くに嫁ぐわけでもないし、何かあればすぐに連絡を取り合って助け合うこともあるだろう。でも、あやが家庭を築く前に私ができる最後の仕事が、このベールダウンなのだ。


私は椅子に座るあやの正面にそっと近づき、アップしているベールをつまむ。その瞬間、色々な思いが込み上げてきた。


今日の朝も大変だったのに、また涙が出てくる。ベールをおろすと、あやの瞳もきらめいていた。


「やだなあ、今からなのに。メイク落ちちゃう。お母さん、ありがとう。」


あやと出会えて、本当によかった。あやに出会えたから、子育ての歓びを知れた。あやに出会えたから、母になれた。


星の数ほどのあやとの思い出は、これからの私の人生の糧になる。


「では、お母様。お席にご案内します。」


あやと抱擁し、浜崎さんに案内されて挙式の会場へと向かった。式が始まると、圭吾さんにエスコートされたあやは、とても可愛らしかった。


父と娘は、家族の中でも最も先に幸せになれるといわれるけれど、圭吾さんとあやがそうなれるって思ったら、すごく幸せだと思った。


圭吾さんは一光さんにあやを受け渡すと、静かに私の隣へと座った。私はそっと圭吾さんの手の甲に手を重ねた。すると、圭吾さんは手をひっくり返して、私の手を握った。


温かくて、大きな手。ずっと、この大きな手で、あやのことを守ってくれていたんだよね。


仕事が忙しくて、平日は大変なこともあったけれど、時間が空くと必ず子供たちとの時間をとってくれていた。あやが進路に悩んだときは、時間をこじ開けてでも相談に乗っていた。


1週間前、あやに打ち明けられたことがある。一光くんと結婚して本当に大丈夫なのか、不安になったときに、圭吾さんに相談をしたことを。そのときに、父親の大きな愛と深さを知って感動したそうだ。


家庭において、母の存在が大きいことは間違いないけれど、でも私が太陽のように輝けるのは、圭吾さんが深く大きく私を愛してくれるからだ。圭吾さんがいなかったら、私はあやに出会えなかった。感謝してもしつくせない。


「では、誓いのキスを。」


一光くんがあやのおでこにキスを落とし、晴れて彼らは夫婦となった。あやの旅立ちの日に、圭吾さんと2人並んでそれを見届けられるのも、なんてありがたいことなんだろうか。


私たちの日々は、決して当たり前なんかじゃない。辛かったことも、苦しかったことも、嬉しかったことも、楽しかったことも。どれか1つでも欠けてしまっていたら、こんなに幸せな瞬間に立ち会えることはなかっただろう。


そう思うと、辛かったことにも苦しかったことにも感謝ができる。今まで出会ったすべての人に、ありがとうっていう気持ちになれるのだ。



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